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明日から始める殺仏殺祖

こんにちは。Hakali Inc.の秦です。
北海道にある浄土真宗のお寺に生まれて、今は住職になる前の俗世での修行期間として、7名のスタートアップでデータ活用コンサルタントとして働いています。
せっかくの修行期間なので、働く中での気づきを書き残しています。

タイトルに物騒なワードが並んでいますが、今回は「殺仏殺祖」という禅の言葉について。

「殺仏殺祖」とは、臨済宗の開祖である臨済禅師の言葉で、
書き下すと「仏に逢うては仏を殺せ。祖に逢うては祖を殺せ。」となります。

もちろん物理的に殺せと言っているのではなく、ここでいう仏や祖とは、自分が作り上げた理想像や正しいと思われる概念のことで、こういうものに出会ったら殺せということを言っています。

「これが正しい」「こうあるべきだ」と考えることは、もちろん良い面もあると思いますが、自分の思考や行動を制限する縛りにもなってしまいます。

この禅の言葉では、こういう縛りを取り払った先に「始めて解脱を得ん。」すなわち悟りが得られると教えられています。

さて、先日この言葉が身にしみて感じられることがありました。

僕はデータ分析・活用コンサルとして働いていますが、いつも「コンサルかくあるべし」という像を作り上げて仕事をしていました。

その像はだいたい記事や本で読んだ有名コンサルや、隣で仕事をする社長の姿を見て作り上げてるのですが、それと現状とのギャップに苦しんだり、見栄を張ろうと頑張って疲弊してしまいがちでした。

しかし最近、「こうあるべき」という理想像を作り上げることは、自分を苦しませる執着にすぎず、手放すべきだと気付けるようになってきました。

きっかけは、自分が主担当で動く案件ができたこと。
最終責任が自分にあり、自分が頑張らなければプロジェクトが倒れてしまう。そういう状況に置かれた時に、「こうあるべき」というこだわりを捨てて、プロジェクトとして為すべき“コト”に向かうことができたのです。

コンサルタントとしての僕は、どうがんばっても若者だし経験値も浅いペーペーです。それはどうしようもない。
であればそこをまず認めて、外殻をいかに強そうに飾るかではなく、コトに対してどう自分が価値を生めるのかにフォーカスをする。できることを最大限頑張る。というかそれ以外に自分ができることはない。
そうしてがむしゃらに取り組んでみたら、結果はついてきました。プロジェクトに貢献することができたし、信頼もしてもらえるようになりました。

こうあるべきだとか、型とか、自分向きのベクトルにこだわっていると余計な悩みがいっぱい増えます。

逆にそういうものを気にせずコトに向かっていれば、やることは明確だし、ずっと力も出せます。



思い返せば、大学時代何度も講演を聴いたDeNA南場さんも、いつもこの話をされてたなと思います。改めて読んだらとてもよかった。

それにしても、「殺仏殺祖」という言葉はずっと前から知ってたけど、それと自分の問題に引き寄せて考えられるかは全く別物ですね。

自分が大丈夫か確認する心の向きを、常に持っておきたいなと改めて思いました。

皆さんもぜひ、心の中に自分の思考を縛っていそうな仏がいたら、「殺仏殺祖」してみてください。合掌。

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