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心の矛盾 


今とても幸せです。

身体も健康そのもの。
いえずっと幸せでした。

子供が産まれて自分の家族を持ってから
ずっとずっと、、幸せなのです。

だけどふと 幸せが怖くなるのです

私は必要とされているのか。
この場所にいていいのか。 
私は生きていていいのか。
何もできていない不安に襲われるのです。
そんな時は必ず自分の生い立ちを振り返り
なぜそう感じてしまうのか。

内観し。心を沈めます


子供達

熱心なエホバの証人の信者の
母のもと 育てられました

私は一緒に勉強したらお母さんが
喜ぶのが嬉しくて。集会や勉強会に參加していました
ものみの塔、目覚めよ!冊子でよく勉強しました。
美しいパラダイスの挿絵のある本は私も大好きでした

黃色い本と進化論が説かれた青い本が印象的でした

※※※※

母は今は洗礼をうけ エホバの証人として活動しています 生き甲斐だと思います 

昔は反対していた医師である父は信者ではありませんがzoom集会へは付き合ったりするようです。

今は両親は北海道 私は関西です。

孫の私の娘にもラインで聖書の話をしたり
コロナ禍になりzoom集会勧誘もするようです
娘はおばあちゃんの話し聞いてあげると喜ぶし。お小遣いもらえる。そんな感じで。私に報告してきます。
色々な思いはあります。
ただ 今はもう波風を立てたくないので
その事は黙認しています。。

エホバの証人の団体は
正式には「ものみの塔聖書冊子協會」

エホバの証人といえば世間的には「輸血が禁じられている」「普及に家に小冊子をもって訪れる2人組の穏やかな人たち」位のイメージかなと思います

だいたいみんな良い人なイメージでしょう。

エホバの証人では信者同士のことを「兄弟姉妹」と呼んでいました。兄弟姉妹で集まって毎週集会を行い聖書の勉強をしたり、「奉仕」と呼ばれる布教活動を行っています

爭いや政治參加が禁止されているので、他の宗教団体と比べて派手な活動を行っていないし、有名な方もいないように思うので。いたって地味な宗教かなと。

今となると 普通でない事も多くありました。

母の言うことにただ従い、普通だと思っていました。
でも、成長と共に社会との繋がりも増え友人との交流もふえ母のしつけや 兄弟姉妹と呼び合ってる人達の考え方が?普通じゃないよな?と思いました
母と父との喧嘩の理由の1つでしたし
反対している父の尊敬が膨らみました

血が不潔だとかどうしても飲み込めなく
生物学的に
身体の構成をしている組織だと
読書の虫だったので本でみて理解していましたし
医師である父のそばで将来は看護師か
薬をあげる人になると思ってたので
どうして血が不潔という教えが
変だという思いは大きくなりました。

エホバの教えの普通と社会の普通の間に挾まれる
小学生高学年の頃
尊敬してる父親も血のつながりのない事を知りました。段々と精神的に揺らぎ 
いつしか、母への反発心が大きくなり
母のと関係がまともではなくなりました。

未だ養父は信者ではありません

幼い頃。
養父を自分の父と思っていた頃
養父は母の活動を止めて喧嘩もしていました
そのたびに、母は必ず 私を連れて出て行くと。
夜中に泣く。
なぜ私だけなんだろう
お父さんに嫌われてるのかなとか
色々な想像をふくらませ
結果的に精神的にもバランスがおかしくなったように
思います。

あの頃の度重なる蕁麻疹はおそらく
幼いながらにストレスだったのでしょう。

エホバの証人は競走禁止。
後からわかりましたが政治參加も禁止。
よく言われたのが
戦いがある漫画はダメ。さらに厳格に婚前交渉禁止なので、その誘発をしかねない恋愛漫画も禁止 
友達にかりて コソコソ読んでは叱られました そのたびに罰をうけました。
テレビもNHKの教育番組以外は
かなりの制限をされました。褒めてもらえるとおもった
児童会選挙と当選
母のあの嫌悪に溢れた顔は
忘れられません。
その頃から家では誕生日会やクリスマス会
あらゆる年間行事も無くなるようになりました

誕生日のお祝いもしなくなったのも
寂しいとかよりも反抗心が膨らみました

エホバの証人のエホバは全知全能の神。イエス・キリストはその息子であり、代弁者です
エホバという神以外は崇拝してはならず
教えの出典はすべて聖書です。
聖書の一言一句が掟です。

