「好き」が見せた幻

昨年、心の軌道を変える音楽に出会えた。
楽曲はもちろん、その方のキャラクターにも癒され、元気づけられ、笑顔をいただいている。

音楽に惹き付けられると、作り手のパーソナリティにも共感し、ますます尊敬の念を抱く。
そして、気持ちが離れる時は順番が逆になる。
という経験を、同時期にした。

Twitterをやめたのもその頃。
本人の発言に関して、少なくない数の方々が様々な思いを文字にされていた。それらを見るうち、空気の足りない浮き輪で海を漂流し続け、先には無人島しか見えないような感覚になっていった。

絶対評価よりも相対評価の割合が大きい気質を持つ自分は、SNSに不向きということが身に染みた。以降TwitterのみならずInstagramからも距離を置き始めた。その結果、知人と行く予定だったお店の臨時休業を明かりの消えたドアの前で知るという失態を冒したり、好きなタレントさんの出演番組の告知を何日も経過してから目にし地団駄を踏んだりしている。

アナログの頃に帰りたい、もうSNSなんていらないなんて言えない現代社会に今更ながら直面したような。ネイティブデジタル世代ではないおばさんは、公衆電話で友人の所在を確認したあの日が愛おしいです。そのくらいの距離感が生むミステリアスさが、人と接する際の想像力の源にもなり得るのではと思ったりもするんですよ…。

私がそのミュージシャンを知った1990年代はミステリアスが保たれていた。当時子どもだったこともあり、テレビが映す印象そのままをその人だと思い、瞬く間に大好きになった。
おばさんになった目で当時の映像を振り返ると、どうしてもあの頃と同じような無邪気さで楽しむことができない。

そんな時いつも、「となりのトトロ」の主題歌が脳内再生される。子どものときにだけ授かれる純粋無垢な眼差し。それがキャッチする眩しいきらめきは、確かにあるのかもしれない。だったら大人になどなりたくなかったという考えが、つい頭をよぎる。きらめきを見失う現象は、SNSの弊害であることも否めない。あたしゃどんだけSNS下手なんだ。

ということで、あれ程心奪われていた音楽や映像を見聴きすることは極端に減ってしまった。しかしそのお陰で、素敵で楽しい音楽は自分が思うより世の中に溢れていると知れたのは大きかった。

ただどうしても、自分に「ファンからの脱落」という烙印を押し、異論はないよと脳が認識してしまう。
いちミュージシャンとファンという、形さえおぼろげな関係に過ぎないと頭では理解しながら、本人の言葉や行動を単なる情報として取捨選択するのが難しい。人格の一部分だと言い聞かせるのも無理があった。結局、他人に自己を投影して勝手にフラストレーションを溜めていただけだ。人としての器の小ささを痛感している。

そんな自分が今無人島でできることといえば、これまで大切に持ち続けてきた関連物をひっくり返すくらいなもので。。
そこで浮かび上がったのは、どれも殆ど触れないまま、つまり中身を知らぬまま長年抱え込んでいたという事実。今更ながら驚くばかり。

私は何を大事にしたかったのだろう。
きっと、子どものときに訪れた喜びや感動を、物を所有することで満たしたかっただけなのかな。
当時の気持ちを冷凍保存した状態で、応援という名のもとにしがみついていたのだろうな。

「好き」と思って追い続けたあの人は、私が作った偶像だったよ。どこにもいなかったよ。

そう感じ始めてからは、フラストレーションに覆われて見ないふりをしていた、悲しさや切なさが顔を出しては困らせる。ああ滑稽だ。

と茶化しても、心の深くにある球体がごっそり空洞になったような感覚はごまかせない。この先他に好きな音楽が増えたとしても、ここが埋まることはきっとない。

これから少しずつ抱えていたものを手放して、「推し活じまい」をしていこうと思う。その時にまた悲しさが襲ったとして、後悔もきっとない。そうなるように、ひとつひとつに感謝してお別れしていこう。そもそも、流行りの「推し」という言葉では括れない程、日々を形成する重要な存在だったのだから。

偶然この文章を目に留めてくださった方、ありがとうございます。不快な思いをされてしまったら、申し訳ございません。

子どもだった私、ありがとう。
あのときキャッチしてくれた輝きは、嘘偽りのない記憶です。
生涯変わらない「音を楽しむ上でのルーツ」を得られたのは、何にも代え難い財産です。

最後に。
都合の良い応援しかできなくて、ごめんなさい。
足りない気がしますが、これ以外に相応しい言葉を私は持っていません。
ありがとうございました。どうかお元気で。

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