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義行の歴史

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まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(後半)

まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(後半)

1991年 市民から出演者を公募し、千葉市政70周年記念市民ミュージカル『夢のワインランド』を成功させる。

このミュージカルのオーディションを受け、私のクラスメイトの女子が出演した。その子から「先生の事務所にエロビデオがあったよ。」とニコニコしながら告げられ、まだウブかった私は大ショックを受ける。でも私も実は、義行の事務所でエロ本を発見したことがあった。大の大人がそういったものを所有しているのは

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まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(中半)

まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(中半)

20代半ばを過ぎ、団員達が社会的な仕事を持ち離れて行く中、義行は劇団の存続と家計の為、様々な仕事を模索して行った。

名刺には『劇団ルネッサンス主宰』の他、『ライター』『カメラマン』などの文字が並んでいた。全てが独学だったが、得意分野の仕事をする為にはきっと、ハッタリも必要だった。

30代はヤマハ音楽教室の講師用機関誌を担当。

この仕事の特典で、浜松にある『つま恋リゾート』へ数回連れて行っても

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まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(長くなりそうなので前半)

まずはざっくり『大川義行』67年の歴史(長くなりそうなので前半)

1949年 教員の両親の元に4人兄弟の末っ子として生まれる。

中学生まではシャイボーイであった義行。

友達はと言えば、軽量級の力士。

自分で作った紙相撲のお相撲さんと便所で戯れる、内気な子どもだったという。

高校進学時には、昔気質の父親から、「家から通える距離の千葉東高に受からなければ、高校進学を諦めてもらう。美容師になればいい」と言い渡された。何かと粗雑に扱われがちな末っ子として生まれ

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