偶像崇拝も禁止ですから
神社やお寺に行くことも忌み嫌います
お祭りは屋台だけ。初詣も禁止されました。
キキとララが大好きで グッズを集めていたのに偶像崇拝と変わらないと。
いきなり捨てられたのは子供心に深く傷ついたのも忘れられません。

エホバの証人とは
エホバが正しいと証明する人なのです

いずれ來るハルマゲドン(世界の終末)の後に楽園がやってくる。その楽園に行けるよう現世ではエホバの教えに従って生きましょう、というものです。
復活と呼び 復活した時には
苦しみのない世界がまっている。と。
信じていないと復活は出來ない。
そんな勉強をしました。

以下は最近調べてみました。

このハルマゲドンには歴史があって、最初は創始者によって1914年に起きると予言されていました。その年にたまたま第一次世界大戦が起きてしまったので、信者が拡大したそうです。
ハルマゲドンが起こると、地球が崩壊する。その後、信者らが生き殘る。エホバの証人の教えに反対した人たちは生き殘れません。だから毎週、地域を訪問して勧誘をするのは、生き殘るチャンスを伝えるため、多くを救うためという理念

エホバの証人では、生きている間の義務は、教えを守る。反対されても、迫害を受けているのはハルマゲドンが近いからだとむしろ喜ぶ。そんな空気感でした。

今回のコロナもおそらく
ハルマゲドンが近いと思ってるに違いないと感じます。
おそらくますます伝道活動に勵まれているのではないでしょうか。

楽園に行くと苦しみから解放されます
幸せしかない。のです。

 七重がそんなんだったら いつまでもお母さんは
洗礼をうけられない
 信じないなら 一緒に楽園に行けない
何度となく言われました。

 勝手にしてよ。私を巻き込まないでよ
 私のせいにしないでよ。

1番下の妹は精神を病み自殺。
早くに私が家を出た事はきっと
1つの要因になっていると反省しても
しきれません。

1人は自傷の跡があちこちあり半袖をあまり着ません

子供達は一人としてエホバを信じていない それなのに母は復活したら悲しみも苦しみもない。そんな事あるのでしょうか。いやそうなると思えているというのも不思議なのです。

エホバの証人は
信者をたくさん獲得しなさい、とか、いくらお金を収めなさいとも言われません。他の宗教とは違って社会問題にならず、「被害者の会」がないわけです。

教祖もいなくて信者の集いというかたちです。権力闘争がないのではないでしょうか。

他の宗教のように聖書を解釈した人が聖人になる、ということもありません。みんなが聖書研究者と呼ばれています。

私が母と過ごしたころは
母はまだ研究生でした。

小さく芽生えた不信感から 勉強どころか教えを否定し出した私に

七重がそれじゃ一緒に楽園に行けない
七重が改心したら一緒に苦しみから解放される 私が一緒に復活できないなら
エホバやめる!とか泣かれたり
そんな事を言われたように思います
そもそもそんな話しやめて欲しかったですし 私の存在を天秤にかけられる事が嫌で仕方なく。

見たこともない自分を捨てた父親に
憧れさえ抱きました。
実父とは何があったのか 
母はほとんど語りません
 優しかった でも 噓つきだった
実際のことはわかりませんし
何があったのか、わかりません。
そして。
母の生い立ちもほとんどわかりません。

ただ きっと
私を出産する前から 母は幼少期から
予想も想像もできない苦しみがあって
そして再婚してからも心に闇を抱えていた事があって 何かが引き金になった時そこにエホバがあって救われた。

実際に、母は今すごく幸せそうです。

でも。エホバに出会う前 私の幼少期はよく笑う優しいお母さん。怒ったらゲンコツくらいだったし 悪い事をしたら ムロに閉じ込められる。確かに少し行きすぎるしつけをするタイプではあったように思います。怖かった。きっと未だエレベーターや天井の低い狹い部屋が苦手なのはそのせいだと思います
でも。なんでもできて色んなことを教えてくれていつも手作りのお菓子やパンがあって。
いつも手作りのセーターや洋服を著せてくれて
いつも綺麗に髪の毛をセットしてお化粧していて。いい匂いがした。
弟が産まれてすぐに妹が産まれても
勉強もよく見てくれたし 
5歳で読み書きができて絵日記や
一緒に編み物やお絵かきをしてた記憶

