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環境をカスタマイズ

 小学生の頃、同じクラスの男の子が引っ越した。
その理由が「喘息のため、もっと空気の良い場所で暮らす」というもの。もちろん彼がいなくなるのは淋しかったけどその理由がとても素敵だと思ったのを覚えている。
 彼の空気は本当に物質的な「空気」を言っているのだろうが、日本で何より大切にされている精神的「空気」のことも考えた。大人になって感じるのは、その場その場に独特の「空気」があるということ。
それが強烈であればある程、合う人合わない人が出てくるだろう。目に見える病ではないが、それは見えない心を傷めつけていく。

 英語教室では、毎週教室ルールを唱えるのだが、ある日気になったので子どもたちに尋ねてみた。"Make mistakes."って言ってるけどさ、make mistakesしたくないよ〜って人、いる?  なんと全員手を挙げた。
 理由を尋ねると、「馬鹿にされるから」「笑われるから」「居残りさせられる」「みんなに『違いまーす』って言われる」というものが圧倒的に多く、その中に時々「自分が悔しい」という子がいる。自分が悔しい子は、それをバネに前に進んで行ける子たち。ただ、その度が過ぎない様に「間違いに気付いて『悔しい!』って思うことがグンと伸びる前触れだから、『悔しい!』って思いながら『よっしゃ!』って思うことも忘れずにね」と伝えた。
 そして外的要素の強い子たちにはこう尋ねた。
「先生がこの教室を作ったのは、『間違っても良い場所』が作りたかったからなんだ。安心して間違えられる場所になるように、アイデアくれない?」
 出るわ出るわ。「笑った人逮捕」「馬鹿にする人には、おしおき」「そんな人は猛獣のいるオリの中に入れる」いずれも子どもたちの『間違いを笑う行為は許せない』という強い気持ちが見えた。
 しかし実はそうやって「許せない」と思っている子が率先して人の間違いを笑う場面を、私は多く見かけている。笑われたくない子は人を笑うことでどこか安心しつつ、更に自分にチャレンジの番が来たら「笑われる」と恐れるという悪循環を自分で作り出しているのだ。

 私は子どもたちの間違いを笑わないし、叱らない。だから先生の周りには間違いを笑う人がいないんだよ。英語の生徒さんにはそう言っています。人の間違いを笑ったり馬鹿にする行為が嫌いだから、先生はしない。それに先生はそんな友達も欲しくない。無理してそんな人たちに合わせて付き合いたくない。皆さんも自分の周りの環境は作ることは出来る。まずは自分が何をすべきか。考えてみたら面白いかもね。
 学校教育を受けている間は世界も限られている。簡単に自分の環境をカスタマイズできないかも知れないが、タイミングが来たらそれが出来る様に。自由なマインドを育てておきたい。自分が吸いたい美味しい「空気」の中で生きていける様に。

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