花束をもらうより
縁結びの神社が、やたらテレビで取り沙汰される時がある。若い女の子達のきゃっきゃとした空気が場に充満する。
その時、勤めていた職場のバイトの子も、嬉しそうにそんな神社へ行ったのだと私に話してくれた。
御籤も確か、見せてくれたのだ。
私は一通り、彼女の話を聞きいた。
そして、私はこう言ったのだ。
「いい?これはね、花束をもらえるってことではないのよ。一緒に花束になる花を作る人と出会いますよ、と書かれているわけ。だから、すぐに『わぁっ』となるような、そんなわかりやすいものではないのよ。花を集める努力を怠れば花束にはならないのよ」
彼女はキョトンとした顔をした。
それもそうだろう。
この手の話をする時は、きゃぁきゃぁ言い合って、見もしない麗しい花束に胸ときめかせるものなのだろうから。
彼女は私の言葉の意味を理解しないだろうなと、その後の会話の言葉選びから感じたが、今の私はそれでもいいと思う。そのまま、素直にキラキラと夢を見て進むのも悪くない。
花束に喜んだ結果、花を愛でる心が生まれ、そのうち育てることにも喜びが生まれるかもしれない。
当時の私は若かったので『あ、こりゃ、わかってないな。駄目だな』なんてバッサリと切ったように思うが、歳を重ねて、そんな事も愛らしい気がしてくるものかとしみじみする。
私にとって愛とは育てるもの。
与えるものでも、与えられるものでもない。
教え合うことはあるかもしれないが、その後はやはり、共に育てるものだろう。
花の命は短い。
美しい花びらから甘い香りがする期間などほんの僅かだ。
その期間だけを愛と思う人生は、少し寂しいと思うのだ。
私は種から愛おしい。
何の変哲もない粒でしかないソレは、とてつもないエネルギーの塊である。
それに優しさを込め、沢山のものが関わって、やっと芽が出るのである。
枯れたあとも土にもどり、また別の種へ受け継がれていく。
この星の縁とはそういうもの。
私はこの星と縁が薄いから、沢山の種や芽や草花達に関わることはないが、必要なものは風に運ばれやってくる。
そういうものだと感じている。
ふと、あの子は今頃どうしているだろうと、顔も名前も思い出せない人との事を思い出す。
私、自分でもたまに驚くほど、人の事を覚えていないのよ。それなりの期間、共にいたはずなのだけれど。
ただ、話した事はいくつか覚えていたりする。
きっと、それは、大切なことなのだ。
最初から。
愛は様々。
決まりはないよ。
私にもこれ以外にいくつも形がある。
これは無数にある愛の中の一つの形。
あなたの愛が、あなたを凍えさせるものではなく
あなたを温め、新たな芽をだす力になるものでありますように。
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