73-ing

’82年生まれ。多感でありたい年頃。

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’82年生まれ。多感でありたい年頃。

最近の記事

サブスク黄金時代にCHAGE and ASKAを聴く

ポール・マッカートニーさんは今年、82歳になられたらしい。 ビートルズ時代の作品には、レノン/マッカートニーの表記が多いが、ジョン・レノンと共作したものは少ないということを、ある日聴いていたラジオで知った。 作った人がメインボーカルを担当する。 あぁ、あの方達とそっくり。 時々ボーカルが交代する曲もある。 それも同じだ。どんどん胸騒ぎが大きくなる。 ソロに転向してからの作品たちには、ジョンと別れたことは正しかった、との主張が見える。とも。 ふたりの間に流れる空気

    • 『イシバシハザマのもてなし~感謝のもてなしスペシャル at茅ヶ崎市民文化会館~

      Supported by 稲岡ハウジング』 というタイトルのイベントが、2024年10月18日に開催された。 昨年10月に開局をしたコミュニティFM「茅ヶ崎FM」と、BSよしもとがタッグを組み両局で放送されている番組、『イシバシハザマのもてなし』発のお笑いライブである。 イシバシハザマは芸歴23年目のコンビである。『エンタの神様』や『爆笑レッドカーペット』等、2000年代に話題となった番組に出演、リズムネタを軸にした漫才で注目を集めたそうだ。 当時の私は就職をして数年

      • 見据えるより見つめる

        都内にある音楽大学のサークルが、クラシックアレンジでJ-POPを歌い演奏している動画を知った。 瑞々しくてとにかく楽しそうで、画面には清々しい空気が満ちていた。 自分が学生の頃にこんなワクワクするサークルがあったら入りたかったなー、と口にしてみた直後、 いやいや当時はそんな思考にならなかったでしょう、とツッコんだ。 私も音大を卒業した身であるので、キラキラとした瞳で音を重ね合う姿に親近感を覚えたのだ。 音大へ進学することの意味を問う書籍を見かけたことがある。 問題提起さ

        • 森女日記

          旅から帰ると、しばらくの間悲しさが抜けない。 悲しさが助長されるから、撮った写真をまともに見られなくなる。 子どもの頃、離れたところに住む親戚の家へ泊まり、いよいよお別れが近づく車内ではずっと涙をこらえていた。 そして未だに、旅を終え帰路を走る車内では、泣いているのを悟られないようにするのに精一杯になる。 今回はその余韻がかなり深い。 昨年あたりは、旅行の計画を立てたり行く時期を決めることさえ気が進まなかった。なので泊まりの遠出は久しぶりとなった。 ガイドブックを買

          個室へエスケープ

          この2~3年のあいだに、「ラジオ」という媒体にお世話になることが多くなりました。 学生の頃は完全なるテレビっ子で、学校では観た番組の話をしたり真似をしたりと、ラジオとはとても縁遠い日々でした。 この当時は当たり前と感じていた、「毎日友達と顔を合わせる」という行為が、実はとても貴重で特別なものであったのだなと今更ながら気づいた次第です。 必ず誰かと意思疎通ができる環境、そしてその期間から与えてもらった安心感は、密やかに今の自分をも支えてくれているのだなと。 とは言え、お

          個室へエスケープ

          あなたにできることはないってさ

          ちょうど一年前に長い文章を書き残した。 今読むとなかなかいたたまれないと感じる。 となると一年という時間で心境の変化や消化した出来事も少なからずあるのだろうか。 実感はない。 新たな音楽に出会い、触れてこなかったジャンルへの抵抗感も薄まった。 新たな場所にお邪魔をし、日本には(世の中には)紆余曲折あれどこんなにも恵まれた環境を整えてもらえている音楽ファンもいるのかと、驚きもした。 そこで私自身も享受した多幸感は、何にも代えがたい。 でも、ずっと足りない。 いわゆる

          あなたにできることはないってさ

          ミント色のスーツ

          ふわふわと電車に乗りこんだら、 よく見る大好きな方の顔が目に飛び込んできた。 一気に運気上昇モードに乗った感覚。 もしやもしやと、その広告の周辺を見回したらやはり。 そのエリア、左右ともに掲示されていた。 計4枚、つまり4タイプのお顔を拝めたわけで。 降車駅までの体感時間、5秒だった。 帰りの電車でも、ミント色のスーツに身を包んだあの方に遭遇できた(掲示期間だから当然と言えばそうなのだろうが、行きよりも近距離で凝視できたことに運命を感じてしまう単純なおばさん)。 4枚

