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私は「野外探検大図鑑」育ち


あなたは図鑑、好きですか?


この記事は私が小さい頃から飽きずに眺めて、ひとり暮らしをするときに実家から持ってきて、ずっと手元に置いている図鑑の話です。

***


幼稚園生の頃から配られる四季の図鑑が大好きで文庫本サイズの季節毎の図鑑に、草花や生き物がギュッと詰まっていて楽しかった。

それは写真付きで、小さな子にもわかるようなホンワカした説明文が載っていたと記憶している。

そんな図鑑を楽しんでいた私の元に、新たなる図鑑がやって来たのは小学校低学年の頃。


それが題名の
野外探検大図鑑


表紙でわかるように、この図鑑
中身が、ほぼイラストなのである。

山菜のページ
雑木林のページ


この図鑑はたちまち私を虜にした。


よく観察された美しいイラストも素敵なのだが、説明や合間のフィールドワークのやり方説明の書き方で「自然と遊ぶ」事を本気で楽しんでいるのが伝わるのだ。
読めない漢字が多いうちはイラストから動物や植物の美しさを感じ取り、読めるようになって「本気で遊ぶ人」の煌めきを知る。

説明にちょいちょい「美味しい」があるのもいい。食べ方が載ってたり、逆に美味しそうに見えるけれど危険な植物が載っていたり。
海の生き物も載っている。
私が雑草を口にしていたのは、この図鑑の影響だし、ドングリをなんとかして食べようとドングリクッキーに辿り着くのも、この図鑑の影響だ。



出版されたのが90年代なので、書かれていることはもしかしたら今は違う事もあるかもしれない。
後ろの方に載っている動物園や博物館の中には閉館してしまったところもあるかもしれない。

その時代にはそうだったのかと思えるのも図鑑のいいところなのかも知れない。
すべて改定してまえば、何時だってその時の正しい知識だけど、そうじゃなく、昔はこう考えられていたのかとか、そういうのも楽しみたい。



小話のページが好きだ。
そこに「キツネのおしっこ」という小話がある。私はこの話のページが特に好き。
書き手曰く「冬の遊びにかんじきを履いてウサギの足跡の追いかけごっこがある。」のだそうだが、町中育ちの私には縁遠い遊びである。
今ならわかるが、書いた人は東北の人。
「宮城蔵王の麓で」とある。
その時はキツネの足跡を追っていたようで、そこでキツネとウサギの壮絶なやり取りがあったのを、足跡や血痕から想定し、キツネが雪の下に隠しておしっこをかけて主張した場所を嗅いでみたり、獲物を掘り起こしたりしている。

私はこれを集中して読んだし、その観察をやってみたいとも思っていた。
自然界での命のやり取りは、子供の私にとって恐ろしいものではなく、美しいものだった。

捕食行為に対する「可哀想」というのが、最初からほぼ無かった。
動物に意味のわからない人間目線アテレコをしたりしないドキュメンタリーを見続けていたからだろうか。

小さい頃から、命は平等なのだと何処かで感じていた。

だからこそ、人間が人間臭く観察している感じも、それでいて、自然に対して敬意がある感じもするこの図鑑が大好きなのだろう。



そうそう。
この図鑑。
フィールドワークがしたくなる図鑑なのだ。
さすが「野外探検」とついているだけある。
合間合間に「〇〇で遊ぶ」「〇〇を楽しむ」というページが出てきてそこだけ写真付きだったりする。

草木染めのやり方だとか、標本の作り方、押し花に、スケッチの仕方、観察してどうやってフィールドノートをつくるかとか、虫や魚をとる為の罠の仕掛け方とか………とにかく「やってみたい!」と思わせてくる。

この中で小さい頃に実践できたのは魚の罠くらいだろう。
フィールドノートは大人しく描いてられず、落ち葉に埋もれる方を選んでしまっていたし、草木染めは材料が親頼みの為断念。


ひとつだけ紹介したい。

いつかやりたいと思ったけれど、今はいいかなって思っている遊び。

これは写真。
綿毛が瓶の中でドライフラワーになっている。
これには憧れた。ドキドキした。
人に恋したことはない私だが、一目惚れってこういうドキドキなのだろうか?


コレのやり方の説明の前の文章も好き。

友だちの部屋を訪ねたら、机の上に三つの瓶が並べてあった。ひとつには海辺で拾ったきれいなビーチグラスが入っていた。もうひとつはさまざまな木の実が、そして残ったひとつには見事に開いたタンポポの綿毛がまるごと入れてあった。タンポポの綿毛をそのままドライフラワーにしてあったのだ。そこには野原の一場面が切り取られていた。しかもその綿毛は口の小さな瓶に詰めるというマジックが使われていた。どうしたらこんなことができるのだろうか?友だちは「内緒だぞ」といってその作り方を教えてくれた。それは自然の摂理を利用した、ちょっとした魔法だった。

野外探検大図鑑・タンポポであそぶ・より一部抜粋


「内緒」「魔法」子供心がくすぐられる気はしないだろうか?
こっそり、自分達だけの魔法で、タンポポの綿毛を春じゃない季節にも眺め続けられる。
秘密基地に招かれたような、そういうワクワク感が文章から感じられる。

というか、友だちの机の上が最高だよね。
ビーチグラスは私も瓶に詰めて持ってるけれど、木の実は虫がわいちゃうから詰めてないし…なによりタンポポの綿毛を口の細い瓶に詰めて持ってたりはしないのだ。

けれど、大人の私はこれを作るのは諦めた。
やり方を知って、大人になった今、できない事はないだろう。

でも、やっぱり、綿毛には自由でいてほしいから。


考えて、出来なくなった事もあるし
考えて、それでもやってみる事もある。

その選択の前には何時だって、本気で遊んで、教えてくれる先駆者がいる。

幼い私にとってこの「野外探検大図鑑」は憧れの大人像であった。


まぁ、フィールドワーク(野山を歩き回る仕事)をしたいと申し出た小学生に道を示せる親や先生には恵まれなかったわけだが……。

子供の発想は想像以上にやわらかい。
伸ばそうと思えば何処までも伸ばせる。
逆に圧縮しようと思えば何処までも圧縮される。
私は小さな虫かごに押し込められた感じで、その虫かごのなかの自由さしか知らなかったのだなと、大人になって思う。
(これは図鑑と関係なくなるので、ここで割愛しよう)


結局、写真を撮り歩き、野山を気ままに散策している今がまさに憧れていたソレなわけだ。
スケールは想像の十分の一くらいになっているかもしれないが、それでも、小さな私が抱いたものはこうして私に繋がっている。

その事が少し誇らしく、少し嬉しい。

これが私がずっと持っている
図鑑と私の関係なのだろう。


***


何にワクワクしましたか?
それに触れてみましたか?

柔らかな子どもの時にもっと沢山経験したかったなぁと思うことはありますが、今、経験していく中で、それは色褪せることなく、より鮮やかに輝き出します。

あなたが見つけて、あなたが抱く。
そうして開く世界が素敵なものでありますように。

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