出生率を上げる=結婚なのか?

もうずっと前、私が学生の頃から、近い将来必ず少子高齢化は問題になるであろうとされていた。されてはいたが、特に対策は取られていなかったように思う。当事者としても「そんなこと私に言われましても」くらいの感覚だったし。

今それが現実になり、そのたびに政治家が「(女が)産まないのが問題だ」といった内容の発言をして炎上するのが通例となっているが、根本的なところが間違っていると思うのだ。

産みたい女はいっぱいいる

実は私はこの1年半ほど不妊治療に通っている。県内外でも評判のクリニックらしく、待合室はいつもいっぱいだ。完全予約だが、治療内容によって時には4時間(!)待つこともある。ここに通う何百、何千といる全ての患者は皆産みたいのだ。目が飛び出るほど高額な費用を払い、仕事を調整し、薬を飲み、痛い注射を打ち、不快な内診を毎回受けることを何か月も何年も続けるほどに子供が欲しいのだ。同時に、私にとっては20代前半に子供産むなんて「絶対」無理だった

何故無理だったのか。まず日本で「まともに」社会人になるには大学通って新卒で就職して…以外に選択肢ないじゃないか。って私はその道には進んでいないけれど、留学したかったしそのための奨学金は規定に「妊娠しないこと」と明確にあったし。ということで私のケースは置いておいて、日本の社会がもっと寛容だったなら、出生率は上がると思う。本気で国に改善する気があれば。

今産みたい人が産めるようにする

将来若い人が産めるようにするのは後から述べるとして、まずは今産みたい人が産めれば皆がハッピーな訳である。具体的には、不妊治療を保険適用にすること。私たちの世代は、まず男女平等に学び、進学し、就職することを当たり前とした教育を受けている。それを実現するために、「でも子供は20代前半で産みなさいよ」という教師はいなかった。今の日本社会では両立しないんだから当たり前である。出産適齢期とされる20代前半で出産するのは現実的に不可能だ。30代になってようやくやりたいこともある程度できるようになりバリバリ働いていると、突如(または今まで見て見ぬふりをしてきた)タイムリミットの知らせが来るのだ。夫や家族の希望も無視できない。本当はもっと働きたいのに、これが自分にとって最後のチャンス(かもしれない)と思い、渋々不妊治療を始める人は少なくない。

ようやく始めたものの、不妊治療はほとんどが保険適用されないので、ものすごく高額である。毎月数万円、合計で数百万円かかることもざらだ。(自治体によっては補助を受けられるところもあるが、払った額を考えると大抵が微々たるものである。我が家は条件に合わず、補助を受けていない)結局、タイムリミットと通帳の残高を見て諦める人も多い。健康保険が不妊治療にも適用されれば、もっと気軽に診療を受けてみようと思うカップルは増えるだろうし、何よりもっと若くから始められるので実際に妊娠率が上がる

そうは言っても、出産適齢期を過ぎた人に保険適用して…とすると出生率は上がったとしてもコストが莫大にかかるのはデメリットなので、では若いうちに子供を産んでもらうにはどうしたら良いか考えてみる。

妊産婦、育児家庭に寛容な社会を

コストだけでなく、高齢出産は身体にも負担があるのは明らかなので、やはりできるだけ若いうちに産めるものなら産みたいのだ。できるものなら。

若者が子供を産むことを考えたとき、一番恐ろしいのが「キャリアを築けなくなる」ことではないかと思う。若くして子供を産む=それまでの努力がすべてパア と感じてしまうのだ。そりゃ産めないって。逆に言うと、それまでの努力がすべてパアにならないとわかっていたら、いつでも産めるのだ。

若者が思い立った時いつでも産めて、学問もキャリアもあきらめることなく社会復帰もさらっとできる社会ではないからだ。それは、制度と意識の両方の面で改善されなければならない。例えば、

