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みにくいアヒルの子

私には何もない。
いつもそう思ってきた。

いや、無いわけではないのだ。
たとえばモデルの仕事は、15年ほどさせて頂いた。服を着てポーズを取るのも、顔の表情をあれこれ変えるのも朝メシ前だ。
ラジオだって15年以上になる。アシスタントはもちろん、メインパーソナリティとしても一人喋りもさせて頂いたし、テレビ番組だって、司会からゲスト、リポーターまで幅広くさせて頂いている。

しかし、そういうことではない。
私には何もないのだ。

たとえば関西テレビ『サタうま!』にレギュラー出演していたときも、よく思った。
辻本茂雄さんには、新喜劇がある。
シャンプーハットのお二人には、漫才がある。
『サタうま!』に出てタレントの仕事をしていても、ちゃんと自分の軸足があるのだ。

しかし私はどうだろう。
ラジオやテレビ、ドラマなど色々なことをさせて頂いてはいるが、一体何を軸足にタレントをしているのだ?

それを痛感したのが、東日本大震災だった。
未曾有の災害に胸を痛めた芸能人たちは、続々と被災地に足を運んだ。
歌手は歌を歌い、漫才師は漫才を、落語家は落語を披露して、被災地の方々を元気づけた。

では私は芸能人として、いったい何ができるのだ?
私だって歌は歌えるし、ピアノも弾ける。
しかし私の歌やピアノを聴いて、誰が喜んでくれるのか。

このとき、わかった。
私には、『軸足』が無いのではない。
私には、『芸』が無いのだ。
実のところ、
「六車さん。60分間差し上げますので、ここにいるお客様を楽しませてもらえますか。」
と言われたとしたら、私は何もできない。


私には『芸』が無い。
これは芸能活動をする中で、コンプレックスとして大きくのしかかった。
あれこれ悩んだものの、結局何も見つからないまま40歳で結婚し、41歳で出産をした。

出産を境に、仕事が激減した。特に競馬の仕事は顕著だった。男性ファンを対象とした競馬のトークショーは、競馬に詳しい『おばちゃん』より、競馬のことは詳しくなくても『若い女性』へとシフトしていった。

しかし、これは仕方がない。
男性対象の仕事は、年齢を重ねれば無くなっていくものだ。私だって『サタうま!』を始めた頃は、同じように先輩方の仕事を頂いてきたのだ。
これは順番。だから、なんとも思わない。

しかし、このままでは仕事が先細りするのは目に見えている。
いや、それならそれでいいじゃないか。
娘という宝物を授かったのだから、これからは家族のことだけを考える人生だって楽しいハズだ。

しかし。。。やっぱり私は、仕事が好きだ。
子供はいつか親元を離れる。その時、引退してもう一度この世界に戻りたいと思っても、もう二度と戻れないだろう。

だったら忙しいのを覚悟で、新しいことを頑張ってみよう!
これからの人生、自分がずっと楽しみながら続けていけることを。

ずっと続けていくのなら、自分の好きなことじゃないと無理だ。競馬をあれほどハマったのは、競馬が好きだからだ。
では、競馬以外で私が好きなことは何だ?
それは、『体の仕組み』だった。
体のことをしっかり学んで、体の中から美しくなれる方法を、女性に伝えていきたい。

こうして私は、六車奈々の『食べる美人塾』をスタートさせた。
家事と育児と自分の仕事、さらに主人の仕事も手伝いながら、早起きして美人塾の作業をする毎日。ひたすら本や論文を読んで勉強し、勉強したことを、どうすれば『お勉強』にならずに楽しい伝え方ができるのか?何度も何度も台本を書き直して、一つの作品を完成させる。その作品が一本ずつ増え、今では30本以上のネタを持てるようになった。

ふと気づいたとき、美人塾でやってきたことが自分のものになっていた。
60分でも、120分でも、与えられた時間の中で、老若男女を問わずお客様に喜んで頂けるようなエンターテインメントを提供できるようになり、実際に講演依頼もリピートも増えた。

そう。ついに私は、私だけの『芸』を持てたのだ。
16歳でモデルを始め、自分に自信が持てるようになるまで、実に30年もかかった。そして私は今、はじめて『人生が面白い』と感じている。

2020年、美人塾は次のステージへと駒を進める。
この一年も、沢山の方に支えていただきました。本当にありがとうございました。
2020年、進化してゆく六車奈々の『食べる美人塾』を、どうぞよろしくお願い致します。


2020年が、皆様にとって幸せ多き一年となりますように!

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