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10:ななこ、早稲田大学を受験する

勉強したい。どんなに切実にそう思っても、痛みが頭の中に巣食って思考する端から全てを食い尽くしていくようでした。痛むのが別の場所だったなら。この痛みを終わらせられるなら、自由に思考できるようになるのなら、手でも足でも切り落としても構わないとさえ思いました。でも頭は。頭が痛ければどうすればいいのか。この頭を切り落とせば、痛みが死ぬのか。私が死ぬのか。

切り落とせない痛みを、一瞬だけでも麻痺させられたなら。力を振り絞る。頭に巣食う痛みの中心を貫いて、痛みごと自分自身を串刺しにする。この瞬間を握りしめて、こぼれ落ちきるまでが、私が唯一思考できる時間。勉強できる時間。痛みが食い散らかした破片を集めて、組み立てなおす。散らばる断片に名前をつけ直して、構造体に組み替えていく。痛みが目覚める前に。痛みが動き出す前に。痛みがぐちゃぐちゃに食い荒らした世界を、私という秩序で構築しなおす。どうせすぐに、痛みが全てを食い破っていくことはわかっている。それでも何度も何度も組み立てなおして、どんどん継ぎ接ぎだらけの歪な世界になっていく。あの真っ直ぐな地平線に、ぽとりと溶けるように沈んでいく夕陽が好きだったのに。歪んでがたがたに尖った地平線は落ちてくる太陽を削り取って、そのかけらをばら撒いていく。太陽の死骸が燃える夕焼け。腐臭が満ちて、痛みが動き出す。今日の勉強は、ここでおしまい。

予備校の授業は午前だけでしたが、周りは当たり前のように夜遅くまで自習室に残って勉強を続けていました。一方の私は、予備校に毎日行くことも難しく、よく欠席していました。それでも私なりに、勉強できる時間は精一杯自分の全てを投げ込んだつもりです。どれだけ短くても机に向かえる時間は可能な限り集中して、勉強の質を高めようと努めました。できることは限られていたので、授業を受け、問題演習をして、情報を自分のノートに集約する。過去問を解く。そればかりを繰り返していました。

周りと比べない。自分にできることを精一杯やるしかない。そんなことは分かっていたし、自分に何度も何度も言い聞かせていました。それでも周囲に比べて圧倒的に勉強時間が少ないという現実が、辛かったです。周りは目標に向かって今この瞬間も努力しているのに、勉強もできない、予備校にも行けない私は、受験生と言えるのだろうか。自分が受験という勝負の場から遠く離れていってしまうことが怖かった。ただひたすら「私は受験生なんだ、今年こそ大学受験するんだ」と自分に言い聞かせていました。

体調的に試験当日に試験会場に行けるのか、試験を受けきることができるのかが一番の心配事でした。両親からは「とにかく試験当日に会場に行って、解答用紙に受験番号と名前だけ書けたらいいから」と励ましてもらいながら、受験シーズンを迎えました。

結果的には一通りの試験を受けることができて、早稲田大学に合格できていました。合格通知を聞いて感じたのは、ほっとした気持ちと嬉しさが少しずつ。終わってしまったという焦燥感。達成感はありませんでした。

もっと勉強したかった。もっと努力したかった。もっともっと頑張りたかった。高望みなのかもしれないけれど、過程に充実感を感じたかった。自分の限界に挑戦したのだという自信を持ちたかった。健康であれば、この痛みがなければ、きっともっと頑張れたのに。

たらればを言っても仕方がない。他人と比較しても意味がない。自分の置かれた環境で、自分にできる精一杯をするしかない。そんなことは分かっていました。そして、私に与えられた条件の中で、結果を出すために必要なことはしたつもりでした。ですが、それは私にとって体温を伴わない作業のようなもので、「努力した」という実感は持てないままでした。朝から晩まで勉強して志望校に合格していった同級生は、やり切った充実感と高揚感と達成感に満ちてキラキラと輝いて見えました。

私の人生に欠落しているもの。
同級生達が纏う、あの熱量。
不安と希望が混在する現在への、あの徹底的な没入。
ふわふわと形をなさずに浮遊している未来を、努力の一打ち一打ちで押し固め、研磨し成形していく、あの力強く美しい人生の過程。

そんな周りの眩しさに目を奪われながら、私がしていたのは、ひたすら痛みに耐えることだけでした。私は痛みの中でうずくまっていただけ。そうやって過ぎ去っていく時間を、身動きも取れずに眺めていただけ。熱した鉄を叩いて、強度を高めながら成形していくように、努力とは自分自身と未来を鍛造する行為のはずなのに、不純物だらけの砂の塊である私は、熱されることにも、鍛えられることにも持ちこたえられず、ただぼろぼろと崩れていくだけでした。痛みにうずくまって、食いしばって、やり過ごす時間に晒されて、私は乾き、ひび割れ、崩れていく。私と、私の未来になるはずだったものが、ぼろぼろと崩れて砕けて、なくなっていく。

それともこれは、甘えなのでしょうか。誰しも何かしらの困難を抱えて、それでも頑張っている。頑張りきれない私は、痛みを言い訳にしているだけなのでしょうか。どこまでが甘えで、どこからが努力なのでしょうか。私は、もっともっと頑張れたのでしょうか。その線引きの正解がわからない。たとえ健康で生まれていたとしても、「痛みがないことが当たり前の私」が今の私が望む程度に努力した保証はありません。恵まれていることにすら気づかずに、それを簡単に踏みにじったかもしれません。今の私だって、あるものは当然だという傲慢さの中で、ないものねだりしているだけなのかもしれません。

それでも「もっと努力できたはずの自分」が蜃気楼のように、実体はないのにそこに確かに揺らめいていて、追い求めずにはいられないのです。あったかもしれない幻を追いかけ続けて、そこに達していない現実の自分を受け入れきれない。もっと頑張りたかったという妄執を断ち切れない。

くすんで、くすぶって、頑張りたいのに頑張れなかったというもどかしさにのたうつ自分は、とても醜いものに見えました。そしてこの醜さは、いつしか怒りと焦燥感を混ぜたようなどす黒いものに変わり、ずっと胸の中で燻り続けています。燃やすべき時に燃やしきれず不完全燃焼で終わってしまった火種は、いつまでも燃え尽きず見苦しくのたうち続け、そこから立ち上る煙は、血流にのって全身に周り、体内の酸素を奪っていきます。どれだけ息を吸っても、体の中から窒息していく。今もずっと、息が苦しい。今もずっと、どこにも辿り着けずに息ができないままなのです。

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