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雨のち晴れ

今回のnoteは私の今までの人生を振り返って私自身が過去の私を理解して認めてあげるためのnoteです。
自己カウンセリングのようなもの?になります。
過去の寂しさや暗い気持ちなどが多くでてくるので苦手な方はスルーしてください🙆‍♀️




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私は静岡県の伊東市で生まれました。
山があって海もあって緑豊かで時間が過ぎるのがゆっくりに感じるほど静かで自然の音が溢れる所です。

生まれてから6歳過ぎ、小学1年生の1学期までは静岡で過ごしていました。
この頃はとっても元気で活発で虫もバッタやカエルなどは平気で触れたし幼稚園で田んぼで稲を育てる体験があったのですが田おこしでみんなで泥だらけになって遊んで田植えをしてと本当に楽しかったです。

幼稚園でそこらへんに咲いてるお花を取ってきて半透明のすごく綺麗な色水を作ることが好きだった記憶があります。
あとは姉達に憧れて三つ編みを練習したり、泳ぐのが好きなので夏休みは毎週家族で海に行ったりしてました。


以前も別の記事で書いているのですが、この頃から両親は忙しく朝早くから仕事で夜は遅く休みの日以外はそこまでしっかりと両親と過ごせていなかったと思います。

とっても寂しかった。
父方の祖父母や当時一緒に住んでいた伯母が面倒を見てくれていたのですがそれでも両親に見てもらえないというのは本当に寂しかった。

代わりと言ってはなんですが姉2人は私のことをよく見てくれたと思います。
特に2番目の姉とは年齢が近いのもあり沢山遊んだ記憶があります。

もしかしたら小さい頃から両親に構ってもらえなかった分姉達とは喧嘩も沢山したけれど仲良くなったのかもしれません。
今でも年に数回みんなで集まって遊んでただお喋りをするだけが多いですがとっても盛り上がって素敵な時間を過ごしたりしているくらい仲がいいです。


当時から仕事をしているから仕方ない、私たちのためだとはわかってはいたのですが親になった今なら両親側の気持ちも痛いほどわかるしちょっぴり切なくなります。

幼児の頃の私へ
寂しいけどお家には祖父母も伯母もそしてなによりも姉2人が居るし両親も私のこと大切だから大丈夫だよ。
本当に寂しかったよね。
あの頃から小さいなりに周りに気を遣って母親に褒めて欲しくてお米を研いで炊くのを練習して頑張ってたね。
充分だよ。そしてせっかくなら小さいんだから無理せず甘えてよかったんだよ。
頑張ったね。


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小1の時どのタイミングだったのかは覚えていないのですが両親から神奈川に引っ越すと言われました。

最初は本当に衝撃で実際引っ越してしばらく経つまで少しふわふわしたような旅行できているような信じられない感覚でした。

両親が引っ越しを決めた理由は仕事場が神奈川や東京の事が多く私たち三姉妹と過ごす時間を増やすには仕事場に近い方がいいからということを聞いています。
他にもきっと色んな理由や想いがあったとは思うのですが過ごす時間を増やしたいというのは本音だと思っています。


全校生徒合わせて40人もいない小さな田舎の学校から全校生徒合わせて900人以上の大きな学校へ転校しました。

最初に体育館で全校生徒の前で自己紹介をしなければならないというのがあり私はどうしても嫌で学校を休みました。
姉2人は前とは変わった環境の中でもしっかり登校していました。


そんな強い姉2人を見ていつも羨ましかったです。


きっと姉達もそれぞれ色んなことを思っていて色んな気持ちと戦っていてそれぞれが両親のことも考えて行動していた事が今ならわかるのですが、当時は何もできない登校すらできない自分を姉達と比べて悔しさと悲しさと羨ましさが渦巻いていました。


そんな私は1年生の2学期転入初日からほぼ不登校だったのですが先生たちの優しさや理解もあり保健室登校になります。
保健室登校はとりあえず学校に行くみたいな事が目的なので授業などは受けないし折り紙をしたり保健室の先生のお手伝いをして毎日ひとつ漢字を練習してという感じで過ごしていました。

今思うと贅沢な時間過ごしてるなと思います笑
折り紙って笑
せめてドリルとかやれぇ!!となるのですが当時の私からしたら作った折り紙を褒めてもらえたり1日ひとつ覚えた漢字を書いて褒めてくれるというのは嬉しかったのです。

