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ボロ屋暮らしの3人家族

私が15歳になるまで、家族3人が時に仲良く時に切なく暮らしていたのは、六畳四畳半・木造平屋の借家だった。

風が強い日は、割れそうな薄いガラス窓がガタガタと鳴り、台風が来た時は本気モードで机の下に避難して過ごした。

玄関の引き戸も、薄いガラスに木製の枠。人差し指でも割ることが出来そうだった。

鍵は穴に入れたまま、ぎゅっと閉まるまでクルクルと何周も回すタイプ。(このタイプ、知らない人も多いのでは?)


風呂はなんと!外から入らなければならず、裸の母は私を抱き、玄関からそーっと顔だけ出し、首を素早く左右に振って見渡した後、ダッシュで風呂場へ移動。

鍵は先程説明した通り、ワンタッチで締められるタイプではないので、施錠は諦めてのドキドキバスタイム。

風呂釜は木製。(檜風呂みたいないいもんじゃないよ)

幼稚園の頃だっただろうか。

母の実家に泊まりがけで行って帰宅した日。

風呂場に入った母が鳴き声に似た悲鳴を上げた。急いで行ってみると、風呂釜にビッシリとクロアリが這っていた。

うじゃうじゃうじゃうじゃ。


ぎゃーーっ!!


熱湯をかけて流したっけ。

おかげで私はアリ恐怖症。他にも小学校のプールの時間、脱いだパンツにアリが入っていたらしく、知らずに履いて「なんだかチクチク痛いなぁ」と思って見たら、お股に挟まれ悶絶死していたアリ。そんなこんなで本当にアリ大嫌い。

蓋の位置と石鹸の状態から、風呂場の排水溝からネズミが出たと見られる時もあった。


そんな、セコムが見たら涙を流して同情されそうな家に、義行は私が幼稚園に上がるくらいまでは、一応毎日帰って来ていただろうか?

帰って来たとしても深夜遅くで、家族3人で夕飯を食べた記憶は全く無い。

そして物心ついた頃には、週に一度くらいしか帰って来なかったのではないかな。

中学生になる頃には、「帰って来るのは一ヶ月に一度くらいだなぁ」と思ったのをはっきり記憶している。 

義行は、金も無いのに稲毛駅前のビルの一室と、我が家に似たボロい一軒家を事務所として借りており、そこに寝泊まりしていた。

B型の芸術家として正しい行動だ。

家庭を持つには全く不向きな男であったが、私にはいつもとっても優しかったし、私はパパのことが大好きだった。

「パパが帰って来たら、一緒にお風呂に入って、指にお湯をつけて石の壁にお絵描きして遊ぼう」

「パパが帰って来たら、押入れから飛び降りて抱きとめてもらう『危ないごっこ』をしてもらおう」

「パパが帰って来たら、一緒に散歩に行って、ママに内緒でアイスを買ってもらおう」

と、頭の中はパパに会うことでいっぱいだった私。

会えない寂しさからなんと、家中の家具に「さみしい」と書いてしまった。

しかもまだひらがなも書けない歳だったから、『さ』と『み』が鏡文字になっていて、より涙を誘うタンスや鏡台が完成していた。

15年間過ごしたこのボロ屋での思い出は、その後住み替えた新しい家での思い出の100倍くらいあるのではないだろうか。


また次回のエピソードもお楽しみに。





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