1.制度

学校での性教育を徹底する。学生で出産しても次の学期で復帰できるよう、学内にデイケアを設置する。里親、養子縁組をもっと身近なものに制度を変える。大学の入学・卒業時期を1年のうち2回に設定する。新卒で4月に一斉に就職するシステムをやめる。もちろん就職活動は卒業してから、または直前から始めることにする。無痛分娩を通常選択できるように、対応可能な産婦人科、専門麻酔医を国が援助して増やす。会社内にもデイケアを設ける。または子連れで出勤できるようにする。在宅勤務も可能にする。保育士の給料を格段にアップして保育環境を改善する。ベビーシッターと家事代行サービス事業を国が先導して支援する。会社の福利厚生で家事代行サービスやベビーシッターを受けられるようにする。未婚でも子供を産み育てられる制度を充実させる。希望する男女(カップルではなく個人)が精子バンクや代理母を利用できるようにする。

2.意識

若くして子供を産むことや、未婚で(シングルでもカップルでも)子供を産み育てることに対する偏見をなくす。「産みたくて産んだんだから(何か不都合や苦労があっても)自己責任」とすぐに言わない。後に述べることにも関連するが、血縁至上主義をやめる。母乳神話、3歳児神話を他人に押し付けない。子育ては社会全体で行うという意識を育てる。シングルペアレント家庭の子供に片親でかわいそう、という考えを持たない。同時に、単独親権制度を見直す(もちろん危険は考慮した上で)。


制度があっても人目を気にして利用できなければ意味がない。皆がこうだから自分も、ではなく「自分にとって今何が大切か」を個々が判断し、実行できる社会にする。まずはここからかと。

皆が同じでなければならないという強迫観念はこの先必ず日本を衰退させる。

意識の面は自分たち次第だが、制度の面に関して、
私のような者がぱっと考えただけでもこれだけ出てくるのにしないのは、国は本当に解決したいと思っていないんじゃないのかということである。あくまでも「産まない個人(女性)」の問題にするのは自由だが、だから解決しないのだ。

なぜ結婚しないといけないのか

そもそもなぜ未婚で産んではいけないのか。最近オンラインで読んだ記事に、「少子化を止めたければ、まず婚姻率を上げなければ」とあった。内閣府の少子化社会対策白書の第一部「少子化対策の現状」にも「結婚に対する意識」「どのような状況になれば結婚すると思うか」などとした調査があり、「少子化対策=まず結婚」のように語られているが、少子化が危機とされているのであって、それが解消すれば結婚はあくまでも「個人の自由」で良いのではないか

なぜ未婚のカップルやシングルペアレントじゃだめなのか。未婚でも産める環境が整っていたら産む人は増えるだろう。日本の家制度(戸籍制度)から改革しなければならないだろうが、本当に出生率を上げることが大事なのであれば、検討されてしかるべきではないのか。

結局は、日本の古い価値観や制度が現代の状況と合っていないところに原因があるのではないのか。


養子縁組・里親制度について

最後に、厚生労働省の統計によると、平成29年度の人工中絶件数は164,621件となっている。人工中絶そのものは女性の意思に沿って行われるべきであり、私は支持する。が、もし私たちの社会がもっと寛容であれば、具体的にいうと里親・養子縁組制度がもっと身近なものであったなら、この女性たちのうちの何割かは少なくとも「産む判断」をできたのではないかと思うのだ。

「血のつながりだけが全てではない」

これは自分が今まで生きてきた中で学んだ最も重要なことである。血がつながっていても全く話も通じず分かり合えない人がいれば、血縁関係がなくても心が繋がり合える人もいる。そういう人こそ大切にしよう、と思って生きている。日本で皆が血のつながりの呪縛から解放されれば、もっと家族が自由な形になるのにと思うことがたくさんある。里親や養子縁組だけでなく、シングルペアレントとの交際や再婚も今より身近になるだろう。

(実は私とパートナーも養子縁組を視野に入れていて私の出身国である日本で希望していたのだが、検討した結果私たちの条件では残念ながら日本での養子縁組は難しいだろうという結論に至った。)


それでも産む産まないは個人の自由

ここまでざっと思いつくまま書いてきたが、同時に「産む産まないは個人の自由」というところはどうしても譲れない。書いた内容はすべて、産みたいけど産めない人の状況が改善するには、ということであって、産みたくない人は産まなければ良い。重複するが、一番重要なのは社会全体が変わることなのだろうと思う。もしこれまでの価値観を変える気がないというなら、それは本当は少子化が深刻な問題ではないということなのだろう。

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