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次から次へと...

 スピーキングテストって、正直難しいんです。
英語の面接担当してると「この子、英語を話してる」って思える子は50人に一人いるかいないか。後は覚えてきたこと喋ってるだけ。
会話は成り立ってるけど、「使えている」感はゼロ。
見た感じ話せてるし結果は合格だけど、それはテスト用の技術に感じられて仕方ない。
 私は教える側でもあるから、そのコツを教えるのは簡単。それも知ってるから、この「スピーキングテスト」の無意味さも知ってる。

 そんなにしたいなら方法をしっかり考えた方がいいし、それが塾や英語教室など特別な環境無しで皆に与えられるチャンスになるようにするのが大前提でしょう。今のままのスピーキングテストだったら、誰が得するの?って話。誰かが得してるのかも知れんけど、子どもたちじゃないことだけは確か。格差を広げる一つの要因にもなってる。確実に。

 教育が子どもにとって良いものでない場合、それはよくよく考える必要がある。
 この場合、このテストを最大限子どもたちにとって有効で持続可能なものとして使うとするならば、英語で自分の考えを表現する場、その前に日本語で自分の考えを表現したり人の話をじっくり聞く場を作ること。そこからかな。
 学校現場では今のカリキュラムの中では難しそうなので、家庭か学校のカリキュラム見直しになるでしょうね。結局格差か。このためにまた他の「コミュニケーション教室」とか「対話教室」に通わせることが必要なら、これは公ですべきではない。

 目的が「スピーキング力を伸ばす」ことなら、それは日本語教育や他の教科、学校教育や家庭環境から変えないといけないくらい大きなこと。だって普段は黙って言うこと聞く様に育てられてるのに、急に自分の意見をハキハキ英語で言えるわけないやん。
 でもそこまで深掘りしないと、スピーキングにそこまでお金かける意味ないと思う。だから、どうしても「スピーキングテストをすること自体が目的なんじゃないのかな」と変な風に取られても仕方ない。
テストありきじゃなくて、普段の授業とか生活、習慣や考え方から少しずつグローバル化させることは出来る。でも旧態依然とした上から下の教育だったら、結局小手先の英語のテクニックでテストだけ受かればOKって人が増えるのは間違いない。もっと豊かに考えて、じっくり学ぶ環境を作りたいなら、そうすればいい。少なくとも今の詰め込み、させたら出来た、とは違うと思うけどな。

 ワールドスタンダードから日本はどんどん遠ざかって、「グローバル化」って言葉だけが意味のないただのワードとして宙に浮いてるのが見える。

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