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10年ぶりにアイドルを推すようになった話

2020年の秋。
在宅勤務が始まって半年を過ぎそうになったそんな時期を境に、
以降、私は懐かしき中学時代ぶりに「アイドルを応援する」というライフワークを普段の生活に追加することになる。

黙って推していればいいのだけど、
「「なぜ私が”アイドルを推す”に至ったのか」について、いつかちゃんと考察してみたい(なんでかというと、そこに”人や物を好きになる仕組み”みたいなものが隠れている気がしたから)」と思っていた「自称・心だけは文化構想学部人間」なので、この機に少し考えてみたい。

*意外、意外、意外… の応酬

きっかけは、いたって身近な友人が「とあるアイドル推し」だったことが発覚したことだった。
それを当人はほとんど公にはしていなくて(少なくとも同じコミュニティの中では)、それをうっかり知ってしまったというわけではなく唐突に話題に出してくるものだから「え!?好きなの…!?」という衝撃を受けたことを覚えている。なんせ、印象で判断するのも失礼だけどアイドルを好きそうな人間に見えなかったから。
でも、「仲良くなりたい」と思っていた友人の、あまり公開していないパーソナルな部分を知れたのは嬉しかったし、その意外性も相まってそのグループにやや興味を持ち始めたのが2020年の夏の事。

前述の「中学時代ぶり」という通り、中学時代にハマったのは同年代の女子ならきっと多くが通る道であっただろう”嵐”で、
ビジュアルが好き、ダンスが好き、演技が好き、性格が好き、すべてひっくるめてその人間やグループが好き!いろんな「好き」の入り方があると思うけど、私は嵐の「歌が好き」というのが入口だったと思う。
通学中の電車ではずっとお気に入りの嵐ソングを聴いていたり、授業中に櫻井翔くんソロ曲「T.A.B.O.O」の歌詞をノートに書いては休み時間に友達に「この部分やばくない!?」と見せに行くという、曲を知っている人ならわかると思うけれど当時から激やば変態女だった。

とはいえ、邦楽/邦ロックなど、音楽を幅広く聴くようになった年齢より前に好きになったということもあって、あまり曲のクレジットを意識することもなく(「アオゾラペダルってスガシカオが作ったんだー」くらいはおもってたけど)マイブームは過ぎていき、気づけばアイドルというよりかはご存じの通りSSWやバンドマン、広く邦楽アーティストのオタクになっていった高校~大学時代。

というわけで、「アイドルソングの制作側」をあまり意識してこなかったのだけど、時は2020年、ある程度音楽の知識を付けたころに気になりだしたアイドルの、ちょうどその時期に発表されたアルバム制作陣を見てみると、「え!この人が書いてるの!?」「ブラスアレンジこの人なの!?」という、随所への驚きが溢れた。
と共に、「どんな曲が出来上がるんだろう」と気になりだしたのを覚えている。

(同時期に、あまりに有名すぎる”デビュー曲”の、2番+Cメロを初めて聴いてみて、「こんなに手の込んだ曲だったの!?」となったのもプチ”意外性”。)

アルバム詳細発表から発売まではある程度期間があって、
その期間に「意外」がもう一つ。

ここまで書いてきてなんだけど、「好きな友人の好きなアイドル」だから気になっているだけであって、そのアイドル自体それまで私は正直あまり好きになれない存在だった。

完璧な顔面に、キラキラしたパブリックイメージ。
悩みもなさそうで、笑顔を振りまいて。

だからこそ、バラエティーに出たり、ニュース番組に出たり、雑誌に載ったりしていてもわざわざ見ることもしていなかったし、音楽番組に至っては出演時間はバッサリとカットして保存していた。(今更、かなり惜しい…)

