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豊かさの定義

 結婚したばかりの時に住んでいたのは古いアパート。今の時代の新婚さんとは程遠いかも知れないけれど、私にとってはそこがお城だった。今思い出してもキラキラしている。ぽっかり空いた換気扇の穴から降り込むヒョウから、生まれたばかりの娘の顔を両手で守った寒い冬の夜のことも、今では夫や娘と笑って話す思い出話。当時もそんなに問題視はしていなかった。ヒョウの降り込むお城で、私は豊かな日々を過ごしていたから。

 高校生の時にバイトを始めてからというもの、大学では数多くのバイトを掛け持ちしながら学び、海外生活の中でも常に何かしら仕事をしながら語学を習得した。私にとって「働く」ということは生活の一部だった。
 そんな私が子どもを産んで、子どもと一緒に家で過ごした間の数年間、私は「働かない」ことをどうやって自分の生活にするかを考えていた。そこで閃いたのは、「節約が仕事になる」ということ。料理を作れば、惣菜を買った時とは数百円違う。そんな発想を取り入れてみたら、楽しく工夫が出来るかも、と始めたのが節約生活。
 元々サバイバル好きなので、日常にもちょっとしたスパイスを加えるのが趣味。敢えて財布に1,000円札だけしか入れずに街に出てみる、とか、冷蔵庫にある数点の野菜だけでどれだけ満足なものを作られるかチャレンジ、とか。だから、ある程度の逆境的なことは私にとっては良い刺激になる。最初はとてつもなく不安にもなるけれど、その内に自分の中に落とし込む。そしてそのサバイバル生活をどう過ごすかを考え始める。

 さて。節約を自分の仕事にしよう、と思い立ってから始めたことはたくさんある。古いアパートだったので、お風呂の水を糸の様に細く出して朝から10時間以上かけて溜めたら水道代にカウントされない、というどこかで見た節約アイデアを毎日実行。(これは多分節約にはなってなかったと思うが)
 そして狭いベランダにプランターを並べて野菜やハーブを育て始めた。自給自足とまではいかないが、子どもと一緒だったらなんでも喜んだり驚いたりしてくれるので、楽しかった。それに、子どもの頃から苦手でずっと遠ざけてきた裁縫にもトライしてみた。夫の着古しジーンズで我が子のバッグを作ったり、可愛い布を買ってはゴムを通してスカートを作ったり。そんな中で母の日に両家の母にプレゼントした私の破滅的なピアノの鍵盤柄のポーチを、義母は「今まででもらったどんなプレゼントよりも嬉しかった」と言って大事にしてくれている。当時の私の試行錯誤、一生懸命な姿をそのポーチの中に観てくださっていたのだと思って、私も思い出すたびにしみじみする。
 レジャーは、知り合いの自動車修理工場から安く譲り受けた中古車で、自然の中にドライブ。あの時行った場所にまた行きたい、と今でも子どもたちが言う程。豪華さはなかったけど、とにかく楽しかった。
 市民図書館の道向かいに住んでいたので、公園代わりの図書館。公園にもよく出かけたが、図書館には雨の日もよく出かけた。図書館の児童コーナーのお姉さんとは名前で読んでもらえる程親しくなった。ほぼ毎日行くのに、それぞれの子どもたちがどっさり借りてきていて、家の本棚には図書館で借りた本を並べるためのコーナーを作っていた。
 子どもたちの服は、子どもたちが自分でおしゃれをしたくなるまでの間は古着含めて3桁で買う、と決めて小学生くらいまでの間はバーゲンや中古を買い求めた。人から譲り受けたものも多かった。 
 おもちゃは広告をちぎったり、小麦粉で粘土を作ったり。水遊びもよくした。何かのポイントが溜まった分でもらった小さなウクレレや太鼓やピアノのおもちゃで合奏をしている動画を見つけたが、それらをかき鳴らし叩きながらどこかの民族みたいに子どもたちが歌っていた。
 フリーランスとして独立してしばらく、時間が出来た夫がキムチを一から漬けていたことも良い思い出。美味しかったな。私はぬか漬けを育てていた。あれこれするお金はなくても、美味しくて健康的なハンドメイドの生活があった。それを「美味しいね」と言い合える人たちがいた。

 子どもが大きくなってくると、習い事をさせてみたいという気持ちになった。夫に相談して、私が「習い事分」働くことにした。インターネットで見つけた、ちょっとした記事を書く仕事を在宅で始め、幼い子どもとその親が集まる英語サークルを始めた。
 そして我が子が小学校に行き始めたくらいに自宅で小さな英語教室を開いた。教室はゆっくり軌道に乗り、子どもたちの成長と共に私は小学校での英語指導も始めた。仕事をするとそれなりに収入があり、以前は贅沢品だった季節の果物にも手が出る様になった。朝から夜まで働いて、クタクタになる日も多かった。子どもたち3人がそれぞれ持って帰ってくる提出物の提出に遅れたり、学校のプリントを失くしたりもした。
 多忙な日々は、私の中の可能性と社会性を満たし、体力と時間を奪った。子どもたちに少しはおしゃれな洋服も買うことができる。季節の果物だって躊躇なく買える。母の日には私の酷い作品ではなく、フラワーアレンジメントを贈ることだって出来た。

 そんな生活を続けて十数年 、訪れた新型コロナウィルスに怯える日々。ステイホームと言われ、大きくなってそれぞれ多忙になった子どもたちも再び家にいる。私の生涯学習センターでの英語講座は無期限休止になり、教室はオンライン。欠席者も出たので収入は読めない。一瞬不安にもなったが、私たちには経験がある。
 思いがけず、あの節約生活が戻ってきたのだ。

 苗を買ってきて、庭を耕した。十分世話ができるので、夏野菜はすぐに収穫できた。いかに安価に満足のいく料理やオヤツを作るか、今度は我が子とそれを相談しながら交代で作って「美味しい美味しい」と賞賛し合う。
 一緒にネットで映画を観たり、人から勧められた本を読んだり。
十分なお金があるかどうか、先行きはどうか、そんなことは誰にもわからないが。今目の前に降ってきた家族の時間を楽しむことに全員が切り替えた。

 夫と晩酌しながら子どもたちが小さい頃のビデオを観ていると、小麦粘土を練っている子どもたちがいる。私が「何作ってるの」と聞くと、それぞれが笑顔で答えている。ベランダで水浴びをしたり、一緒にクッキーを焼いたり。なぜかわからないけど大爆笑している映像を観ながら、しみじみと「こんなことたくさんしてくれたんやね。」と言う我が子。

 豊かさの定義はわからない。けれど、家族と共にいろいろな豊かさを経験してきた中で、それぞれが自分の「お気に入りの豊かさ」を持って歩んでいってくれたらと思う。心の中にそれがあることに、大きな意味があると思うから。

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