弟達が産まれる前昼夜働いてくれてたのも記憶の片鱗にあるし綺麗で自慢の母で大好きでした。

エホバの研究生になったのは
おそらく私の小学2年生頃と
思います
偶像崇拝にあたる国家、校歌を歌ってはいけないなんて事もありました。そして始まった
聖書の教えどおりのムチウチ
全て手作りでお祝いしてくれた誕生日のお祝いも
このころからなくなりました

違和感と決定的な衝撃をおぼえたのが
毎週研究生としている母と勉強しているとき
姉妹として講師にいらっしゃってた
優しい印象の田村さん※名前仮

田村さんにはまりこちゃんという可愛らしい女の子をいつも連れてました
記憶では2〜3歳くらいだったと思います

弟や妹の面倒をみるのが
あたり前で小さな子供が好きな私は
まりこちゃんと會えるのが嬉しい
勉強会でもありました

その日のまりこちゃんは少し
田村さんの気をひきたい日だったようで
私の目から見ても少しぐずりがちでした
そして私の目から見てもわかるよう
わざとお茶をたおしたのです

まりこ

田村さんが言いました
いつも可愛らしい高め声の田村さんの
低音の重い声 私もゾッとした低い声

するとオムツをしているまりこちゃんが
自ら。。みずから お尻をだしました

田村さんはカバンから金具のとれた
ベルトを出して 2回。

お尻をうちました。

そしてごめんなさいと言う
まりこちゃんを抱きしめたのです。

この矛盾に。吐き気を覚えたのです。

日頃からムチ打たれるのは
私が噓をついたり 悪いことや 約束を守らないから仕方ない。
それが決まりだからと思っていたのです。あの頃 年の数だけから悪い事をした数✖︎歳の數
いつしか100回近くはうたれるようになり
ミミズ腫れができる。逃げたら1からやり直し正座さえまともにできず
寢る時も仰向けが無理な日々。
でも悪いことしてる自覚は目一杯あったし。仕方ないかと理解していました。

でも。なぜ?どうして?
こんな小さな子に?それが教え?
そしてこんな事 田村さん まりこちゃんに
いつもいつも。してるの?ぐるぐる巡りました。。こんなに小さいのに?ひどい。
次の週からどうしても田村さんに、会いたくなく
勉強に參加するのが苦痛になりました

その頃から勉強会にでないための
噓までもつくようになったのです

そして打たれる。帰らない噓をつく
家にいなくていいように
習い事をしたいと理由をつけては
母と距離をおきました。
噓もいっぱいつきました
なんの罪悪感も感じなくなりました
叩かれればそれで終わる。
痛みにも鈍感に、強くなりました。
痛いと急激に眠くなる未だにそれは変わりません。

家にいるより外に居る方が楽しかったので、習い事もバイトもいっぱいしました。

そしてバイトで頑張った分だけ
自分がバイト代として評価される事への 働く事の喜びを知りのめり込みました。

私が自分で働いたお金はなるべく貯金をしました

その頃はすでに家では 必要な事以外
話さなくなっていました

家を出たくて進学は家をでて寮にはいり
小さな頃夢みた看護学校にすすみたい。

それはダメ。まず高校へ行きなさい

看護師の道がお前には無理だと
言われたような気持ちになりました。
医師である義父とは血も繋がっていないし。そんな道は無理だと言われたように感じました。

そう。中学2年の時1ヶ月半の
家出をしました。その時はもう帰らないつもりでした。お金もつきてしまい結局母に連絡したら
自分の生い立ちがきになるなら
実父方の親戚やおばあちゃんにいけと言われました
実父が本当に情けない人であった事をしりました。私に顔によく似たおばあちゃんに抱きしめられて泣かれた時謝られた時は辛かった。
そして今の義父の素晴らしさや実母の苦労を聞かされて。ようやく前を見ようと思えた矢先

進路相談。理由もわからずただ高校へいけ。

絶望。

何をどうして良いかわからなくなった。
とりあえず地元の高校へ進学しました。

目立つ存在だった事 噂話に同調した事
タイミング的な事が重なり
権力を持った生徒から目の敵にされ
イジメに合い全校生徒から総スカンされる。

味方になってくれようとしたフリした津川。
男女の関係を持ちそのあと酷い 
ニックネームをつけた。。

53 〔ゴミのゴジュウサンとニックネームをつけて]

