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氷の上からのメッセージ

 2022年北京冬季オリンピックを観ている。

挑むことと自分の成長

 英語教育に携わっていると、特に英検などで「小手先の入れ知恵」をされている子どもたちを見てしんどくなることがある。
「ここは、こう書いておけば大丈夫だから」
 確かに私もそう言うことがある。英語の先生だし、我が生徒は可愛いから合格して喜ぶ姿が見たい。でもその時に必ず話をするようにしている。

「二つの見方があってね、あなたはこれを表現しようとした。それは会話的には素晴らしい。あなたと会話するのはとっても楽しい。
 ただこれをテスト的に考えると、テストでは間違って使った言葉は減点されてしまう。合格を確実にするためには、ここはこう言っておくと間違いはないかもね。
 でも本当はテストで取れる点よりも『自分が伝えたいことを自分なりのいろんな手段で伝える』力の方がずっと尊いと思うわ。だから大切にして。」

 言われた方は「はぁ?」だし「結局なんなんだ」ってことにもなりかねないから、これは完全な私の自己満足。認める。でも言っておかないと気が済まない。私にとっては「合格することがすべて」ではないから。
結果が出ればそれは嬉しいけれど、悔しがるのもこけるのも立ち上がるのも、それに飛び込んだ人の特権だと思う。それを周りの人が悔しがったり叱ったり責めたりする筋合いもないし権利もない。
 私は何より今「英検を受けるぞ」と決めたその生徒の隣を走りながら、挑戦は素晴らしいと伝え続ける。どんな結果に繋がっても、その経験がゼロやマイナスになることは決してない、と。

 そう。挑んだ人には「結果」ではなく「成長」がついてくる。
周りからの圧力や自分の意志に反して挑んだ人でも、それなりに向き合うと成長する。ただ、最後までイヤイヤだったり周りからの圧力が強すぎて操り人形の様になってしまったら、その人には苦痛しか残らない。自分の成長を感じることはないだろう。

 オリンピックで一番印象に残ったのは「成長」という言葉。その競技はもちろん、きちんと向き合った選手には心の成長も伴う。私たちが日頃自分の心の成長を感じることはあるだろうか。

 「心の成長」を語る人は、いろいろな壁にぶつかる経験をした人たち。このままこれを続けるべきか、ここで降りるべきか。大怪我や心の問題、それに真正面から向き合った人たち。一旦自分がゼロになった時に、何を選ぶか。そこで自分で選択してきた人たちが最終的に決めたことは、自分が自分の一番の味方になることだったのではないだろうか。

最大の味方


 自分がゼロになる、そんなこと想像しただけで怖いけれど。
今まで積み上げてきたものを一旦手放す。人から言われた賞賛の言葉も酷い言葉も一旦手放す。そして自分自身と向き合う。
「どうしたい?」

 そこで自分が選んだこと、それを自分も認めてまた歩き出す。
そんな経験をした選手が、今氷上で輝いている。
このくらいにしておけば、メダルには手が届くだろう。ここでミスると勿体無いから、ここはある程度にしておこう。そんな作戦もあるだろう。
でも、私がこの大会で感じたのは、「ここでこれがやりたい」「自分にこれをさせてやりたい。だから頑張ろう」という選手の強い気持ち。

 そしてそれに挑戦した後の姿。周りの人が思うベストではなかったかも知れない。みんなが期待した姿ではなかったかも知れない。
一瞬多くの人々からため息が漏れたであろう、でも彼らには強い味方がいた。それは自分自身。
 爽やかに「これが今の自分の全て」「一生懸命頑張った」と自分を認めたことで、彼らの努力は報われる。彼らは他の誰かの基準で自分を責めたりせずに、きちんと自分の成長を見届けることが出来る。

日本の子どもたちに届け

  彼らは自分と向き合い、自分に問いかけ、自分の成長を見届ける。
今私が知る多くの日本の子どもたちは、大人がぶら下げる「成功」「成果」を満たすために走っている。詰め込まれたスケジュールの中、自分自身が何をしたいのか、何を辛いと感じているのかとも向き合う余裕なく走り続ける。
 人が決めたゴール、人が決めた基準では、自分の心を麻痺させるしかなく、なぜ疲れたかもわからないままにどんどん疲れ病んでいく子どもたちをたくさん見ている。

 そんな子どもたちに届くと良い。転んでも胸を張って「自分は頑張った」と言える人の姿が。自分と向き合い、自分の声を聴き、自分自身を讃えることが出来る人の声が。

 そして、「この子のために」「子どもが失敗しない様」に、と子どもの人生を自分の手で描こうとしている大人たちには、本当に子どものためになることは何か、本当の成長とはなにか、と考える良い機会になれば良い。

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