個室へエスケープ
この2~3年のあいだに、「ラジオ」という媒体にお世話になることが多くなりました。
学生の頃は完全なるテレビっ子で、学校では観た番組の話をしたり真似をしたりと、ラジオとはとても縁遠い日々でした。
この当時は当たり前と感じていた、「毎日友達と顔を合わせる」という行為が、実はとても貴重で特別なものであったのだなと今更ながら気づいた次第です。
必ず誰かと意思疎通ができる環境、そしてその期間から与えてもらった安心感は、密やかに今の自分をも支えてくれているのだなと。
とは言え、おばさんになるにつれ
「こんな話で誰かの時間を割くのは…」と躊躇うことも増えているのを実感します。
頭の中を堂々と巡る、取るに足らないこと、心配、隣の芝生の青さなどなど。
それらをひととき頭の隅まで追いやってくれるのが、ラジオを聴く、という行為だと思うに至っています。
テレビが大きな会場で大勢で観ているもの、と例えるとしたら、ラジオは個室、またはお話ししている方のお部屋にお邪魔するような感覚です。
こっそりと同じお部屋に入って、気づいたらその会話の中に自分も参加しているような。
決してそうではないのに、自分に打ち明けてもらえているような。
過度な演出がないぶん、パーソナリティの方々の「いま」とか「人間である」ことを知らせてもらえる気がして、その距離感の近さにとても救われることがあります。
ブースの中のあの方が、どんなことを思っているのか。
どんな考え方をお持ちなのか。それはどういう経験からくるものなのかなどなど。
学びをいただくことや、ハッと気づかせていただけることもあり、ちょっと勝手にホロリしそうにもなります。
あぁ、今ほしい言葉をもらえた!みたいな。
究極、話し相手になれていると勘違いさせてもらえるのが、ラジオの心地よいところなのかなと。
だけれど決して関係性はなくて、だからこそ色々な話を素直に受け止められて、笑えて、グッときて、また会いたくなるのだろうと今書いていて思いました。
ひとりで聴いているのにひとりじゃないと思わせてくれるラジオという存在。
そしてその向こうにいるパーソナリティーの方々。
自分の奥に眠らせていたプラスの感情を表出させてくれて、頭や心をリセットさせてくれます。
普通に考えたら、ひとりでいる時に「ふふっ」とか声に出ちゃったりするの、おかしいでしょ。笑
それを許してくれるのも素敵です。
こんなふうにラジオへの感謝を伝えたくなるまでに救われたのは、ほんとうにここ最近。
一年前とかにここまで思えてたらなぁ。
東京ドームに迷わず応募してたんだろうなぁ。
当選できなかったとしても、ライブビューイングまたは生配信、参加していたかもしれないなぁ。
こっそり作った見る専用のXアカウント、2/19のタイムラインはキラキラしていました。20日もピカピカしていました。21日もルンルンでした。
ライブに参加された方々や、著名人の方々の興奮と感動と幸福感が爆発した愛しかない投稿に、久しぶりにSNSを見ることに楽しさを感じました。自分も参加したかのような気持ちにさせていただき、幸せのお裾分けをいただきました。
もしもまた、何らかの形で生で会える機会を目にしたら、もうきっと迷わないと思います。それがラジオのイベントであっても、そうでなくても。
東京ドームまでの道程を、感情含め折に触れ伝えてくださっていたご本人方、
SNSで楽しく情報を発信してくださったスタッフの皆様、
当日の景色やご感想を教えてくださった、スペシャルゲストの方々、
リトルトゥースの皆様。
公演が決定し無事完走するまで、更には冷めない余韻までお伝えくださったお陰で、この一年ワクワクとドキドキが続き、ずっと楽しかったです。
ラジオがホームであるおふたりが、この先どんなことに取り組まれても大好きでいたいです。このような、他では味わえない喜びが芽生えたのは本当に久しぶりです。
だからお願いします。やっとスタート地点に立てたリスナーのために、東京ドームライブをどうかソフト化してください。
公演終了後にたまらずオンラインでグッズを購入した、新米より愛を込めて…
切実です。
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