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駅のホームで詰めて並ぶのと交通機関の混雑は許される風潮にモヤモヤします


誰が言ったかシラーヌ・ド・ゾンゼーヌ。

でもここがヘンだよ日本。

そんな日常の一部について思うことがあったので、書いてみようと思う。


ソーシャルディスタンスという言葉を聞くようになってしばらく経つ。人との間隔を2m近く開けるというものだ。

お店で並ぶときにも、「ここに並んでお待ちください」と、床にテープやシールが貼られているのを見かけるようになった。


ところが、どういうわけか、駅のホームで待つ際にはそれが考慮されることはない。むしろ「詰めてお並びくださーい」と駅のスタッフは私たちに促してくるし、混雑する時間帯は電車に押し込んでくる。


まあ人の数が人の数だし、社会規模の問題だからということはわかる。ここでも2m間隔とか人の数を少なくしろというのは、鉄道会社の力だけではコントロールしきれない問題なのもわかる。

それでも、あれだけソーシャルディスタンスだの密だの言われているのに、これは許されるのがどうも釈然としない。むしろ、密を促しているような気しかしない。


日本はいつもあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているように感じてならない。「自粛はしろって言うのにGo to トラベルってどういうこと?」とか。密は避けろというのにピーク時間の混雑は見て見ぬ振り。


9時の呪縛から人々を解放するには、それぞれの組織(もっと広い視点で言えば社会全体)が矯正を働きかける必要があるので、並大抵の問題ではないことは重々承知している。それでも、なにかもっともらしいことに責任をなすりつけるだけで、根本から変えようという気概がこの国からは感じられないのだ。


といっても、私ひとりが苦言を呈したところでなにが変わるわけでもないし、簡単に言ってくれるなという意見もごもっともだ。私もそう思うぐらいだ。

けれども、マスクをつけているだけであとは全部元通りという様子も、なにかのせいにするだけして、肝心なところは見て見ぬ振りを決め込む様子も、見るたびにモヤモヤした気持ちが強くなるばかりだ。


長年続いた既存のあり方(惰性)に縋るこの社会が根本から変わるときは、果たして来るのだろうか。

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