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科学は感情論を超えられるか

2011年3月11日に東日本大震災が起きた。

わたしは当時大学受験が終わり、第一志望はじめほぼ全ての大学に落ち、滑り止めのいわゆるFランク大学への入学を前にニヒリズムに陥って毎晩酒を飲み、昼間というのに爆睡していた。

その刹那東京に住むわたしの実家ですら大きな揺れで目が覚めた。

福島県や宮城県など東北の街は地震と津波で壊滅的な打撃を受け、テレビからはセンセーショナルでショッキングな映像が連日流された。

そして今回のメインテーマである福島第一原子力発電所がメルトダウンを起こした。

当時、政府も未曾有の大災害で二転三転して、官房長官であった枝野幸男氏の「ただちに影響はありません」という言葉が虚しく響き渡っていた。

それから12年以上の月日が流れた。

当時、新聞は別としてテレビやラジオをつければあれだけ東京電力がスポンサーをやって電子ちゃんのCMまで打っていたメディアがいっせいに原発は危険、原発をやめよと右向け右で報道し始めた。

テレビをつければ「東京のどこそれで脱原発デモが起きました」「大阪の△△で関西電力のお偉いさんがタウンミーティングで吊し上げられました」ばかり。

わたしは当時まだ18、19であったが得体の知れない気持ちの悪さを感じていた。

原子力発電はもともとアメリカのアイゼンハワー大統領が世界的な核兵器廃絶の動きに乗じて「核の平和利用」なる発言をしたことから始まった。

特に広島と長崎の経験から核へのアレルギーが強かった日本は「平和利用」という言葉に惹かれたのか中曽根内閣の頃に讀賣新聞社の正力松太郎氏などの活動もあって原子力発電の利用を開始する。

日本という国は土地がほとんど山であり、四季の動きが目まぐるしく、気候も変化が大きいので自然エネルギーの運用が難しい国である。

そうすると自ずと化石燃料に頼らざるを得ないのだが、中東情勢は今以上に緊迫しており、冷戦もまだ終わっていない中で安定的にエネルギーを確保する必要があった。

エネルギー資源が無いことの恐怖を日本人は実は一番痛感している筈であった。

それは原子力発電を導入した1950年台からしたらまだ10年ほど前の、大東亜戦争に日本が突入した理由がまさに資源であったからだ。

当時支那事変真っ只中の日本は中国大陸の奥地に攻め込み泥沼の戦いを進める中で、アメリカやイギリス、オランダは中国を巻き込み日本への石油や天然ゴムなどの資源輸出の凍結を発表した。

そうした資源の8〜9割をアメリカに頼っていたし、中東の資源はイギリスが押さえ込んでいるため、途端に安全保障上の脅威に直面した。

この状況を打破するために、ついに日本は1941年12月8日、ハワイの真珠湾を攻撃して大東亜戦争へと突入するのである。

いわば原子力発電は日本がエネルギー安全保障を考える上で唯一の安定的かつ安全に資源を確保できる施策であった。

各電力会社と各大学の理工学部や原子工学の学者達が研究を重ねてより安全でより安定した原子力発電施設の運営をおこなっていた。

しかし、やはりどうしても杜撰な管理や電力会社の驕りや怠慢は出てしまい、福島の事故も起きてしまった。

だが、果たして「事故が起きた。原発は怖い。だから全てやめてしまおう」と安易に決めてしまっていいのだろうか。

現在も多くの原発は稼働していない。

それは福島第一原発と同型の原発であるという理由から政府が及び腰になっている。

アレだけ福島第一原発はコントロールできたと発表しており、本人も原発推進派であった安倍元総理ですら原発再稼働はついに果たさなかったのである。

わたしはやはり、科学が感情に負けているとしか思えない。

1790年に「フランス革命についての省察」を発表して「フランス革命クソくらえ」と痛烈に批判をしたエドマンド・バークは「人間はinperfect(不完全)である。人間が考える理想は全てhypothesis(仮説)に過ぎない。つまりそれは大いに間違える可能性がある。不完全な人間の仮説に基づいて急激な革命や改革を設計主義的におこなえば必ず間違える」と指摘している。

そうなると原子力発電なるものも見方によれば人間の理想で核の平和利用などと言って作り出した賜物なので否定すべきだと思われるかもしれない。

だが、思想とは別に20世紀後半から21世紀以降、世の中は勝手に変わってしまうのである。

ITなるものが現れ、科学技術も発展して、今日より明日、明日より明後日と目まぐるしく世の中は変わる。

そうなるとこの厄介至極な原子力発電なるものを我々は作り出した以上、向き合うこともまた文明の宿命なのではなかろうか。

エドマンド・バークはさらに政治論的な意味合いで「保守の改革はgradualism(漸進主義)的に進めなければならない」と語っている。

原子力発電は怖い。危ない。とにかく全てやめてしまえ。即時脱原発。自然エネルギーで地球に優しくエコで生きよう。

よく左翼というより怪しげな宗教に入っていそうな人達がネットで垂れ流している。

だが自然エネルギーなるものが果たしてこの国でうまくいくのか。
机上の空論と理想論、そして正義感の暴走で直ちに原発を止めて自然エネルギーというのはまさにフランス革命で王政クソくらえと言ってルイ王朝を引き摺り下ろし、ジャコバン派なるものが現れて王も王妃も貴族も誰それ構わずギロチンにかけていったあの時代と変わらない。

多くの著名な大学で原子工学や物理学、理工学を研究している学者達は原発は運用を間違えなければ問題ないことを語っている。

原子力規制委員会も問題ないことを主張している。

政治が決められないのは世論がマスコミに煽られて「原発は危険」という凝り固まった価値観を2011年3月11日からアップデート出来ていない証拠である。

これは1930年代に中国東北部の満州で関東軍という出先の機関が暴走して勝手に中国大陸で戦争をおっ始めて、中央政府はそれを止められないで、国民はマスコミに煽られて軍人さん頑張れと後押しをしてしまい、官僚や財閥は戦争で儲けるために政府に圧力をかけて結局ズルズルと戦争に突き進んでいったのと似ている。

当時も今も政府やベテランの官僚、東電や規制委員会の人間は原発を動かなければまずいと分かっている。

だが、よく分からないフリーの記者とか怪しげな団体が原発危険だと騒ぎ立ててマスコミがそれをセンセーショナルに報道して、野党もそれに乗っかり、太陽光発電その他で金儲けしたい連中がそれを焚き付けて政治が決められないのはまさに1930年代とまるで変わらない。

このままズルズルと原発を停止していたら電気料金は青天井に上がり続けて結局困るのは我々国民の生活である。

あとから「あの時こうすれば」といっても遅い。

1945年8月6日に広島に原爆を落とされ、9日に長崎にも落とされ、ソ連が裏切って満州に侵攻してきた時に「あの時こうすれば」と言って後悔した歴史を我々は思い出さなければならない。

今やるべきは1日でも早く全ての原発を再稼働して電気料金の値下げをおこない、国民の家計の圧迫を食い止めることである。

岸田総理は「決められない」「検討しかしない」と叩かれているが、安倍元総理の国葬や広島サミットへのゼレンスキー大統領参加、広島で核なき世界への声明など要所要所では決めてきた人だ。

ぜひここでもどんな反発があろうと原発再稼働を決めて、やはりやればできる人だとアピールするチャンスである。

科学は感情に負けてはならない。

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