見出し画像

僧侶アンカリング

こんにちは。Hakali Inc.の秦です。
北海道にある浄土真宗のお寺に生まれて、今は住職になる前の俗世での修行期間として、7名のスタートアップでデータ活用コンサルタントとして働いています。
せっかくの修行期間なので、働く中での気づきを書き残しています。

最近、「アンカリング」という心理学の概念を知りました。

アンカリングとは、認知バイアスの一種で、最初に出会う数値(アンカー)によって後の数値の判断が歪められ、判断された数値がアンカーに近づく傾向のこと。
例えば、「国連加盟国のうちアフリカの国の割合はいくらか」という質問をしたときに、質問の前に「65%よりも大きいか小さいか」と尋ねた場合(中央値45%)、「10%よりも大きいか小さいか」と尋ねた場合(中央値25%)よりも、大きい数値の回答が得られる。(Wikipedia引用)

今回は、そんなアンカリング効果に思いを馳せ、あれこれ考えたことについてです。

アンカリングの理論はいろんな場面で応用できて、
例えば僕はコンビニとかで新商品を見かけるとつい買ってしまうのですが、評価不能な食べ物がよくあります。タピオカチョコとか、ガリガリ君コンポタとか、あとはジンギスカンキャラメルとか。それは未知との出会いで、美味いんだか不味いんだかよくわからないんですよね。美味いと言われるとそんな気もするし、不味いと言われるとそんな気もする。。
そういう時、僕は結構その時の気分で判断してる気がします。
そして、最初の出会いで美味いんじゃね?と判断したやつは、その後も意外に買ったりします。逆に、不味いかなと判断したやつは二度と買いません。

あと、これもあるあると思いますが、旅先とかで景色を観たときに、誰かが最初に「すげえ!」と言うか「微妙じゃね」と言うかで、皆の感じ方も変わっちゃうやつ。意外と皆、その場の空気に左右されるので、一人でも微妙じゃね?っていう人がいると、全体的にしらけちゃう。逆に、一人でもキャッキャする人がいると、全体的に楽しくなります。僕は基本的に楽しく生きたいので、仲の良い友達はだいたいキャッキャ系に偏ってる気がします。

前置きが長くなりましたが、本題の僧侶アンカリングについてです。

僕は普段自己紹介するとき、だいたい「実家がお寺で将来住職になります。今は俗世で修行中です。」という話をします。圧倒的にウケがよく、だいたい覚えてもらえるし、その後の会話も弾みます。
色々とお坊さんの生態系について質問されることもあるし、自分の実家の宗派や、昔お坊さんのこんな話を聞いて〜というエピソードなど、その人と仏教との関わりを教えてくれたりします。

その中でも結構多いのが、お坊さんと初めて会話しましたという人。
この前もそういう人と色々話して盛り上がって、
「お坊さんってめっちゃ面白いんですねー!」
「いやいや〜それほどでも〜ぐへへ〜。」
みたいな会話をしていたのですが、はたと気づいたことがあります。

「ワシ、この人の今後のお坊さん観の、めちゃくちゃ強烈なアンカーになるのでは…!?」

そう考えて、キンタマがキュッと引き締まるような感覚になりました。

良くも悪くもお坊さんとしては結構際立った道を歩いているので、印象には残りやすいという自覚があります。その時僕がどう振る舞い、どんな印象を抱かれるかによって、その人が抱くお坊さん観がかなり左右されるとしたら。。。
「なんや、今時の坊さんって俗っぽくてしょうもないんやな。」とか思われたらやばい。

その人が今後の人生で出会うであろうの諸先輩僧侶方に、キラーパスは出せません。
出来るだけ質の良い、小野伸二のベルペットパスのような最高のパスを出せるようにせねば。

仏教的な生き方をしたいとは思いつつ、自分の欲が先行して後々で反省することもまだまだたくさんあります。
だけど、お坊さんと名乗るからには、より自覚的に、日々を過ごしていかないといけないですね。
ちゃんと生きようと、気が引き締まった出来事でした。なむ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?