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人のことをとやかく言う心理

 私は人からいろいろ言われるのが苦手だ。得意な人っているんだろうか。得意ではなくても、慣れてる人や聞き流すのが上手な人はいるのかな。でも私は出来るだけ人のことをあれこれ言わない人と一緒にいたいと願うし、実際そうする。人のことをあれこれ言う人の元にはあまり近付かない様に心がけている。
自分が大切だから。
自分が気持ちよく生きる環境を出来る限り作りたいから。

 そんな折、ふと出会ったジャマイカのシンガー、ボブマーレーの言葉
"Before you point your fingers, make sure your hands are clean"
に心奪われた。英語やってて良かった、と思うのはこうした素敵な歌詞や文章に触れた時。わざわざ日本語にしなくてもその意味がギューンとハートに届く時。

 解説すると、Before…,で「する前に」そしてmake sure…は「確認しろ」みたいな感じかな。指を指す前に、君自身の手がキレイなのかどうか確認しろ、ってこと。日本語にしてもしばらくうーんと考えて、あ!そっか。ってわかる様な意味だけど。

 子どもの頃の私たち、高圧的な大人と止むを得ず一緒に過ごさなければいけない時間があった。そんな時私はいつも心の中で思っていた「自分はどうなんだよ」って。私は「言われる」ことが嫌いなんじゃなくて、きっと高圧的に人に向かう人の雰囲気が嫌いだったんだと思う。あの当時は自分のことは棚に上げちゃって...って子どもらしくちょっと反抗的に感じていたけれど、大人になってみてその人の必死にマウントを取る姿に哀愁さえ感じる。
この人は認められてこなかったのか、また自分を認めてあげられないのか。

 一方的かつ高圧的に人に何かを言っている人を観察していると、まず余裕がない。そして視野が狭い。一つの方法しか知らないのかというくらい、一生懸命それを伝えてくる。敢えて何かを見ない様にしているようにも見えてくる。

 そうだ、彼らは敢えて何かを見ない様にしながら、人を責めている。
それはズバリ「嫌な自分」だ。

 私が断言できるのは、幼い頃から観察癖、分析癖があり人を観察し続けてきて感じてきたからであり、実際自分にもそんな時期があったからだ。正直あの時の自分は嫌いであまり思い出したくないけれど、あの時の自分を思い出すことで人への理解が深まるから、思い出す。でも慈しみをもって。自分を守ることに必死だった余裕のない時。私は人を傷つけてしまったかも知れない。でもその償いも含めて、そんな苦い時期を思い出しながら今を生きる。

 人のことをあれこれ言うのは、何も大人だけではない。私が子どもたちに関わる中で、それが一番増えてくるのは小学校高学年から中学生。人と自分を比べて落ち込みがちな時期だ。自分の話よりも人の話が増える。しかも蔑む様な言葉。人の失敗を喜ぶ様な話。最初はあの天真爛漫な子どもたちに何が起こってしまったのか、人の心配する前に自分のことを…と思っていたが、毎年関わる中で気付いた。彼らは自分のことを振り返らない代わりに人を蔑み安心するんだ、と。成長過程の中で必要なことなのかも知れない。だから私は「そんなこと言わないで」や「その人にだって何か事情が…」なんてわかりきったことは言わずに、ただ聴くに徹することにした。
本当は人の悪口とか人を笑う人とは関わりたくない、でも子どもたちが必死で自分をガードしようとしている状態には向き合いたい。
 そして子どもたちを咎めたり諭す代わりに、私自身が凛として正しくあろう、と決めた。人のことをとやかく言わない、ただ受け入れてくれる場所が必要な子どもたちにはとやかく言わずにただそこにいよう、と。

 結局その成長過程の中で否定され続けてきた人、また自分を大切にすることを学ばなかった人たちは、大人になっても人を攻撃し続ける。心は思春期のまま安定せず、どこかに置いてけぼりにしてきた自分を迎えに行くこともせず、今日も人を攻撃し続ける。

 だから。
私は子どもたちが道に迷っていても、方法を間違っても、その人自身を否定することは絶対にしない。
指導者、親の最終ゴールがあるとしたら、それは子どもたちが一人でも自分を大切にして生きていけるようにサポートすることだと思うから。

 補助輪でもまだグラグラして転んでばかりなのに、早々に手を離してコケたら叱られる…じゃ、あまりにもしんどいから。それじゃずーっとグラグラのままだから。

 あなたは大切、と言い続ける。


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