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自分が持っていないものは分けてあげることが出来ない

「そんなの当たり前だろ」
というタイトルですね。

私もそう思います。


どうも園長です。


前回に引き続き、尖りまくった採用ページに記載されている内容についての記事になります。
※まだ読んでいないよと言う方はこちら
※ちなみに噂の採用ページはこちら

マズローの5段階欲求を例にしてお話ししています。


マズローの5段階欲求の話はしないんですけど、

今回もどうぞ最後までお付き合いください。

(しないんかい)

実際の内容

突然ですが、忙しい時にイライラして誰かに当たってしまったことはありませんか?
逆に時間に余裕がある時は、道や席を譲れたりしませんか?
マズローの五段階欲求は有名ですが、生理的欲求(低次欲求)が満たされていないのに承認欲求(高次欲求)を満たすことはできない。
つまり「自分の心のコップが満たされなければ、他人のコップに水を注ぐことはできない」のです。子どもの育ちを支えるのは周りの大人たちです。
その大人たちが豊かでなければ、子どもに豊かな教育・保育を行うことは難しいでしょう。

この文章で一番大事なのは、「自分の心のコップが満たされなければ、他人のコップに水を注ぐことはできない」という部分で、何が言いたいかと言うと、タイトルにもある通り「自分が持っていないことを他人に与えようと思ってもできない」ということです。

もう少しかみ砕いていきます。

たとえば


パンを持っていたら半分にして分けてあげることが出来ます。
お水を持っていれば分けることが出来ます。
車を持っていれば一緒に利用したり、
洋服やバッグも貸したりあげたりできますね。
お金だって恵んであげることが出来ます。
一緒にいる時間や体験という意味でもシェアになるかもしれません。

では、これらがなかったら、これを読んでくれている皆さんはどうでしょうか?できそうでしょうか?

パンが無い状態でパンを分けてあげることはできますか?
お水を持っていないけど分けてあげることはできますか?
車や洋服、バッグは無いけれど貸し借りができるでしょうか?
お金を持っていないけど誰かに施せますか?
時間が無いが共に過ごす時間を取ることはできますか?

できないですよね。持っていないものを渡すのは不可能なんです。
そんなの文章にせんでもできねーにきまっとるやろが!
と怒られそうだけど、怒らないでくださいね笑

もう少し続けます。


目に見えないものも一緒


先ほど挙げたものの中で「時間」の話をしました。
時間が無い時に他人の為に時間を作るのは不可能だということですね。

時間が無い時、人はどうなりますか?
あせりますよね?
そうすると心に余裕がなくなります。

余裕が無い、ということは相手に対して余裕のある状態で接することが出来ないということです。でも自分に対しては余裕のある状態で接してほしいですよね?
ピリピリしている状態で話しかけてほしくないじゃないですか。
「えーこの人めっちゃこわいんですけどー」
「すっごい車で煽ってくるんですけどーこわいー」
状態になります。
シンプルに嫌ですね。
友達になりたくありません。

これは、けっこう原理原則をついているかなと思っていて、でも意外とみんな意識していないなと思うんですよね。
目に見えるものに目が行きがちというか…。

この考え方でいくと
・誰かに何かを教えるときも、それを知らないと伝えることはできない
・自分が受け取りやすい状態が分かっていないと、相手だったらどう伝えたらわかりやすいかなということが分からない
・自分をわかってほしいと思うなら、相手をわかろうとする努力をしないといけない

ですから
自分を大切に出来ない人は、相手を大切にできないし
相手を大切にできない人は、自分を大切にできない

自分を幸せに出来ない人は相手を幸せにできないし
相手を幸せに出来ない人は自分を幸せにできない


子どもに夢を持ってほしいと思ったら、大人が夢を持つ素晴らしさを知っていないと持てないんです。
良い人間関係を作りたいなら、良い人間関係を作れるように自分を磨いておかないといけないんです。


これが私が考える保育の源泉でもあり、私の人生における源泉でもあります。

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