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会社を辞める、そして本を贈る。

はじめて勤めた会社を退職したとき、何度か送別会をしてもらった。
ずっと行ってみたいなと思っていたちょっといいお店でのことだったり、いそがしい間を縫って個別にお食事の場を設けて貰ったり……。
関係性によって御礼の仕方はさまざまになったけれど、ぐるぐる考えた結果、同じ部署で働いていた人たちには、ちょっとしたお菓子と一緒に本を贈ることにした。

以下はそんな、退職時に贈った本の紹介です。

1.フェアな上司に贈る本

私の直属の上司は、会社で一番フェアなひとだったと思う。社会で、ことにいささか古い気質が濃い会社で、フェアで居続けることはとても難しい。
私が産休に入った彼女から引き継いだ仕事は、いつも「彼女ならどう判断するか」という軸を意識しながら、自分なりの色を塗り、形をやんわりと整えていったものだった。
いつしかそれらをほとんど迷いなくこなせるようになって、個人的にしてもらった送別会で「私たちの仕事って、こうですよね」と話すことができた時間は、とても楽しかった。そう話せるくらいに成長できたんだな、ということを噛みしめたひとときだった。

そんなフェアな上司にと選んだのは、先日めでたく完結した名作漫画『A子さんの恋人』(KADOKAWA)で知った近藤聡乃さんのエッセイ漫画ニューヨークで考え中』(亜紀書房)
この漫画はコデックス製本でぱたんと180度開くから、小さなお子さんの様子を見ながらでも読みやすそう、というのが決め手だった。見開きで1エピソードだから、ちょっと途中で読みさすのもしやすいかな、と。あとは上司がアート系の学部を出た人で、パートナーさんの本棚にエッセイが多いと聞いたことがあったから、これだなと思ったのだった。

何気ない日常の中の気づきであったり、ゆるやかに変化しながら続いていく日々の何気ない一瞬を、意識的な思考の上で纏められているところがすきで、よく読み返している。写植ではなく、書き文字なところも好き。眠れない夜や日常の隙間にふんわりと形を変えながら収まってくれるような、でも練り上げられた密さもある、そんなエッセイ漫画。現在2巻まで刊行中、12月に3巻が発売予定。

2.普段読むものと読まないものの狭間を探った本

本を贈ることにしたのはいいものの、一番危惧していたのは、(日頃から本を読む先輩に贈った本が、もし既読だったらどうしよう)ということだった。同じ理由で、私も人に本をいただくようなときは、必ず「持ってたりする……?」とお訊ねを受ける。いざ自分が贈る側になると、よくわかった。ものすごく心配になる。せっかくなら、未読本を贈りたいから。

もし既読だったときのために数冊予備を用意することにして選んだのは、(株)魔法製作所シリーズの一作目であるシャンナ・スウェンドソン『ニューヨークの魔法使い』(東京創元社)

「本は好きだけど、できうるかぎり買わない」というスタンスの先輩に贈るのに、完結したとはいえシリーズものは……? と悩みつつもこの本にした理由は、おそらく日頃読んでいなさそうなレーベルで、物語の勢いがあって楽しく読めるから。

私と先輩の読むものは、本への向き合い方が異なるように、被りすぎてはいなかった。だから、たぶんがっつりファンタジーじゃないほうがいいんだろうな……と考えて、NYを舞台に「ふつう」であることが強みになって転職を果たしたケイティの、次から次へとトラブルが押し寄せる賑やかな仕事とロマンスが楽しいこの本に決めたのだった。

……余談だけども、予備に用意していた本も未読のようだったので、私の目利きはただしかった! と一人悦に入っていた。やったね! 

