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意図せず根っこをくれた父

 私の父はチェロ弾きです。父はサラリーマンではありましたが会社勤めではなく、ただひたすらチェロを練習して人前で演奏するという35年間を過ごしていました。ですから私は父から「社会人たるもの」や「将来困るぞ」などとは言われたことがなく、それは私の性格上この上ない幸いだったと思っています。
 良い意味で、子ども6人の共同生活みたいな家族でした。父は突然食卓でブランデーに火をつけて青い炎を見せてくれたり、遠心力の実験を見せてくれたりしました。学校の理科は苦手だったけど、そういう不思議なことは今でも大好きです。
 海外ドラマや洋画が好きな父の観ているテレビを隣で見ていたから、自ずと海外には私たちと違う生活があるということが私の中に根付きました。憧れもしました。海外ニュースの戦乱やテロなどもしっかり父の説明付きで観ていたので、それが怖過ぎて嫌なこともありました。あの時報じられていたテロの犠牲になった子どもたちの様子は未だに私の中から消えず、青い炎の様に静かに私の中で燃えています。信じたくないことはリアルに起こっている。例え私たちが目を逸らしても、確かに起こっている。そして私はそれから目を逸らすことが出来なくなった。今思えば良かったと思っています。
 父はただ不思議なことや世界のあれこれを一緒に「うぁ」と驚いたり怖がったりする仲間が欲しかったんだろうな、と思います。理科や社会を教えるつもりはなかったでしょう。でも私にとってはあれが理科で社会。心に残っているのはそればかりです。

 これはあちこちで言っていることですが、父は私が料理を作ると「コックさんになれる」といつも言っていました。今思うとそんなに美味しくもなかったと思うし、父も何気なく言っていたのかも知れないけど。
 でもそんな言葉をかけ続けられた結果、40年以上経った今でも「素敵な勘違い」「根拠のない自信」の塊みたいな私になったんだと思うと、感謝しかありません。私はきっと今の日本では珍しい「根拠のない自信」を持つ人間です。一人で海外に行ったり自分の版画を路上販売してみたり、我が子のために教室を立ち上げたり。誰も来なくても失敗してもなぜか大丈夫な気がして前に前に進めたのは、私の根っこにある「根拠のない自信」のせいだったのかな、と思います。
 私は今教育者として大人の皆さんに関わっていますが「根拠のない自信」をつけてあげて欲しいと伝え続けています。何かを一生懸命しようとすると、人は壁にはぶつかります。でも自分の中で自分自身が「大丈夫。他の方法を考えてまたトライだ!」とか「きっと出来るよ」と励ましてくれたら前に進めるのです。
 私たち親や教師はいつか子どもたちと離れる。だから、子どもの中に「根拠のない自信」という味方を育ててその人にお任せする。きっとお子さんは一人で歩める人になります、とお話ししています。

 子どもの頃からうちは変わっていると人に言われたものでしたがピンとこなかったものの、大人になってみていろいろな子どもたちや大人の方々と触れる中で改めて、私の育った環境はやはり変わっていたのだと気付きました。
 ちょっと悪いことをして父が呼び出され「お父さん来るぞ」と脅されたものの、やってきた父は私に優しく「大丈夫やった?」と声を掛けるだけ。その一言。目の前で私のために謝罪。私はどんなに怒鳴られるより叩かれるより、この父を悲しませることはしてはいけないと思いました。思いつきで結果的に悪いことをしてしまった自分の心が切り刻まれる様に痛かったのを覚えています。兄弟の髪型のことで学校に呼び出された時も「似合っていると思います」と言い切った父。空気を読まない人。

 何かを強制されたことはなかったので、私はただこの両親を悲しませたくないという気持ちだけで正しく生きたいと思い今に至ります。

 教育はじっくりと時間をかけて毎日の言葉や習慣、所作の中で培われる関係性そのもの。そんなことを長い時間をかけて教えてくれた両親に感謝しつつ。
 そろそろ実家で暮らした時間よりも夫と暮らした時間の方が長くなる。でも親元を離れてもずっと、いつも私の根っこにいる味方が私を支えてくれる。そして新しい家族にそれがじわじわ浸透していく。
素敵な勘違いをし続ける私を、与えてくれてありがとう。

父が父になって47回目の父の日に。

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