翻訳機があるから大丈夫

 英語教育に携わっていると、よく行くお店の人や英語に無関係な方から「もうどんどん良い翻訳機が出てるらしいから、英語は習わなくても良い時代が来ちゃうね」と言われたりする。
私もそう思う。半分。

 「言葉が出来ないから、海外旅行はなかなか…」また「英語を学んでいるけれど、全部聞き取れないし不安」という方、良い翻訳機もあるから是非旅をしてみて!英語を話してみて!と本当に思う。翻訳機があるから、という安心感は言葉が理解出来ない人にとってどれだけ大きな勇気になることか、計り知れない。そういう意味で、翻訳機は本当に便利だと思う。

 そして残りの半分は、「言葉を話すこと」の楽しさはそれとは違うところにあるから、翻訳機があるから全てOK!と言い辛い部分。
 私は英語を話すから、海外旅行も国内旅行も同じイメージで選べる。言葉が難しいから海外に行かない人の話を聞いて初めて「話せてよかった」と感じたくらい、普段言語は全く自分の中で問題視していない。
 でも旅で私が言葉を使ってしたいことは、「道を聞きたい」ことでも「金額を知りたい」ことでも無い。ちょっと出会った旅行者同士で美味しい店を紹介し合ったり、意気投合した人たちと一緒にお茶してそれぞれの国のことや自分の知らない感覚を味わったり。人の声や表情、仕草を通して感じたいことの方が多い。その点から言うと、翻訳機に頼る部分は私が「言葉を話す」ことの楽しみとは一致しない。

 最近で言うと日本語学習者のフランス人と話していて、初めて「フランスではパートナーになってから結婚すると決めるまでに随分時間がかかったり、結婚は子どもが生まれた後だったりする。もちろん結婚しない場合もある。」という言葉が心にズシッと来た。この場合は彼が日本語を学んでいるから日本語の会話だったのだけど、彼の声や「当然のこと」という表情などで日本との違いが初めて心に届いた気がした。今まで幾度となく雑誌や本でこの話を「情報として」知っていたが、彼が当たり前のことの様に話すこのギャップが、本当に興味深いと思った。
 それと同時に、私が今まで信じ込んできた「結婚=パートナー」という概念がガラガラと一旦崩れるその音まで聞こえてくるから面白い。そこで一旦崩れた自分の思い込みに対して、結婚ってなぜするんだろう?と考え出すのがまた面白い。

 日本語学習者との会話では日本語で面白い話を聞いてなるほど、と思うしそれ以外の場合は英語でそれを常に体験出来る。韓国に行った時は韓国人と飲みながら私たちの歴史とこれからの時代の話をしたり、日本で知り合ったアメリカ人が真顔で「原爆は正義」と言い切るのを、不思議な気持ちで聞いていたり。ただ記事で読んだり伝え聞いただけなら、それがただの「情報」として聞こえてきて、自分の感情だけでしか受け取ることが出来ない。
「原爆が正義だと?何言ってるんだ?」
 でも、彼のまっすぐな目から彼がそう教えられ育てられてきたことが見える。ただNOを突きつける前に、何か一緒に見ることが出来る景色はないか考える。

 言葉と一緒に、そしてその人の表情、声色、身振り、空気、匂いを「感じる」そんなものを全部合わせて「会話」なのだ。
そして、日本の様に島国で同じ様な顔で1言えば10通じる様な良くも悪くも限られた世界で暮らしている私たちは、会話を通して「感じる」ことが必要だと思う。

 これから学び始める子どもたちに「翻訳機があるから大丈夫だよ」とはなかなか言い難い。しかしその為に闇雲に「英語を学べ」というよりは、まず隣の席に座っている子、担任の先生のことをもっと「知りたい」そして知った上で、自分と比べたり向き合ったりしてみて欲しいと思う。
 ある子が言った。「僕は人の考えていることが知りたい。良いとか悪いとかは、ない。ただ『そんな考えもあるのか』って思いたい」
そんなマインドの大人をもっともっと育てる必要があると思うから、私は「英語」を通して子どもたちと関わっているんだと思う。

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