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東京オリンピック2020に学ぶ

 先日、成人間近の我が子と昔のテレビ番組を観ていた。私は懐かしさもあって笑って観ていたが、子は明らかな嫌悪感。言われて気付いたけど、80年代のテレビは今には通用しない笑いや会話の宝庫なのだ。改めて私は自分の中にあった「だってさ、そういう時代だったから」を感じて悲しくなった。

 子どもの頃大好きだった「ちびくろさんぼ」が問題視された時、ピンとこなかった。あの頃日本ではそれがわかりやすく議論されることはなかったし、あったとしても私たちには届かなかった。その点で言えばこうして日本国内の若い人たちが差別意識に敏感なのはSNSの影響と言えるだろう。
 情けないことに、我が子に「どうしてこれがダメなのか」を教えてもらうことが多くなった。それは私たちがこの囲われた壁の中で一切学んでこなかったことだった。

 この言葉一つで、苦しんできた人がいる。この呼び方は差別的。
それに気付いた人たちが「神経質な人」「それじゃ何も話せないじゃないか」「私は悪い意味は込めていない」と言われ、特別視されていた時代。私の周りの大人たちも「なんか、面倒臭い時代になった」などと言っていたので私も面倒な時代になったんだ、と思っていた。意味は分からなかったけれど。

 思えばあの時もあの時も、立ち止まって考える機会は山程あった。でもそれを大人たちはスルーし続けた。テレビでは相変わらず女性の胸がどのくらい柔らかいかを男性司会者が触って確認する様子がゴールデンタイムに放送されたり、女性アナウンサーや女性アーティストに絶対男性には聞かないであろう質問をして笑いものにしたり、女性にだけ幼児に話しかける様な口調で話す司会者がいたり、人の容姿を笑ったり。テレビが全ての情報源だった私たちにとって、そのテレビの中の差別や人に対する敬意のない言動は日常だったし、教育だった。
 その後学校に行っても人に優しくしようとか挨拶は大事とかそういうことは覚えているけど、差別について学んだことはほとんど覚えていない。
ぼんやりとそこだけもやがかかった様な、大人もどこまでそれを触っていいのか分からない様子だったし、どこか「自分が楽しけりゃいいじゃん」な雰囲気が漂っていた時代。

 私が強烈に目を覚まされたのは、高校3年の夏休みに夏期講習に行った"塾"での社会の授業。私が学んでこなかった歴史を教えられ、それは強烈に心に刻まれた。私のいろいろなものに対する違和感が正しかったのだと確信した出来事でもある。その後学生になってバイトをしてはお金を貯め、海外に行った。現地の学生たちと交流する機会にも恵まれた。そこでまた歴史の行き違いを感じて、これは自分の目で観ないといけないと思った。

  日本にいれば、身の回りの常識だけでそこそこに笑って生きていける人がたくさんいた時代。高度経済成長の中で何もかもがうまくいっている様な明るい雰囲気の中、差別や違和感、苦しみの中にいた人たちの姿は無いものの様に扱われていた。いじめが横行していたにも関わらず、いじめ自体の問題はさて置き、それがドラマやエンターテインメントになるような混沌とした時代。大人の中に「問題を先送りにして、とりあえず今は笑おう」みたいな雰囲気があった。
 暗い顔をしていたら、取り残される。笑っておかないと。そんな空気を感じていた。あの時代、大人は子どもみたいだった。そしてあの時代に育った私たちの中にも、未だに成熟出来ない部分があることは否めない。

 この東京オリンピック開会式騒動で、日本が先送りにしてきた部分が世界に晒された。見て見ぬ振りをして蓋をしてきた、その蓋がポーンと開いてポップコーンみたいに差別がたくさん飛び出した。あの時代を生きた大人とあの時代に育った子どもたちがポカンとしている間にも、若い世代は「そりゃ当然だよ」と涼しい顔。私の世代以上にとっては苦くて苦くてたまらない薬だったが、それは私たちがいつか受けるべきものだった。日本の学びのきっかけは、皮肉にも自分たちが熱望して引き寄せたオリンピックにあった。

 これから私たちがすべきことは、「あんなこともあったね」とまた蓋をするのではなく、本気で自分のいるところからは見えない人たちに心を向けること。蓋をしてきた自分自身の感情に向き合うこと。そして辛い作業になるとは思うが、子どもたちと歴史を振り返り自分を反面教師として晒しながら次の時代をより生きやすくしていくことだろう。まずは自分の中にある差別意識と向き合おう。
 それがこの東京オリンピックが遺したものになると思うから。

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