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私はずっと父が嫌い。

決して難しい話ではない。私は親を好きになれない。細かくいうと父を好きになれない。

思春期の頃はもちろん、思春期を超えた今でも私は父がはっきり言って嫌いだ。
noteで書いても届かない私から送る父へのメッセージ。

「俺が人生で1番嬉しかった時はお姉ちゃんが生まれた時だなぁ。」
小三か小四くらいの時、寝る前に言われた言葉が大人になった今でも脳裏から離れない。
父にとっては対して考えてもいない言葉だったのかもしれないが、当時の私には深い傷に、トラウマになるくらい辛い言葉だった。
決してネグレクトなんかではなかった。愛情をたくさんもらった気もしたが、
今になって考えると父の行動は父の機嫌を取るものであって私たちのことなんてどうでもいいものだった。

小さい頃は何も思わなかったが今になると変な節はたくさんあった。
奨学金を借りずに幼稚園から専門まで卒業させてくれていたのは母方のおばあちゃんだったし、それ以上に経営が傾いている自営業を父の変なプライド一つで母や母方のおばあちゃんに数千万も借金をしていた。

離婚するときも母に向かって情がない、結局は金なんだなお前も。と言い放った父は母の気持ちを一つも理解していなかった。
娘の私と二人になると母の悪口を言って自分のお母さんのことを褒めていた。
「おばあちゃんは料理が好きでいいよな。ママと違って。」
「おばあちゃんは綺麗好きだよな、ママと違って。」
「(母方の)おばあちゃんもお金返して欲しいなんて言っていないと思うんだよ。」
その言葉が無理だった。母に頼ませて借りておいて無責任に返さないで正当化させる。
自分で選んだはずなのにずっと母のことをさげて自分の親を上げるような言動が絶えなかった。
「情がなかったら、ママはもうとっくに離婚していたと思うよ。」
そう言った私に大きなため息をついてまた競馬を始める父がいた。
“結局はママと一緒なんだな”
と言わんばかりの顔をして。

我が家は残念ながら裕福ではなかった。
それでも小学生の頃から私立に行かせてくれていたのは確かだったが、
父がお金をやりくりしていた姿は見たこともなく月末になると家計簿を見ながら頭を抱える母とそんな母に見向きもせずに呑気にギャンブルをしまくる父がいた。
「お義母さんにまた借りてくれよ。」
と軽々しく言っていた父が本当に嫌いだ。

私がいじめにあっても学校に行かなきゃ負けだとよく家を追い出された。
遠回りしながらゆっくりと歩く私を母は追いかけてお金と着替えをくれて、後で待ち合わせをしようと、こっそり逃してくれていた。
学校に行かないと負け。学校に行かないと奴らの思うツボだと、孤立していた私には聞くに絶えられない言葉の数々だった。
これは親からの愛なのか?私を思ってのことなのか?
たくさん考えたけれど、未だに答えは出ない。


高校を出ると今度はいつ帰ってくるのか?の呪縛にかかった。
そこまで寄り道をしなくても誰とどこにいるのか、何時の電車に乗るのか。
言いたくないことだってあったのに言うしかなかった。
好きな人とのデートは終わり側にありえないくらいの電話が来たことだってある。
思えばめちゃめちゃに過保護だったんだな。
親だから、で許される範囲はもちろん報告だってした。
泊まりの時はどこにいるかだって、飲み会のオールだって報告したけどあの頃の私は正直報告しなくていいところまでしていたかもな。笑
居酒屋でバイトなんて許してくれるはずもなく、この頃から父の問いにこっそりと静かに嘘をつき始めた。

大丈夫、結局は親だからと何度も自分に言い聞かせてみたりもしたが、
未だに父の否定から始まるその言葉に慣れない。


母は今までもそうだが、私に特に気を遣ってくれていたと思う。いや気を遣ってくれていた。
病院代がバカにならず、それでも自分で払えと、それがお前の運命だと言い放った父を横目に母は毎回決して安いとは言えない病院代をこっそりへそくりからくれた。
流石に入院費は出してくれたが、退院した時父は私をみて大きくため息をついた。
「お姉ちゃんみたいにナナも元気だったらよかったのにな。」
そう言いながら車に乗り込んだ父の背中を今でもよく覚えている。
ごめんね、私がこんなに面倒臭い病気になっちゃって。
なりたくてなったわけではない。ただ、父は私の普段の行いが悪いせいだ。そういう顔をよくする。

中学生までは父のことが嫌いではなかった。
小言も私のために言ってくれていると思っていたし、何よりも中学生の頃までは両親仲がよかったのだ。

じゃあ何が原因でそんなに離婚までしてしまったかって?

父が犯罪者になった。

ギャンブルをしていたり、何かと性格的に問題のある父だったが、わたしたちを人生で失望させたことはなかった。この時まで。

確かあれは高校2年生の秋だった。
父が帰ってこなかった。そんなこと今までなかったから何かあったのかなと連絡しても繋がらない。いよいよ死んでしまったと思った。

嫌いとは言え父だ。流石に心配したが連絡が取れないまま朝になった。
学校にとりあえず行って帰ってくると母から一通のメッセージが来た。
“体調悪くて入院してたらしい。安心してね”
その時は何も思わなかったが、母なりのわたしたちへの嘘だった。
父は捕まっていた。細かくはかけないが、私はその事実を聞いて縁を切りたいと思い始めた。

その事実を知ってからもうすぐ数年経つが、家を出た今その時が来たと思う。

顔を合わせたくない。声も聞きたくない。ただ、縁を切りたい。
でもね残念ながら、そう思うと鳥肌が立つ。
こんなにゴミみたいな親でもまだ感情が残っているみたい。
それでもいつかは消さなくてはいけないんだ。私の人生から父という存在を。

結婚相手に父のことを知られたくないし、父にも結婚相手を知られたくない。
こんなに情けない親がいることを知られたくないな、誰にも。

身近には特に言いたくない。
だから誰にも届かなそうなnoteに書くの。


パパ。私はもうパパを自分の人生から消したいと思うほど、パパを憎んでいます。


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