答えだけちょうだい

 英語教師として自分の教室を立ち上げ、10年間歩み続けてきた。最初は良いと言われる教材をたくさん買った。みんなが行っているセミナーや研修に行った。セミナーや研修に行くと、そこにはヤル気満々な人が溢れている。エネルギーがぶつかり合う。でもそこでふと立ち止まる。ちょっと待て。
エネルギー、吸い取られてないか。私。
 声高々にある方法を提唱する人とそのファン。「あなたが言うから間違いない」という空気。違和感や疑問があると、一気に味わうアウェー感。そして次に襲ってくるのは「私は間違っている」という自己嫌悪。

 日々子どもたちと向き合う中で、ふと「答えはここにある」と気付いたのは、数年経ってから。毎日の子どもたちの顔、反応、言葉、空気。その中にこの子たちと向き合うために必要なものは全てある。私が必要なのは、どこかの誰かがうまくいった方法ではなく、自分の子どもたち、生徒たちと向き合うだけのエネルギー。体力はもちろん、心の余裕だと悟った。
それからセミナーや研修は吟味することにした。その結果、英語教育のセミナーからは足が遠のいた。面白いことに、社会教育やビジネスのセミナーに興味が湧いた。それが私が必要としていた栄養だったのだ。
「誰かがしてるから」「英語教師だから」を脱ぎ去ったら、学びも広くなる。この自由な学びを子どもたちにも伝えたい、そう思う様になった。

 経験を積んで、それなりに人に求められる知識も持っている今、セミナーを開く機会も出てきた。今度は開く側になってみて考える。
「人が来てくれるセミナーって、どんな感じだろう」
残念ながら、それは「すぐに答えを教えてくれるセミナー」「カリスマが一言『コレだ』と間違いない方法を言い切るセミナー」だったりする。
そう、薄々気付いていたけれど、先生でも保護者でも生徒でも「答え」だけを欲しがる人が増えたと思う。

 学びに憧れは必要だと思うけど、憧れと崇拝は違う。ただのフォロワーじゃなくて、自分で考える部分も残しておかないと。ただのコピーになってしまう。そして残念なのは、誰もコピーにはなれないという事実。憧れを自分に落とし込んで、新たな自分らしい形を作らないと、あなたはいつか立ち止まって「自分の人生」を欲しがってしまう。
 
 そんなこんなで、私は今自分スタイルのセミナーならぬ「ワークショップ」を細々と開催している。レジュメは空白だらけ。なんならレジュメ無し。自分が必要なことだけ、選んで持って帰ってもらえたらそれでいい。
全部持って帰って全部実践なんて、まず無理だから。100か0なら、1でもいいから自分の中に落とし込んでもらえたら嬉しい。

 私の畑は教育だけど、特に教育は種を撒いたらいつ花が咲くかはわからない。実を結ぶのかどうかもわからない。
それがいい。
それでいいと思っている。
種蒔きやお世話で一緒にちょっと伴走して、後はそれぞれのオリジナルの畑が育って行くのを見守る。どんな実を結ぶとか、いつ結ぶとか、ちょっぴり興味はあってもそんなもの捨てて。今そこにあるお日様と、水と、良い土作りだけに力を注ぎたい。即効性の強力な肥料とか、科学的な農法は、そこから何か利益を産みたい人が使うもの。人を育てることに利益を考えてはいけない。
 
 ぽかぽかと温かい日を浴びて、きれいな水と、周りの大人たちが一生懸命作ったふかふかの土の中で、その子がその子として伸びていく過程を楽しみたい。それだけが願い。

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