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▷ユーモアと『羅生門の地獄』

 先日、宝塚市の手塚治虫美術館にて先生が超大作・ブッタより「神は人の心に在るんだ」的な事を仰っているのを拝見したが、ならば鬼や悪魔が住むのもまた人の心であるだろう。テクノロジーの普及による物質・情報的な豊かさと反比例する様に、疑心暗鬼や人間不信が跋扈する世の中である。鬼が鬼を呼び、古今和歌集序章さながら、ヒトの心を種として勝手に増殖しゆく顛末だ。(私は勝手に"コン怪":コンクリートジャングルに潜む怪物、と命名している・笑)

 鬼に心を盗られぬ為に、まず人々は今一度、我々が日頃操っている「言葉」が不完全である事を再確認せねばならぬ。言葉を介して人間同士が理解し合える領域なぞたかが知れている。ヒトの脳の許容範囲は狭く、規格以上も以下でも自ずと排除される仕組みだ。(故に騙され易い。)特殊な経験など特にそう。貴方の個人性などに誰も聞く耳なぞ持っていない方が正常なので、悲しいがまずそれに慣れよう。

 また、「正義」や「道徳」なんてものを場の状況次第で都合良く歪曲したり、呆気なく覆えすのも人間の本質である事に慣れるとよい。なので、正義のヒーローや、博愛主義者の愛すらも信じるに危うい。老婆の身ぐるみを剥いだ勇敢な雨止みを待つ下人の如く。(これが人間不信を呼び込む現象を私は勝手に『羅生門の地獄』と呼んでる。)

 そんなこんなで、言論の不自由に病み「自分が存在できる場所は無い」という種の卑屈に苛まれながら半生を送ってきたが、この春やっと状況改善の糸口の一つを発見した。

 それがユーモアである。誰しも理性では「駄目だ」と思いながらも、クスっと笑ってしまった経験があるはずだ。あの領域には、あらゆる規範の裂け目がある。善悪を転換したり、言論の不自由を打ち破る武器になるはずだ。もし、私のジョークやギャグによって熱心な道徳主義者がクスっと笑えば、それは私の勝ちである。我ながら、これは仙人の境地である。

 最近は喜劇やお笑い芸人に対する敬意がますます高まるばかりである。漫画を描き始めて1年経つが、一つの論理が決壊したり、解釈の表裏が転換したり、捻くれているネタを描けた時ほど達成感を感じる。

 情報の大海原でこんな文章は誰にも届かぬだろうが、私自身はこの主張の価値を理解しているつもりだ。

ぜひ、「性格が卑屈だ」とか「他人と対話しても無駄だ」と思う方にほど、ユーモアの美学をススメたい。

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