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11:ななこ、早大生になる

これまでの病院巡りの日々は、待合室で何時間も自分の順番を待ち、心のどこかで今度こそ原因が分かるかもしれない、治療法が見つかるかもしれないという期待を持って診察室に入り、こちらをほとんど見ずにパソコン画面に文字を打ち込み続ける医師に、これまで何十回も繰り返してきた経過を説明し、数分で私の全てを否定され、何のあてもないまま診察室の外へ放り出される。そういうことの繰り返しでした。

何件も何件も病院を回り続ける中で、診察室での言葉に傷つく気持ちも麻痺し、だんだんと諦めの気持ちも強くなっていきました。それでも小さな期待が砕かれるたびに、自分自身も少しずつ壊れていくのを感じていました。病名すらつかない状態でこれ以上どうすればよいのかもわからず、ただ疲弊しきっていました。

これ以上傷つきたくなかったし、どうにもならない現実に向き合いたくなかった。新しい病院を探そうという意欲を持てないまま、大学に入学しました。大学生活を無事に過ごせれば、就職する頃には元気になれると思い込みたかった私は、まずは大学生活を回していくことに専念することで現実逃避しようとしました。大学では自分で時間割を組めるので、朝から晩まで授業を詰めることはせずに、1日の授業数を2コマか3コマだけに分散するようにしました。ゆるゆるとした時間割なら体に負担が少ないかと思ったからです。

大学は賑やかで騒がしくて、通うのが楽しかったです。小中高とこれまで通っていた学校ではいつも「建前として振る舞うべき正解」が敷き詰められて、生徒として感じるべき感情を感じること、生徒らしい愛嬌をもって自己表現すること、しかし教師が許容する範囲からは決して逸脱しないことが求められているように感じていました。教師が生徒を見る視線は、生徒に「こうあってほしい生徒像」を投影しているようで、自分自身と投影される生徒像の距離をうまく繋げられない私は、いつも不器用にその二つをいじくってどちらもボロボロにすることしかできませんでした。

ですが大学ではそういった正解が押し付けられることはありませんでした。「自分がどういう人間になりたいのか」「自分自身をどう表現していくのか」を強制されることなく、自分で選択し決定できる環境を与えてくれたのは大学が初めてでした。私はこれまでの人生で初めて、所属する学校が好きだと思えました。

大学に通う日々がとても大切で、頭痛は相変わらずでしたが何とか通い続けたいと切実に思いました。だからどんなに痛くても頑張らなくちゃいけない。一度でも休んでしまったら、きっと私の全てが崩れてしまう。気力だけで動かしている体を一度でも休ませたら、きっともう二度と立ち上がる気力は湧いてこない。一度でも心を緩めたら、もう二度とこの気力を振り絞ることはできない。私にとって睡眠とはリラックスするための眠りではなく、生体機能を維持するために気を失うことでした。そして意識のある間は常に気力をかき集めて、振り絞って、緩めずに張り詰めて張り詰めて、そうやって動き続ける。それが私にとって大学に通うということでした。

サークルに入り、バイトも始め、ですが全ての活動量をいつも少なめに抑えていました。痛みに耐えられる範囲での活動量に抑えるために、たくさんのことを諦めて、活動量を抑えて、ですが休まずに動き続けて、何とか大学に通えている今を維持しようとしました。寝たきりに戻ってしまうことが、恐怖でした。終わりのない痛み。今日の破綻を先延ばしにするために、未来に待つより大きな破綻に向かって駆けていっている矛盾を感じながら、どうすることもできませんでした。

そうやって大学1年目が終わる頃、ある先輩から言われました。
「それで結局、君は何を頑張っているの?」

先輩の言葉は正しいと思いました。体調のことは伝えていなかったので、先輩からすると私は、全てに対して熱量の少ない、つまらない人間に見えたはずです。これ以上体調が悪くならないように、全てをセーブしながら毎日を過ごしている私は、全て中途半端で何も頑張り切らない人間です。

本当は先輩にこう言いたかったです。
頭痛がひどくて、吐き気もひどくて、今すぐにでも倒れこみたい位に体がだるくて、その中で必死に毎日を過ごしているのです。
自分を削り取るような思いで毎日生きているのです。
また寝たきりに戻るかもしれないと思うと、これ以上悪化することが何よりも怖くて、最低限の今を守りたいのです。

ですが、同級生と同じスタートラインに立って勝負したいと思うなら、これは言い訳にしかならないことは分かっていました。どんな事情があろうと、その上に成果を積み上げていかなければ社会に評価されないことは分かっていました。圧倒的に正しい先輩の言葉は、私に現実を突きつけるものでした。私は、先輩に何も言い返せませんでした。

そんな何も言い返せない自分を、情けなく惨めに思いました。なぜ何も言い返せないのだろう。例え体調が悪くても、それに向き合って一生懸命に生きていると自信を持っているのであれば、先輩に堂々と言い返せるはずではないか。私は結局、体調の悪さに向き合わず、それなのに体調の悪さを怖がって、言い訳にして、逃げ回ってばかりで、先輩に言い返すこともできず、かといって全力で何かに打ち込むこともできない生き方しかしていないんだ。

痛みにも負けない位、強い自分になれたら良かったのに。痛みを受け入れることもできず、でも諦めることもできず、無意味に苦しんでいる。この苦しみが何の価値も生まないことは分かっているのに、必要なのは結果だけだと分かっているのに、私はいつまでも中途半端なままでした。どこかで折り合いをつけなければならないと頭ではわかっていても、どこにも踏み出せない。そんな自分の中途半端さが、「先輩の言葉」と「言い返せなかった私」に炙りだされたように思いました。こんな自分でいいのだろうか。こんな中途半端なままで大学生活を終えてしまっていいのだろうか。

これ以上体調が悪化することが怖かった。寝たきりに戻るのが怖かった。その恐怖をいつだって感じていました。ですが頭の片隅で、そうやって怖がって最低限の今を守ったところで、どうせ何にもならないのではないかという予感もありました。どれだけセーブしたところで、きっとこの頭痛は治らない。痛みなく生活できる日なんてきっと来ない。人並みに生きられる日が来る前に、きっと痛みで最低限の今すら破綻する。

いずれにしても、この先に破綻しかないのだとしたら。

焦燥感で、恐怖が弾けました。それならいっそ、破綻する日が早まったとしても今この瞬間にやれるだけのことをやってみたい。少しだけでも、この世界を経験してみたい。
そして思いました。私、海外に行ってみたい。

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