3.インスピレーションで決めた本

小さなお子さんがいて、それ以前からも絵本が好きだと言っていた先輩に贈るのは……と、私が好きな大人向けの絵本をいくつか手に取ったけれども、なかなか決められなかった。絵本の沼というのは、インク沼と同じくらい深いのではないか……という思い込みがあって。

かといって、今回はお子さんに向けた贈り物をしたいわけでもなく……と悩みながら児童書の棚をうろうろしていたところ、文庫*になった柏葉幸子『大おばさんの不思議なレシピと再会した。
この本は、小学生の時に出会ってから大好きで、今も大事に単行本を持っている本の一つ。ちなみに、私が一番最初にファンレターを書いた作家さんでもある。児島なおみさんのふんわりした細い線が印象的な装画を見て、すぐに先輩の顔が思い浮かんだ。それで、これに決めたのだった。

古い一冊のノートに纏められた「大おばさんのレシピノート」には、ちょっと不思議で想像力をかきたてられるようなものたちがいっぱい載っている。主人公の美奈はちょっと不器用で、レシピ通りに作れなかったりもするのだけども、いざ作るとあら不思議、現実ではない世界に飛んでしまうのだった。『大おばさんの不思議なレシピ』は、そんな連作短編形式の一冊で、平易な文章越しに広がる「不思議」の豊かさに魅せられて、何度も何度もくり返し読んだっけ……。

そんなことを思い出しながら、たぶん先輩なら、小さかった私と同じようにこの「不思議」を楽しんでくれるはず。そう感じて、この本を渡した。

*文庫と付いていますが、偕成社文庫はいわゆるA6サイズではない文庫です

4.娘を持つ上司に贈った本

本を贈った四人の中でも、一番関わった年数の少ない上司は、本を贈っても「いやあ、読まないな~」と言いそうだし、たぶん読まないんだろうな……という想像が浮かんで、ぐるぐる悩んだ(実際、そう言われた)。引き継ぎの準備に追われながらも、頭の隅でずっと悩んでいた。悩みすぎである。

でも、「本はお読みにならないかなと思ったので……」と一人だけ違うものにするのもなあ……と思って、文庫の中でも字が大きい講談社文庫にしようと思いついた。あまり本を読まない人に贈るには、厚めの本になってしまったけれど。選んだのは、辻村深月『凍りのくじら』(講談社文庫)

『凍りのくじら』は、父親の失踪から五年経った高校生の理帆子が、図書館で「少し・不思議」な青年と出会う物語。初期の辻村作品の中でも、一番心の平らかではないところをざらざらと撫でられたような気持ちと、物語をよすがにして生きることについて考えさせられた一冊。

誰もが知っているドラえもんとその道具たちが印象的に登場するというのもおすすめしやすいポイントなのだけど、この本を選んだ一番の理由は、私が初めて読んだときに、娘を持つ父親に読んだ感想を聞いてみたいと思ったからだった。私がこの本を読んだときは理帆子に近い年頃だったのだけど、そのうちにと思ううちに、自分の父親に薦める機会は結局失われてしまった。

この上司はすぐには読まなさそうな気がとてもしたので、「できたら、お嬢さんが大人になる前に読んでみてくださいね」と添えて贈った。

ちなみにこの本は、お会計のときに店員さんに「あの、僕も娘がいまして……お話を聞いていて、あ、聞き耳立ててたみたいですみません。でもあの本が気になったので、タイトルを教えてください」と声をかけられて嬉しかったな。ちゃんとメモを取ってくださったので、読んでくれそうだった。ものすごく暗い場所にあって、かつ人数がいないと苦しいお店なのでなかなか行けないけど、再訪したときには感想を聞いてみたいなと思っている。


……などと、ずいぶん前のことのように感じられるこの四冊の本のことを思いだしたのは、本を贈った人が、一人を残して会社からいなくなったと風の噂に聞いたからだった。会社が爆発四散してしまったの!?(してない)と想像してしまったくらい、衝撃だった。そんなこと、あるんだ。まあ、あるよね……としばらく混乱してしまったくらいには、辞めるときに(また訪ねればみんないるんだろうな)と思っていたような人たちだったのだ。

もうぜんぜん一つ所にはいなくて、たぶん二度と会わない人もいるんだろうなあと思うけれど。分かたれたそれぞれの道々で、あの時贈った本たちが……たとえまだ日々の合間に埋もれていたとしても、いつか本棚や部屋の隅から見つけてもらって、その人にとって一番いいタイミングで読んでもらえたらいいなと思う。


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