毎朝黒板に 53と書かれ 机を廊下に出される。

もう、家にも学校にも友達にも。
私の居場所がないと感じた冬
物置の梁に紐をつるし首吊りをした。
紐が切れて下半身はぐっしょり濡れていて。
寒くて目がさめた。死ねなかった。

偶然なのか そこに来た実母。

死のうと思ったと言う私に

死ぬ気もないくせに。

だいたいそんな事したら楽園にいけない
だいたいそんな簡単にしねません。

確かに死ぬことが出来なかった私

実母は私の事何もみてない。
クビにできた鬱血の跡もみていない。
あと少しで死んだ私を心配なんてしない。
死ねずによかったと抱きしめて欲しかった私に
こんな時でも楽園の話をする事がもう
ただただ泣けました。

間も無くして
義父のお金が無くなった話しが
浮上します。犯人は私か弟です。
日常茶飯事でしたから。
ただ その時私ではなかったけれど
もちろん
お互いどちらも認めない。
お互い言いつけもしない。

義父が一言 弟じゃなきゃいいわ。

ここに実母が過剰に反応しました。
実の子供じゃなきゃ何をしてもいいの?
ここまで言われて七重もこの家にいることないよ!

日頃から家を出ると反抗してた私。
まだまだそんなこと本気で思ってなかった。 

でも。
実母から私に出て行け勧告。

腹はきまりました。
心の条件は整いました。

生まれた事すら間違いだった
わたしはずっと母にとってこの家にとって
邪魔物だった。出ていこう1人で生きていこう。

大好きな弟や妹と離れる事は辛かった
おむつを変えおしめを洗いミルクを飲ませ
何度寝かしつけた事か。背中にお漏らしされても
吐かれても愛おしい存在だった。離れるのは
辛すぎた。
しかしその辛さより母に拒絶されたことが思いの外こたえた。

どれだけの精神的苦痛を妹や弟に与えてしまうのかを。それがわかるのははるか後のこと。

新聞の求人広告で見つけてあった
この冬暖かい愛知で高収入を。
そして誰とも会話しなくてよさそうな
工場勤務。面接をして北海道を出る事になりました。
すでに人と話すことが怖くなって苦しかったので迷いなくの就職

高校中退自分の荷物はほぼ
徒歩2分の焼却炉へ運び焼いて。
2度と戻らないと心に誓い。荷物をまとめて
バスに乗った時。

七重なら大丈夫。母にそう言われ見送られた時

貴女はいなくて大丈夫な存在
楽園に一緒に行けないんだから
もう居ないも同じ。

まだどこかで母に止められたかった事に気づきバスで号泣しました。

私は私で生きていく 今この世を しっかり自分で。
そして新しい家族は自分でつくる。

こうして私は私の生き方を
自分で決めていく事にしたのです

家をでて約30年
今は両親とも打ち解けて
とても穏やかな関係です。
何年かに一度は会いに行きます。

ラインが出来て他愛無い会話もします。

だけれど母は未だに前を向けていないと
過去を認めず過去にとらわれている。
そして自身の心の救いを求めて
エホバの証人として活動しているように
思えて仕方ないです。

妹が自殺したのもきっと私が家を出た事も 原因の1つで。
もう1人の妹も私も自傷行為や
過食や拒食に悩んだ時期があったのも
一時末の弟が引きこもりになったのも
上の弟かいつまでも親のすねかじりなのもどうしても
あの頃エホバの教えのしつけのせいだと
思えてならないのです

だから母とは距離をおく。
たぶん傷つけてしまうから

私は変われた 強くなれた。
自分を愛せる努力をする事が
幸せだと気づけた

自分を愛せなければ
大切なものに愛を伝える事は出来ないと
気づけたから。

私も母もお互い別の場所で幸せなのです

まりこちゃんもステキなお姉さんになって
立派な二世信者として伝導活動をしているのです


私は自分の家族を大切にして
生きていくと決めてきた。
それでも。もし生まれ変わっても
私は母の子で生まれたい。
母の子に生まれて後悔はない。

そう思ってる。

幸せが怖くなった時 
私の心にある何かを思い出したい。

幸せは自分がきめる。心の矛盾が生きているって
ことだから。



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