          ミント色のスーツ

          ちがさきよいまち、よいところ

          夫とサザンオールスターズの楽曲やライブ映像を鑑賞しながら、 「桑田さんは茅ヶ崎の宝だよね」と嬉しがることがルーティンのようになってきた。 神奈川県茅ヶ崎市。人口25万人に届かない小さなまち。 都会とは言い難いが、田舎とも言い切れない、「トカイナカ」と称されたまち。 私はここで育った。 海水浴場が「サザンビーチちがさき」と名称を変えたのは高校生の頃。 茅ヶ崎は桑田さんや加山雄三さんにあやかりすぎだなぁ、と、地域の特色が薄いことを少し残念に思っていた。 だが最近、ラジオDJ・

          ちがさきよいまち、よいところ

          「好き」が見せた幻

          昨年、心の軌道を変える音楽に出会えた。 楽曲はもちろん、その方のキャラクターにも癒され、元気づけられ、笑顔をいただいている。 音楽に惹き付けられると、作り手のパーソナリティにも共感し、ますます尊敬の念を抱く。 そして、気持ちが離れる時は順番が逆になる。 という経験を、同時期にした。 Twitterをやめたのもその頃。 本人の発言に関して、少なくない数の方々が様々な思いを文字にされていた。それらを見るうち、空気の足りない浮き輪で海を漂流し続け、先には無人島しか見えないような

          「好き」が見せた幻

          ファンレター

          人は一生のうちに何度書くのだろう。全国平均を知りたいところである。 切手を貼り、ポストへ投函という「ザ・ファンレター」の形式を踏んだのはいつ以来だろうか。 赤い色して佇むあの子の前に立ち、差出口に視線を合わせる。「無事に届きますように」と念を送る心理や、手放すときの微かな名残惜しさは何なのだろう。 経験上、ファンレターを書く際の心情は2タイプに分かれていた。 ひとつはお相手の活動への感想等をしたためつつ、「少しでも自分の思いが記憶に残ってくれたらいいな」という本音を大量に

          ファンレター

          40歳、人生初のひとり旅

          大きく出ましたが、日帰りなんですけどね。 母を差し置いて父親の隣の助手席を陣取り、道中ひたすら好きな曲をふたりの耳に浴びせていた少女時代。 片道2時間半かけて通学するならひとり暮らししたら?との提案を、 「料理ができないから無理」と速攻で却下した大学時代。 振り返ると、私は「箱入り娘」ならぬ「箱に入りたがり娘」だった。 そして今現在はどうか。 運転する夫の隣にいながら助手の務めをなかなかの度胸で放棄し、車窓越しに流れていく景色を眺め、いい女風を吹かせている。 立派な「箱か

          40歳、人生初のひとり旅

          オトナになった耳で、ポケットビスケッツを聴いたら

          10代で出会った音楽に、今も支えられている。私の場合はCHAGE and ASKAが殿堂入り。この他にひとつだけ挙げてよい、と言われたら、「ポケットビスケッツ」と迷わず答える。 ポケットビスケッツは、バラエティ番組『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から生まれたユニットである。千秋さん、ウド鈴木さん、内村光良さんによる3人組。「ポケビ」の愛称でお茶の間に親しまれた。 ポケビといえば、署名運動を記憶されている方も多いことと思う。南原清隆さん率いるユニット「ブラックビスケッ

          オトナになった耳で、ポケットビスケッツを聴いたら

          CHAGE and ASKAファンが愛する、CHAKE and YASKA

          小学生当時、土曜夜8時の楽しみはお笑い番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』だった。 特に大好きだったコントは、「CHAKE and YASKA(チャケアンドヤスカ)栄光の軌跡」。同時期に“SAY YES”でCHAGE and ASKAの大ファンになっていた私は、盆と正月が一度にやってきたような喜びを胸に、ブラウン管にかじりついて観ていた。 アラフォー以降の世代にはお馴染みかと思うが、なんと、最終回にはチャゲアス本人が登場するというサプライズが待っている。当時S

          CHAGE and ASKAファンが愛する、CHAKE and YASKA