ななこは今日も未病

中学生の頃から原因不明の頭痛、吐き気、倦怠感、皮膚疾患に悩んできました。病院では明確な…

ななこは今日も未病

中学生の頃から原因不明の頭痛、吐き気、倦怠感、皮膚疾患に悩んできました。病院では明確な診断がつかないまま、手探りで過ごしてきた20年でした。そんな私のこれまでの日々を、書いていきたいです。

最近の記事

13:ななこ、生体機能が壊れる

大学生活を続ける中で、マレーシアに行ったあたりから頭痛はさらに悪化していきました。あまりの痛みに日常生活が壊れ始め、お風呂も、洗髪も、歯磨きすらできなくなっていきました。私の体は、お風呂に浸かって水圧を受けたり、体温が変化することに耐えられる状態ではありませんでした。何とかお風呂に入っても、お風呂から上がればあまりのしんどさに動けず、服も着られないまま洗面所で倒れこんでいました。 髪を洗う時に指が頭に触れる刺激すら痛く、反射的に涙が出てくることもありました。あまりの痛さに毎

    • 12:ななこ、マレーシアに行く

      大学生の間に、海外に行ってみたい。そう思った私は、夏休みの1ヶ月間マレーシアに渡航してみました。 マレーシアという、日本とは何もかもが違う場所で過ごした1ヶ月でした。あの明るい光、賑やかな通り、色とりどりの品物が並ぶ市場、マレー語の響き、街に流れる音楽、気持ちのいい夜風。物心ついてから初めての海外で、何もかもが新鮮で過剰に反応していただけだったのかもしれません。それでもマレーシアで過ごす日常の一つ一つが、私にとっては「日本での基準は、世界にたくさんある基準のうちの一つでしか

      • 11:ななこ、早大生になる

        これまでの病院巡りの日々は、待合室で何時間も自分の順番を待ち、心のどこかで今度こそ原因が分かるかもしれない、治療法が見つかるかもしれないという期待を持って診察室に入り、こちらをほとんど見ずにパソコン画面に文字を打ち込み続ける医師に、これまで何十回も繰り返してきた経過を説明し、数分で私の全てを否定され、何のあてもないまま診察室の外へ放り出される。そういうことの繰り返しでした。 何件も何件も病院を回り続ける中で、診察室での言葉に傷つく気持ちも麻痺し、だんだんと諦めの気持ちも強く

        • 10:ななこ、早稲田大学を受験する

          勉強したい。どんなに切実にそう思っても、痛みが頭の中に巣食って思考する端から全てを食い尽くしていくようでした。痛むのが別の場所だったなら。この痛みを終わらせられるなら、自由に思考できるようになるのなら、手でも足でも切り落としても構わないとさえ思いました。でも頭は。頭が痛ければどうすればいいのか。この頭を切り落とせば、痛みが死ぬのか。私が死ぬのか。 切り落とせない痛みを、一瞬だけでも麻痺させられたなら。力を振り絞る。頭に巣食う痛みの中心を貫いて、痛みごと自分自身を串刺しにする

        13:ななこ、生体機能が壊れる

          9:ななこ、浪人生になる

          高校を卒業した私は、大学を受験すべく浪人生として予備校に通い始めました。 「現役で志望校に落ちた悔しさを忘れるな」 「今年の悔しさを持ち続け、努力し続ける者だけが来年の合格を勝ち取る」 春の教室で、予備校の講師はこんな発破をかけることが多かったです。当たり前ですが、クラスメイト達は現役での受験を経験していて、浪人して再度受験に挑戦しようという人ばかりだったはずで、特に春頃の教室は独特の雰囲気に満ちていました。努力が届かなかったショック、それでももう一度挑戦しようという熱意

          9:ななこ、浪人生になる

          8:ななこ、高校を卒業する

          高校三年生になってから半年近く寝たきり生活を続け、学校を休み続けました。休んでいる間も病院巡りは続けていました。母は良い頭痛外来があると聞けば、飛行機に乗って遠方の病院にも診察してもらえないか掛け合ってくれたりもしました。しかし、相変わらず原因不明、合う薬も見つからず、治療に結びつくようなとっかかり一つ見つけることはできませんでした。 高校は卒業した方がいいだろうと思ってはいましたが、そのことに関心を持つ余裕すらなくなっていきました。毎日の痛みに耐えることで精一杯で、自分が

          8:ななこ、高校を卒業する

          7:ななこ、学校に通えなくなる

          高校生になってから体調はさらに悪化し、頭痛がひどくて歩くのすら辛い日が増えていきました。歩く時の振動が、頭に響くことに耐えられない。最寄駅から家までの普通に歩けば10分もかからない距離を、足を引きずるようにして30分以上かけて家に帰ったことが何度もありました。足を一歩動かすのも辛くて、自分の体をマリオネットの人形に見立てて、外から繋いだ糸で足を引き上げるイメージで足を動かしていました。いつもいつも、道端でもなんでも今すぐ倒れこみたいと思っていました。 小学生時代から抱えてい

