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「疲れる母親」発達障害を疑うも、伝えるかどうかに悩む日々。

母親といると疲れる。
いつの頃からか、そう感じるようになっていた。
母親といて何が疲れるのかというと、とにかく会話が噛み合わないことである。

母は以前に私と話した内容を覚えていない。
この程度であればよくある話だと思う。私自身、友人や家族の話を全て覚えている自信はない。しかしながら、母の「覚えていない」はレベルが違う。
例えば、私が母に面白かった本の話をしたとする。すると後日母からこんなことを言われる

“本屋であなたの好きそうな本があったから買ったの。今度持っていくね。”

そう、この本は以前に私が母に話した面白かった本である。

母の「覚えていない」エピソードは、一つの会話の中でも頻発する。
あるテーマについて話をしていても、そのテーマを忘れるため話が逸れまくる。自分の意見も忘れるため、さっきまでAと主張していた母の意見がBに変わっている。

こういうことを言うと「適当に聞き流せばいいのに」という人もいるが、私からすると話が全く掴めていないため、適当に合わせることもできないのだ。そして理解しようとすればするほど、意味が分からなくなり疲れてしまう。

また、母の話はとにかくあちこちに飛ぶ。
話の流れで出てきたキーワードに飛びついて、別の話が始まるのは基本中の基本である。
主語のないまま話が始まったので、“誰の話をしているの?”と私が尋ねると、その人の説明をし始めて話が終わる。結局その人の何の話がしたかったのは分からぬままに。

と、ここまでは母の話が分かりづらいことを説明してきたが、私の母は人の話を理解することも苦手である。内容そのものもそうであるが、その内容について相手がどう感じているのか、気持ちを理解することも苦手である。
例えば、私が最近あった面白い話を笑いながらしていたにも関わらず、“それは大変ねぇ”と神妙な顔で返されることがよくある。逆もまたしかりである。

「疲れる母親」に悩み続けて数年、私は最近一つの疑念を強めている。
それは、

“私の母は、発達障害ではないのか?”

という疑念である。

実は数年前にも母の発達障害を疑い、少し調べてみたことはあった。
しかしながらその時には、発達障害の特徴として挙げられている項目で母にに該当するものが少ないような気がして、そのまま流してしまっていた。
けれど最近になって再び調べてみたところ、ADHDの特徴として挙げられている項目に該当するものが多いように感じている。

・話を聞くことが難しい
・話の内容を覚えられない
・頭の多動性により話があちこちに飛ぶ
・相手の気持ちを察することが難しい

といった特徴である。

私は今、このことを母に伝えるか否かとても迷っている。
理由は二つある。
一つ目の理由は、母に以前“お母さんは発達障害ではないかと思う。一度調べてみない?”と伝えた時に、母にめちゃめちゃ怒られたからである。
母としては、何十年も“普通”に仕事をしてきた私に障害がある訳がないとのことで、それはもう大変に怒っていた。
私としては、発達障害でも仕事をしている方は大勢いるので何ら不思議はない。また発達障害には“障害”という言葉が使用されてはいるものの、あくまで特性であるという認識であるが、母には伝わらなかった。
このことから、再び母を怒らせてまで伝えるべきか私は迷っている。

二つ目の理由は、既に還暦を越えた母が今更発達障害と分かったところで、何かが変わるのか疑問に思うからである。
私としては、母との付き合い方が少しでも楽になるのではないかとの希望を持ってはいる。しかしながら、母は上記に挙げたようなエピソードを“よくある”“普通”のことだと認識しているため、私が細かいと感じている様子なのである。なぜなら、今まで職場や友人からそのような指摘を受けたことがないからと母はよく言っている。
これについて、確かに私は細かいと思う。けれど同時に、たまに会う人と一緒に暮らす家族とでは距離感が違うからではないかとも私は考えている。
事実、父は母に対して私と同様の想いを抱いており、数年前に父からの申し出で離婚している。父が離婚したい理由をまとめると「話合って分かり合えるパートナーをみつけたいから」というものであった。
このことから、伝えた所で結局何も変わらず、還暦すぎの母にストレスを与えただけになるのではないかと迷っている。

伝えるか否か迷いに迷い、ネットで色々調べてみたが、、、
「子供が発達障害」という記事は沢山出てくるのに
「母親が発達障害」という記事はほとんど見つけられなかった。

発達障害の人をパートナーにもつ、カサンドラ症候群についての記事もみかけるが、私に当てはまるものが多く少し驚いた。
私は幼い頃、とても無気力でとにかく消えてなくなりたいと思っていた。
このことは、母の特性(人への無関心さや気持ちを共感できない)による影響があったのではないかと今では思う。
大人になった今は、友達や恋人との交流によりカサンドラ症候群の症状は克服することができた。けれど母との会話による疲労だけは、今も悩みの種である。

母と会った日の翌日はほぼ無言で誰とも関わらないようにしている。何も考えない時間を過ごすことで、エネルギーをチャージして回復に努めるのだ。少しエネルギーがチャージされると、次は自分の気持ちを整理する。何が嫌であったのか、どうして欲しいと思ったのか、今後どうすれば良いのか。

そして今日も私は、疲れる母との会話から回復するために、この記事を書いている。


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