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病める時も 健やかなる時も 富める時も 貧しき時も

 ある人と話していると「こういうところが自分に合っているのかわからない」とか「今後どうなって行くのか」と、パートナー選びに関してかなり慎重なので驚いた。ありとあらゆる情報を集めた上で、自分のことはそっと棚の上に乗せて相手のことを吟味する様子は、何か家電を買う時みたいだな。
でも実際は自分のパートナーなんて家電よりも長い付き合いになることが多いから、もっと深刻になるべきなのかも知れないけれど…

 だがしかし、またある人と話すと「人は変わるものだし、その人のことをいくら知った気になっていても、確証は持てない。その時のフィーリングが一番大事」という。私自身は来た波に乗った感じで結婚をしているから、フィーリングというと一番しっくりくるかも知れない。

 結婚20年を超え、こんなに同じ人と20年以上も一緒にいられるものかと自分で驚いているのは、このパートナーが良い意味で予測不可能だったからと言える。もちろん周りには想像だにしなかったことで道を分かつ人もいる。でもそれはそれでアリだと思う。きっと別れたくないから事前に相手のことを吟味しようとするのだろうけど、人は変わるし自分の知らない相手の姿なんてたくさんある。本人でさえ気付かない自分のことを結婚してから知ることだってある。つまり、事前情報はあまり役に立たない時もあるってこと。それだけを信じて何かを決めてしまうことは、確実な方法とは言えない。

 私は一生結婚しないつもりだった。周りの苦い例をたくさん見て、結婚が一番の幸せだとは思わなくなった。そういう世代の走りなんじゃないかな、私。でも来た波にヒョイっと乗った。そこにあったのは、輝かしい未来が書かれた誓約書ではなく、白紙の地図。それこそフィーリングで走り出し、行き当たりばったりで時にぶつかり、時に手を携えて歩んできた22年。白紙だった地図には、私たちのその軌跡が描かれている。長くて曲がりくねっていて、遠回りばかりして時々ぐちゃぐちゃ。それでも確実に私たち二人の後ろに道がある。

 あの結婚式の時に言う「病める時も 健やかなる時も 富める時も 貧しき時も…」って言葉、あれ、深い。人は変わる。きっとパートナーも私も変わる。でも一つ変わらなかったのは、私の気持ち。ずっとパートナーに想いを寄せてきた私は結婚した時に「この気持ちを忘れたくない」って思った。それが今も続いてる。パートナーとバイバイってハグして家に帰らなくていい。朝起きたらそこにいる。休日の朝、お昼ご飯の話をする。ゴミ出しどっちが行くか考える…そういう生活の一つ一つを分かち合えることが未だに嬉しい。
 機嫌が悪い時は単純に腹立つ。私だってしんどいのに、って思うこともある。でもじっと考える。もしかしたら仕事ですごく嫌な想いをしてきたのかも知れないな、とか。ホルモンバランス?とか。相手の心が健康じゃない時、なんとなくそう理解して自分の気持ちを立て直すことが出来る。贅沢できるお金がない時も、うどん屋さんの素うどんにネギと天かすをたくさん乗せて「これで格安デートだね」って笑い合える。

 どうしても腹が立って道を分かつことを考える時には、少し冷静になって自問する。「私はどうしたいのか」一番怖いのは物理的にも精神的にも「この人がいないとダメ」って思うこと。そう思ったら離れなくちゃと思ってる。
大事なのは「一人でも十分生きていけるけど、この人といたら面白い」って思えるかどうか。それが私の唯一の基準。で、今まで何度もその自問を続けてきて「面白い」が勝ってるから、今も一緒にいる。これからもその基準は変わらないと思う。

 病める時も健やかなる時も富める時も貧しき時も、一人でいるよりも面白いって思うから、今日も一緒にいるんだ。

#私のパートナー

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