あの日

2011年から10年。

10年前の今頃は、仕事をしながらも原発事故のニュースとか飲み水の確保で大騒動だった。

地震の瞬間は、子ども20人ぐらいを乗せた送迎バスを運転中で、
(バスの免許取って保育後に送迎…今思えばほんとよくやってた。。)
子どもの誰かが座席でジャンプしてるのかと思ったら地震だった。

踏切はずっと開かないからマイクロバスが通れる道で迂回したり
マンホールから水が溢れて浸水してる道を走った。
1時間遅れで到着した最初のバス停で泣いてるお母さんもいた。
途中で主任がバイクで追いかけてきてくれて現状の確認とルートの指示をくれた。
バス停で待つお母さん達に先回りして声を掛けに行く為に出発する主任から
「頑張りな!」
と声を掛けられてあやうく泣く所だったけど、とにかく子どもと家族の事を考えた。

いつもの倍の時間をかけて子ども全員を送り届けた。

園との連絡もつかず、ラジオで聞こえてくるニュースでどんどん不安が増す中、
添乗の先生と一緒に自分達で判断して進めた。

無事に送り届けられたから良かったけど、
園に引き返していた方が安全は確保出来てた。
でも園に戻ったら移動手段がない保護者は迎えに来られず園に泊まる子も出ていた。

生きてきて色んな選択をしてきたけど、
この時の選択は今思い返しても本当にありがたい結果だった。




決断して自分で責任を持つ


人の命預かる仕事に大きいも小さいもないですが、この時は大き過ぎました。


先日11日、黙祷の時間は2歳児クラスの子には大人がなんだかよくわからない事してるように見えたと思いますが、お昼寝明けでぽわんとしてる中、一緒に手合わせてました。(その後、少し説明したらいつもは見せないような顔で聞いていました)


いま、散歩先で人数確認する時に
1.2.3...って声に出して数えるけど心の中では
"ひとつの命、ふたつの命…"
って時々数えてます。
(言い方は今の主任が教えてくれました)
急いでる時ほどこれが出来る出来た人になりたいです。


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