その後1年生は本当にたまに教室に顔を出したりする程度で2年生になるまで保健室登校を続けました。


2年生からは教室に登校していました。

2年生の記憶が全くと言っていいほど何もないです笑
きっと普通に過ごせたのでしょう。


3年生は仲のいい友達ができた気がします。
その子達と一緒に遊んでた様な記憶はあります。

4年生は3年生で同じクラスだったけどそんなに話したことはなかった子とまた同じクラスになり仲良くなりました。
なんか元気に遊び回ってた気がします。

5年生も3、4年生の頃と同じ子とまたクラスが被りそのまま仲良く過ごしたと思います。

この時1年生の時の本当によくしてくれた担任の先生が離任するということで全校生徒の前で舞台の上に立ちお礼の言葉を言う役になりました。
私は目立ちたくなかったのでそういうことはあまりやりたくないタイプなのですがその先生から直々に頼まれたことだったので散々お世話になったのもあり引き受けました。

そういう時に言うセリフを考えるのが苦手だったので私のスピーチだけ他の子達よりも短めでもっと長くするべきだったとちょっと恥ずかしかったのを覚えています。


6年生もまたまた同じ子と同じクラスになり一緒に過ごしていました。
悪口を言われた、言ってないなどで喧嘩したりもしたけれど結局はその子と過ごしていた時間が長かったですね。

小学生って既にカーストができていて、陰きゃ陽きゃみたいなのがあって、好き嫌い、媚びる媚びないなどがあるんですよね。
その中で過ごすからなんだか幼児の頃よりもさらに空気を読んで過ごしていた様な気がします。

両親とは引っ越しの甲斐もあって一緒に過ごす時間は格段に増えその頃には寂しさなどは少し薄れていました。
ただもうこの頃は素直に両親に純粋な甘えるをできなくて結局両親が喜んでくれる言葉選びをしていました。


小学生の私へ
いきなり環境が変わり不安だったよね。
姉達の立派な部分がより明確に見えてしまって得意不得意も理解してしまって自分が嫌だったね。
家族で過ごす時間は増えたけど気を使うことをより覚えてしまって空気を読んで学校で過ごして家でも両親と姉達のことを想った回答をしたくて…。
きっとずっと自分を一番見て欲しかったよね。
小1の時のように大人に小さなことでも褒められて認められていたかったよね。
自分なりに我慢した部分もあるけど結局は家族の前で爆発しちゃって嫌なやつみたいな発言をしてしまったり、私は我儘だと姉達に言われたり。
当時は自分でも何が何だかわからなかったけど今ならわかるよ。
私なりに頑張ってもがいて認められたくてでも成績も良くて運動もできて絵も上手で何もかも敵わない姉2人に対して私はどれもできなくて。
友達も親友なんて呼んでいいのか分からなくて、周りから嫌われたくなかった。
そんな6年間だったね。
頑張ったよ。
色んなことはあったけどとっても頑張ってたよ。
大丈夫。あなたは強いよ。


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中学生1年生は秋頃の合唱祭までは少し休み休みでしたがなんとか通っていました。
この頃に起立性調節障害と自律神経の関係で朝が本当に起きれなくなりました。

周りは決してバカにしたりズルだと言ったりはしなかったのですが何よりも自分がそういう気持ちをもっていたためだったらいない方がいいだろうとここからより学校へ行かなくなりました。


2年生も3年生も1学期しかほぼ行ってません。

修学旅行は先生達がキャリーケースを事前に修学旅行先に郵送するからと取りにきました。
いっそのこと行かなくてもいいのではと強く思ったのですが母親の顔が浮かびお金が無駄になるくらいなら行くか…と行くことにしました。

起立性調節障害の特長として夕方や夜は元気で朝が不調なので夜はみんなが寝ても寝れず時々見回りにくる先生と少し話してと1人で夜遅くまで起きていました。
朝は同じ部屋の子達に起こしてくれと言っていたのですが緊張で割と3番目くらいには起きてその後も無事に修学旅行を終えなんとかなりました。

2年生も3年生も1学期しか学校に行っていないので卒業アルバムは合唱祭の写真がないからと体育祭の写真が多めに使われていました。

卒業式は練習に来てないから参加できないと言われたので行かずにそのまま中学生時代は終わりました。

中学生時代で幸いだったのは同級生の子達が特に責めたりいじめたりしてこなかったことだと思います。
いつ行っても来れたの!うれしい!と言ってはくれたのでたまに起きれた日に行くことができました。

中学生の私へ
自分が一番自分を傷つけていた時期だね。
小学生の頃のような家族への劣等感や友達との関係などではなく本当に自分で自分を責めて泣いて暴れて訳がわからなかった。
そのくらい普通にできることができない自分が嫌いだよね。
そこはいまだに治っていないけど今は少し自分が好きだから大丈夫だよ。

朝起きれないのがまず意味わかんないしなのに夜は元気だから夜更かしになるしそのせいで朝起きれないのでは?って連鎖していって結局は私が頑張れない子だからダメなんだと。

