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プレーンな到達点 [John Coltrane "My Favorite Things" ]

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この記事は音楽と言葉を結びつけようとするものです。
テーマとしている音楽をまだお聴きでなければ、下記リンクよりぜひお聴きになってみてください。そして聴きながらでも本記事を読んでいただければ、嬉しいです。
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 モンサンミッシェルには、素敵なオムレツがあるという。

 それは、普通よりもずっとふくふくとしていて、あふれそうなほどの泡を内に湛えるオムレツだ。

 それを目当てにモンサンミッシェルに訪れる人がいるほどに、それはあらゆる人を魅了する。


 ただ勘違いしてはならないのは、それは美食の一端を担うような食べ物ではないということだ。

 そのオムレツは昔、一人の修道女により考案された。
 彼女は、寺院を訪れる巡礼者の空腹の憂いを払おうと思い立ち、このオムレツを作ったとされる。 

そもそもが、私たちのように食に困っていない人のための食べ物ではないのだ。


 それでも今も、そしてこれからも、そのオムレツを求めて寺院を訪ねる人がいるだろう。

 思うにそれは、そこに一つの極致ともいえるほどの、シンプルさの魅力があるからではないだろうか。



 いらぬ物思いに耽ってしまった。
 今回のテーマは、ジョン・コルトレーンの「私のお気に入り」。


 正味なところ、この曲に音楽的な起伏や、目の覚めるような驚きがあるわけではない。
 原曲にあるような、ある種のPassionを求めて聴くと、いくらか拍子抜けしてしまうかもしれない。


 けれどもこれは、平凡な曲では決してない。


 ここに在るのは、単調に続くだけの平凡な道のような音楽ではない。

 それは家の前の道であるかもしれない。

 けれどもその道は、鳥が集い、風が薫り、土が唄うかのような道だ。

 日常の延長に存在していながら、あらゆる日常の粋を集めたかのような道だ。


 特別なことは何もしていないように聴こえる。
 編成はピアノとサックス、ベースにドラムであり特段の目新しさは無いし、彼ら特有のメロディを生み出しているわけでもない。


 だが、彼らの一挙手一投足が、驚くほどに、美しい。

 その音、流れ、リズムの一つ一つに気品がある。
 滾々と湧く泉のように、静かな魅力は止めどなく、その流れは尽きない。


 たしかに豪奢な印象はない。派手さもない。

 けれどもこの素材の少なさは、決して欠点ではない。


 モンサンミッシェルのオムレツ然り、この曲然り、プレーンなものだけが辿りつくことのできる極致があると私たちは気付く。


 素材は少ないのではなく、選りすぐられたのだ。
 音は足りないのではなく、磨き上げられたのだ。


 蛾のように、何かと眩いものに寄って行きたがる私たちだけれども、時には月の明かりに目を向けてみるべきだろう。

 何もかも微かなそれは、しかしそれだけで十全な存在だ。


 月の下で生きながら、月の明るさをよく知る人は、案外居ない。




マイ・フェイヴァリット・シングス<SHM-CD>
ワーナーミュージック・ジャパン

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