だいすらい。
友達は、あなたとちょうどいい距離にいる。
たまに会って喋って、愚痴とかも聞いて貰ったりして
それで心が浄化されるときもある。
でも、毎日顔をあわせている親とか兄弟とかならどうだろう。「弱音を吐くな」「自分だけがつらいんじゃないんだよ」とか、「それくらいで弱音を吐いていたら社会でやっていけないよ」とか、ネガティブな感情に対して蓋をされてしまったりすること、あるんじゃないのかな?
だからこそあなたは誰かに
やり場のない
吐き出しようのない気持ちを聞いて貰いたいと思っているんじゃないのかな?
そんな気持ちは蓋をされると厄介で
「あんなこと言っちゃいけなかったかな」
「自分が間違ってるのかな」
「わたしが弱いからなのかな?」って思う原因づくりをすることにもなりかねない。
だから相手のこともだいすらいになる。
大嫌いで、でも大好きで、その狭間が鬱陶しくて
愛おしくて温かくて
離れたいけど離れられないくっつきすぎた関係。「あ、ほんとに家族なんだなぁ〜」って実感するからこその感情。
日々色々な感情が生まれる。
この家でこのお母さんやお父さんを選んで生まれてきたって思えるような出来事がある日もあれば、「ウザっ」て親を避けたいなって感じたり一緒にいるからこそのどんよりした感情が生まれることだってあるかもしれない。
去年実家を出た人が
たまにこっちに戻ってくるようになってわたし達と会うその距離感が心地いいみたいで、近過ぎたから何もかもが嫌になっちゃったんだろうなあって今になって気づく。
そのときはただ、家族が仲良くいてほしかったのに 喧嘩とか衝突とかが怖くて、わたしが我慢してればいいやって、イヤホンつけて自室に篭ることが多かったんだ。
でも今は、ただたまに会うからそんな喧嘩とかでさえもその人がこっちに帰って来ていて、わたし達がここで帰りを待ってないとできないことなんだよねと考えを改められるキッカケにもなった。
今ある全てが、普通
今ある全てが、当たり前
そんなことはないんだよ。
毎日あなたの好きな色で塗り尽くされていく毎日も
きっと、あなたが気づいていない内に幸せを感じているからなのかもね。
毎日を同じ色や不安なことばかりで増していく
その時間は、わたし自身もここで卒業したい。
元日、自分の気持ちを曝け出すことと何年後かにみても忘れないためにここに遊びにきたんだよ。
誰かに届いていますようにと願わずにはいられない、わたしの人生のお助けマンnoteと共に年越しができたことに感謝して、今日は一旦おしまいにしようか。
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