リストカットもちょっぴりしてみたりしたけど痛いのは怖くて深くなんてできないし、死にたくて死にたくて仕方なかった。
消えてしまいたかったよね。
大量の百合に囲まれて睡眠薬を飲んで百合の毒にやられて死にたいと切実に願っていたね。
朝が来ると絶望してそれが嫌でさらに寝なければまだ次の日じゃないとか気が狂った考えして必死に起きてと悪あがきしていた私。
でもね、当時『死ぬ勇気』がなかったおかげで今は夫と子供と過ごせているよ。
頑張って生きてくれてありがとう。


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高校は通信制の所に通っていたのですがそこにすら通えずにやめて次は高卒認定試験を受けるためにそのコースがある通信制の高校に通ってそこもダメ。

なので中卒です。

私生活も荒れてたしバイトはお金のために夕方からダイニングバー的な居酒屋で働いてましたが全てお金は美容に消えていました。

本当に両親にお金をかけてもらったのに迷惑しかかけていないです。

結局は私は未だに頑張れない子です。

頑張ろうと思っても続かない。
没頭できる趣味やできることもない。
何もないのです。

そんな私が今生きているのは夫に出会ったからです。

夫とは高校2年生の時に出会いその時はその時で荒んでいたのですが夫の愛に包まれて無事に(?)強めなメンヘラになりました。

当時は本当にめちゃくちゃ喧嘩して殴り合い(私が当然負けるし夫は全く本気じゃないからかわされて押さえつけられる)も何回かしました。

どんだけ喧嘩して別れる!ってなってもなんだかんだ会ったらお互いに好き〜ってなってしまって仲直りして、長女妊娠してその時もまた喧嘩してとなんだか仲良いような悪いような好きなような好きじゃないようなみたいな曖昧な時間を過ごしていたと思います。

それでも長女が生まれてからは私ももう覚悟が決まったしもうこれでも私たちのことを蔑ろにすることが多いなら要らないんだと割り切ってからはわりと上手くいくようになりました。

夫への依存が終わったんでしょうね。

依存ではなく長女の父親として見るようになりました。

長女がいたおかげで夫とはそれ以降割と良好な関係を築いているしお互いにしっかりと信頼できる部分も増え今でも夫が大好きです。

いまだに喧嘩することはたまにあるのですが子供達の顔見ると私も夫もちょっと冷静になれて大きい声はやめようってなるし、離婚だ離婚!ってなるような喧嘩も年に1〜2回くらいおきても2人とも頭の中ではそれは1番最悪の選択肢なんてことはわかっているので時間を少しかけてちょっとずつそこからお互いに思ってることを伝えてちょっとずつ意見を擦り合わせていきます。


今とはだいぶ違う夫でした。
夫には忘れられないレベルの酷いこと言われたりもしたのですがなんだかんだ私だけをしっかりと愛してくれる夫で私が錯乱している承認欲求強めの強火メンヘラの当時言った早く結婚して!子供欲しい!という願いもちゃんと叶えてくれました。

夫と出会っていなかったらきっと私は荒みに荒んで生きていないか本気でクズになっていたと思います。


高校生?の私へ
死に場所を求めてフラフラと遊んでバイトしてを繰り返していたね。
何かに巻き込まれてもいいと本気で当時は思っていたよね。
そんなことになったら両親も姉達も悲しむ事は分かっていたのにそれでももっと自分が存在してもいいという確信が欲しかったんだよね。
でもそんなものはなくて家族に何を言われてももう嘘にしか思えなくて。
ただ生きているだけで実家に居て何もできない自分が嫌で。
そんな時に今の夫と出会って夫は本当に正直な人すぎてその正直さに傷ついて救われて。
良かったね。
今もその人は私の隣で私を、私たち2人の娘達を大切に愛してくれてるよ。
当時は辛い喧嘩も本当に沢山したけど当時お互いがぶつかりまくったおかげで、今私たちは素直にお互いを理解して大切にできているよ。
まだ17歳なのに考えすぎだよ。
もちろんお金のことや両親への迷惑のことは未だに心に深くあるし今もまだ迷惑かけまくりだけど17歳が考えるべき範囲を超えすぎてるよ。
辛かったね。
ずーっと辛かった。
泣いても泣いても何も解決しないし時間がいくら経っても本当小説とかにありがちな深い夜に自分だけ取り残されているかのような感覚だったね。
今もまだ沈む時はあるけど当時頑張って生きたお陰で出会えた夫が今は支えてくれるよ。
今までの言動は良くないことも多かったかもしれないけど私の人生は今ちゃんと幸せだからあと本当に少しだけ耐えてね。
誰かに誇れる人生じゃないし同級生達のようなキラキラもないけど私は夫と子供達と沢山の笑顔で過ごしてるよ。
これから先は夫と一緒に夫婦として、子供達の母親として今の私が頑張るね。
頑張ったよ、お疲れ様。



#自己カウンセリング #過去 #私へ #熟成下書き #エッセイ  

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