わたしの記憶〜本〜
下記文章は、公募作品として執筆しました。落選しましたが。
テーマは、本です。
本なんてもう読まない、小説なんて論外。私には、必要ない。だって、本を読んで培われるであろう、そんな感受性、ないほうが今の生活を送るにはちょうどいいから。
もう絶対に読まない。そう決めていた。最後に読んだ小説は、恩田陸さんの蜜蜂と遠雷。音楽を文字で表現したことで有名な本で、それって、考えただけで鳥肌が立つ。
音楽が好きで、ピアノを弾いている私が飛びつくジャンルだ。とはいえ、当時から慢性的に眼精疲労に悩んでいたので、読書に没頭することがいささか不安であった。
結局、国宝、姫路城を見に往復6時間の電車の中で、ぎゅうぎゅうの車内で読みふけり、疲れ果てたのだった。
心にキラキラが舞った素晴らしい作品だったが、読書は、毒だと思った。効力のあるものは、薬にもなるし、配合、この場合、配分を間違えれば、毒にもなるのだ。
私は、読書時間をコントロールできない。
読書は、日々睡眠時間を捻出するのに精一杯の眼精疲労の自分には見合わない。それが、どうしたことか。図書館の小説コーナーで、イライラしながら、小説を捜していた。
手にしたメモには、某有名書店の店員さん推薦の旅にまつわる本がリストアップされている。江國香織さんの旅ドロッとか。これは、コロナ渦の影響だ。リアルな旅に行けない分、かわりに読書で旅をしようという通販雑誌の特集記事にまんまとつられた。
私にとって、旅は、ライフワークにしたいものだった。ずっと旅をしていくものだと信じていた。しかし、コロナではない自分自身の家庭事情のせいで、おそらくあと十年は、旅に行けなくなってしまった。
行けたとしても、あの何も心配しなくていい、心に罪悪感という曇りがなく、どこまでも、遠くにいけるような、自由な旅はできまい。そう思うと、読書で旅するのも悪くないと思えた。
日々の生活の中で、少しずつ誰かの世界観を旅するのだ。脳への刺激である。こうして、数年ぶりに小説コーナーに戻ってきたのだ。
元々、本が好きだった。正確には、必要だった。本なしで今日まで生きられただろうか。
思い返すと、数々の本にまつわる記憶が蘇る。
あれは、幼稚園の頃。
園内の普段は鍵のかかった部屋に図書コーナーはあった。二週に一回その扉は開かれ、貸出返却が行えた。祖母に面倒を見てもらっていた私は、迎えに来た祖母と一緒に、その部屋に本を選びに行っていた。とても楽しみで、思い出すと懐かしい。
私は、昆虫図鑑シリーズを愛読しており、とにかく全部借りることを目標というか、当たり前のこととして考えていた。あるもの全て読み尽くす気でいた。
祖母は、部屋の外でも内でもないような場所で、待っていた。私は、悩むこともなく、シリーズの次の巻を数冊借りていた。シリーズの最終巻を借りた日のことだ。祖母が、「もう、昆虫シリーズ読み終わるから、次は、この本どう?」と一冊の本を手渡してきた。見覚えがあった。女子たち皆が一度は読んだのではないかというくらい人気のピンクのうさぎの本だ。
全く興味がなかった私は、即座にこう返答したのだ。「また一巻から借りるから、それは借りない。」祖母は、驚いていた。今の私だって驚く。読破した昆虫図鑑シリーズをもう一度初めから読もうというのだ。それもそれが当たり前のことのように。
祖母は、また読むの?とか、うさぎの本は人気だから、借りときな、とか、私がこの本を読んでいる姿を見たい、とか、色々言っていた。これに対する幼き日の私の回答は鮮やかなまでに真っ直ぐで、「一回読んだけど、もう覚えてないから、最初からまた読む。うさぎさんの本は、絵ばかりで読むところないから借りる必要はない。」そういって、その場でその本を一ページずつ高速でめくっていき、一言。「読んだ。」そして、部屋を後にしたのだ。
今思い出すと、自分ではない人の話のように感じる。ブレずに、真っ直ぐな人ですね、将来が楽しみですね、と。
今の私は、人に影響されやすく、合わせてばかり。どうして変わってしまったのだろう?あのまま大人にはなれなかったのか。
本のことを考えていたはずが、自分のことを考えていた。思い返せば、本と私は、仲良しだった。不登校になってもおかしくなかった小学生時代、貸出不可の学級文庫目当てに学校に通っていた。
はじめて旅人になった頃、旅のお供は、本だった。そこには、勇敢な憧れの人物たちが描かれていて、勇気が必要な時、登場人物に励ましてもらっていた。
本を一度読むと、別の世界に行った気になる。日常をすっかり忘れてしまい、それが時に、精神安定剤のような役割をしてくれていた。本は、私にとって友であり師であった。
今、再び、本を必要としている。だから、きっと、また私は、本を捜し、見つけ、ページをめくったのだろう。本との新たな関係が始まろうとしている。次は、どんな世界に連れて行ってくれ、どんな私になれるのだろうか。願わくは、幼い日の真っ直ぐな自分に戻りたい。
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