偏見かもしれないけど、音楽を作る人ってどこか何か感情として凹の部分があると思っていて、
その凹と、聴き手の凹が共鳴するから、私たちは救われたり、感動したり、笑えたり、親近感を持てたり。
ライブや歌詞、音楽性や人間性からそう思えていたからきっと音楽好きはやめられないのだと思う。
そんな考え方からしたらどうしたってそのアイドルの第一印象は私にとって凸が過ぎた。そのキラキラ要素に救われることはあるのだろうけど、私は凹の部分を見ないと好きになれない陰キャ性質なので、あえて興味をもたずにいた存在だった。
ところが、特に外出規制が激しかったその時期、コンテンツに飢えていた私はFODをトライアルで登録していたのだが、友人に「FODにそのアイドルのドキュメンタリーあるから見てみたら?」と勧められる。
このころにはひとしきり気になっていたドラマや映画も消化しつつあったので、軽い気持ちでお風呂に入りながら10回強に及ぶドキュメンタリー番組を毎日消化する日々を始めた。

その結果。
私は自分が思っているよりちょろいのだと思う。
というか、マイナス印象のスタートすぎて、何もかもがポジティブな印象としてしか映らないせいもある。
「キラキラして、笑顔を振りまいている」と私が思っていた本人たちは、至って普通の、例えばそういう環境に対して恥ずかしさやプレッシャーも感じつつ、それでもファンの為に頑張ろうとしている、変にかっこつけてもない、純粋な感覚を持っている同年代の人間たちだった。
勿論ドキュメンタリーとはいえうまく作ってあって、涙や葛藤やらをドラマチックに、それでもリアルに切り取っているから、結局お風呂で毎日号泣しながら見る羽目になって、全話見終わるころには全員に愛着を覚えていたという始末である。


そして、そうこうしているうちに2020年秋、いろいろな意味で気になっていたアルバムが発売。
発売時には各種音楽番組での新曲披露が待っているわけで、特に披露されるいわゆるアルバムリード曲が「ブラスアレンジを楽しみにしていた曲」ということもあって、試しに(いつもは適当に見流してしまうところを)しっかり視聴。その曲のブラスがよい感じなのはさることながら、その時の音楽番組はアルバムから2曲をメドレーにしたもので、1曲目がそのリード曲でまさに「そのアイドルのイメージ通りの曲」、もう1曲がアルバムのボーナストラックになっていた、雰囲気のがらっと変わる大人っぽくて歌やダンスにこだわった曲。忘れもしない、1曲目と2曲目の移り変わり。
「え?普通にすごくない?」一緒に見ていた母親も家事の手を止めて画面を凝視し始めたのを覚えている。ダンスの詳しいことについてはわからないけど、とにかくかっこいいことだけはわかる。
しかも例の「よくできたドキュメンタリー」の影響で、それぞれのダンスの得意不得意だったり、その中で比較的不得意と自負する人が、特に裏でどれだけ(しかも別の仕事もたくさん入っている中で)努力をしているかもなんとなくわかっていた。だからこそ、そのパフォーマンスに対して、きっと同じようにファンの人からしたらいまさら何をという話だけど、短いスパンで「歴史」と「今」を目の当たりにしたからこそ、その衝撃は大きかったのだと思う。

という、
「友人」の意外性、「音楽」の意外性、「人柄」の意外性、そして「パフォーマンス」の意外性。
何回も短スパンでひっくり返されてしまったものだから、いとも簡単に実に10年ぶりくらいに、しかももともと好かん存在だったにも関わらず、しっかり「アイドル推し」になっている今である。

*これに加えるなら、そのアルバムを引っ提げて行われたライブがアルバム発売した後にオンライン配信されて、通常なら倍率的にも簡単にはいけないライブを楽しめたというのも、私の「好きになりかけ」を「あ、好きだわ」に持ち上げた理由だと思う。笑


かくして、「○○なのに意外と××」というのは人の感情をかなり動かすんじゃないかなあということ、
そして何より、人生、いつどこで何を好きになるかわからないものだなあというここ数年間の振り返りでした。
(今の好きも、一過性かもしれないけど、それはそれで。)

推しがいる皆さん、推しを推し始めたきっかけは何でしたか?



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