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自分に恥じない生き方を

 大人になってよかったこと。自分がいる場所を選べること。
学校は本当に嫌だった。何が嫌って、人が常に自分を監視している様な気がしていたこと。授業中はともかくとしても、休み時間にどこかのグループに属していないと「淋しい人」「友達が出来ない人」友達が出来ないことは、親不孝にもなるし先生も心配する。だから、気が合うかどうかわからなくても、グループに属し損なった誰かと一緒にいるふりをしたりする。もちろんお互い同じニーズだから話が合う訳でも盛り上がる訳でもない。この時間がかなり苦痛。
 少し派手目なグループに属したこともある。その時は、とにかくあることないこと、クラスの男子を小馬鹿にしたことなど人のことを面白おかしく描写したらウケるから、みんなそうする。ひどい言葉を使って。汚い笑い方をしながら言う。
 私は本当にそれが嫌だった。そんな人たちが嫌いなのではなく、自分がそこに属するために無理してそれをしていたことが、嫌だったのだ。淋しいヤツにならないように、汚い笑い方をしていた。

 大人になって、海外を一人旅をしたり、一人飯は当たり前。自分の大好きな自分といつも行動を共にした。そして綺麗な笑い方をするわずかな人たちと時々会って話をするのを楽しみにした。大人って自由だ。
 そこで決めた。自分が嫌いな自分にならないように。人の陰口は言わない。その基準は「本人がそこにいても言えること」。本人に言えることしか口にしない事にした。
 結果どうなったかと言うと、少し物事をハッキリ言う人になった。みんなで一緒にいて、その人がいなくなったらその人の悪口を言い始める人が嫌いだから。言いたいことはその人に直接言う事にした。その代わり言葉はしっかり選ぶし、他の部分では一切感情を入れない。違和感をただ伝えるだけ。時々「怖い人」だと思われるけど、私自身は本人がいないところでめちゃくちゃな悪口を言う人が、その人の前では笑顔で「大賛成です」みたいにして笑ってる方がずっと怖い。だから、特に好きな人やもっとずっと仲良くしたい人には、ちゃんとハッキリと言うことにした。

 自分が大好きな自分に恥ずかしいことはしたくない。若い頃人間関係の中でもがいた苦い思い出から学んだことを大切にしたら、きっとあの苦い経験も少し輝く。子どもが出来てママ友なるものを作ろうかと努力したこともあるけれど、その時感じたのはあの時の嫌な私。きっと私、向かないと思う。そう思って、ママ友は諦めた。いつも人に見られている様な気がしていたけれど、おかげさまで家族だけを見ていられた。

 今の自分は、私史上自分が一番自分らしく、自分が一番好きな私。グループに属していないけれど、友達がとびきりたくさんいるわけではないけれど、とっても幸せだ。

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