          7:ななこ、学校に通えなくなる

          6:ななこ、病名がつかない

          私の痛みが生死に関わるものではないことは、これまでの検査結果からわかっていました。死ぬわけでもない痛みを辛がる私はわがままで、嫌いな学校や勉強から逃げるために、好きなことだけをするために痛みを生み出している。本当に痛いなら、部活なんてできるはずがない。わがまま。甘え。気の持ちよう。私の痛みは、他人の目を通せばこういった言葉に集約されていく。 その様は暴力的で、グロテスクだとすら思うのに、私は反論することもできない。私の痛みは数値化されず、可視化されず、その存在を証明できるも

          6:ななこ、病名がつかない

          5:部活

          ひたすらバトンを追いかけて、音の中に飛び込んでいく日々。痛みも、誰にも届かないまま腐っていく言葉も置き去りにして、まっさらになった私の体を音楽でいっぱいにする。バトンが回り続けている間は、私も止まることなく生きていけるような気がしました。踊っている間だけは、痛みを理解してもらう必要はないし、理解してほしいとも思わない。自由というものがあるのなら、それはこの瞬間だと思えました。 私の毎日は、痛みに耐える瞬間の連続に過ぎませんでした。過去と未来はばらばらに砕けて散らばって、痛み

          4:ななこ、学校に通うべきなのか

          病院を巡れども巡れども、わが症状楽にならず、じっと増え続ける診察券の山を見つめる。病院を何件巡っても症状の原因はわからず、処方される薬は私の体には合わないものばかりでした。そんなことを繰り返している中で、試した薬の副作用があまりに強く出てしまい、学校に通えなくなったことがありました。 少しでも症状を軽くしたいと薬を試しても、かえって悪くなるばかり。この痛みを抱えたまま生きていかなくてはならない私は、これからをどう過ごしていくべきなのでしょうか。このまま長期で学校を休んでしま

          4:ななこ、学校に通うべきなのか

          3:医師の対応

          頭痛、吐き気、倦怠感という症状の原因を突き止めたく病院を巡りましたが、原因はわからず、合う薬も見つかりませんでした。初めは病院に行きさえすれば、原因がわかり治療が始められると期待していましたが難しそうな状況で、医療は万能ではないという当たり前のことを、経験して初めて理解しました。原因がわからないことは辛かったですが、何よりも辛かったのは医師たちの対応でした。 医師からすると、マニュアル通りに検査をして、数値上問題がなければその人は「健康」なはずです。それなのに、数値上はどこ

          2:ななこ、病院を巡る

          中学生になってから始まった頭痛や吐き気の症状。これがあまりにひどく、様子を見ていても状態が落ち着かなかったため、病院に行くことにしました。 診察を受け、検査を受けました。 血液検査、MR、CT、起立性調節障害の検査、髄液漏れの検査。 全て異常なしの結果でした。 病院はいくつもいくつも回りました。 ですがどこで診察を受けても、検査をしても異常なし。 どこから切り取っても数値上は健康体でした。 これだけ辛い症状があるのに、病名すらつきませんでした。治療としては、対処療法的な薬

          2:ななこ、病院を巡る

          1:ななこ、発症する

          頭痛が始まったのは、中学に入学してからでした。小学校時代から体は強い方ではなく学校は休みがちでしたが、日常的に痛みを感じることはありませんでした。小児科医から言われた「成長して体力がついていけば良くなっていく」という言葉を漠然と信じていたのもあって、日常生活はストレスなく送れていました。ところが中学生になった頃から頭痛が始まり、小学校時代と決定的に状態が変わっていきました。 明確な発症日があるわけではなく、もともと疲れやすく「しんどい」と感じる日が多かったのですが、その「し

          1:ななこ、発症する

          初めまして、ななこです

          初めまして、ななこです。 私は中学生の頃から原因不明の頭痛、吐き気、倦怠感、皮膚疾患に悩んできました。病院では明確な診断がつかないまま、手探りで過ごしてきた20年でした。 元気に過ごせる自分になってみたい。 痛みや倦怠感を感じずに朝起きて、一日活動して、疲れて眠る。そんなきっと当たり前な、健康な毎日を生きてみたい。 私はずっと、このことだけを夢見てきました。そして少しずつ擦り切れて、色褪せていくこの夢を、今もまだ手放すことができずにいます。 私にとってはあまりにも長かっ

          初めまして、ななこです