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留学中に事故でマイケルジャクソンになった話

菜海子、ブタちゃんになる🐖

あれは忘れもしない、2009年12月初旬。

コロンビア大学2年となった私は迫り来る秋学期の期末試験でAを取る他に、一つ悩みがあった。

連日の猛勉強にかまけてチョコチップクッキー🍪を栄養源にしていた私は、不摂生が祟り、みるみる間に黒人の男にしかナンパされなくなっていた。別にこれは人種差別でもなんでもない。ニューヨークでは女性であれば誰でも声をかけられたり、道でナンパされたりするのだが、私の非科学的肌感覚では、私の体型とモテる人種に明らかな相関関係があった。痩せ気味の時は白人やアジア人の男が寄ってくる率が多かったのに、最近はすっかり大きいお尻好きの黒人キラーになってしまっていた。

当時まだパニック障害を患っており、自分の外見に対する自信は家の外に出るために重要だと思い込んでいた元引きこもりの私は、「太ったらまた外に出られなくなるのでは!?」と謎の強迫観念に囚われていたのだ。

コロンビア大学には学生が使える立派なジムがある。しかし私はパニックで人の目が怖いこともあり、それまで家でこっそりトレーニングすることはあっても、ジムに通った経験がなかった。

「そうだ!コーリンに聞こう!」

コーリンは一年生の一学期目に知り合ったケニア出身のボンボンで、医学部を目指す私の親友だ(彼はその後ウォール街に魂を売り投資銀行マンとなる)。彼は数学の天才には珍しく暇さえあればジムに通っており、会うたびに筋肉が増強している。首はまるで大木の幹だ。知能指数と筋肉量って反比例するのでは、という私の酷い偏見を覆してくれた恩人でもある。

👩🏻「あのさ〜、私のパーソナルトレーナーになってくれない?」
👨🏾‍🦲「おうおう、おまえも上半身をその立派な脚並みに鍛えたくなったか。」

そう。私は昔から下半身はスピードスケートの選手並みの筋肉がついているのに、上半身はペラッペラに華奢なのだ。そして体重が増えても胸には脂肪が付かず、その一反もめんのような上半身にパンパンのアンパンマンの顔が乗った状態になる。

👨🏾‍🦲「じゃあ今度の水曜日の昼にジムに行こうぜ。」

そして水曜日、ダンベルやバーベル、他の器具の使い方を一通り習った。

👩🏻「あー、疲れた🥱 じゃ、また来週水曜?」
👨🏾‍🦲「おまえ、痩せたいんでしょ?じゃあ宿題出すよ。俺とトレーニングしない日は、ジョギングか水泳か縄跳びをしろ。」
👩🏻「え。12月だし寒いよ。」
👨🏾‍🦲「あ、そう。でも週1のこんなチョロいトレーニングだけじゃ痩せるのは無理だよ。」

その時急に、小学校時代、冬に縄跳び大会があって、1分に130回以上跳んで一位になったことを思い出した。

👩🏻「私縄跳びする!」
👨🏾‍🦲「オッケー。じゃあ毎日どのぐらいやったか報告して?」

コーリンの期待を超えてやろうと、家に着くなりAmazonで縄跳びを物色した。

👩🏻「カウンター&鉛(なまり)付き縄跳び?これサイコーじゃん!」

迷わずポチッとした。


菜海子、小学生になる🎒

待ちに待った金曜、小さめのAmazonの箱が届いた。なるほどずっしりしている。開けると、いかがわしい黒いムチのような縄跳びがトグロを巻いていた。

その縄跳びは、飛ぶ度に数を数えるカウンターが持ち手についていた。そしてその持ち手の中には数キロの鉛が入っており、遠心力で腕の筋肉も鍛えられる、というものだった。

モチベーションがMAXまで上がった私は、休日である次の日を待たずに16時前にはキャンパスから程近いモーニングサイドパークに向かった。

モーニングサイドパークへ降りる階段

その公園は長い階段を降りると、バスケットボールコートやランニングコースなど、スポーツができるところがある。そこの片隅で毎日15分縄跳びをすることに決め、記念すべき第1日目のスタートをきったのである。

ムチのような強靭な縄跳びは、回るたびにスゥッシュ!バチン!スゥッシュ!バチン!と音を立てる。ヨガパンツスタイルの脚に当たったらひとたまりもなさそうだ。みみず腫れは不可避だろう。その緊張感が更に私の集中力を高めた。フォームを崩さず、目線は3メートル先のアスファルトと芝生の間一点だけを見つめた。いつの間にか私は小学校の古い体育館にタイムスリップして、制限時間内で何回跳べるか競っていた時のように高速で跳んでいた。

ビュンビュンビュンビュンビュン💨

ズサっ、ズサっ、ズサっ。

同じ位置に小刻みに着地する私のつま先が、圧でアスファルトに穴を開けてしまいそうな勢いだ。

「ピピピピッ ピピピピッ」15分間の自分との闘いを終わりを告げるアラームが鳴った。

手元のカウンターを見ると、2366回とある。お!私もまだまだいけるじゃないか!さて…


菜海子、貞子になる🧟‍♀️

…あれ?足が前に動かない。と思った瞬間、膝から崩れ落ちた。状況が把握できないまま、とりあえずお尻をついた。足首を手で顔に近づけ、回そうとした瞬間、

「いったーい!!」

今まで感じたことのない激痛が足首に走る。こ、これは折れているかもしれない…。全身の血の気が引き、火照っていた身体も12月のニューヨークの空っ風にさらされどんどん冷えていった。

今日は金曜日でもう16時半に近い。キャンパスのメディカルサービスが閉まる前に地べたに座ったまま携帯で電話をする。

👩「Columbia University Medical Services. How can I help you?」
👩🏻「あの〜、今モーニングサイドパークで縄跳びを短時間で高速で跳びすぎてしまって、両足首が折れたっぽいんですけど😳😭どうすればいいですか?」
👩「どっちの足ですって?」
👩🏻「あ、両方です。前飛びでずっと両足で跳んでいたので。」
👩「…。」

もう呆れて首を振っているのが🤦‍♀️電話口から見える。

👩「他に怪我は?なければ、近くにある提携している足専門のクリニックに紹介するわ。今日中に行けるなら電話しておくから、それでいい?」
👩🏻「はい…😔」

確かにマヌケな足首の怪我で、15万円近くするアメリカの救急車を呼ぶわけにはいかない。タクシーに乗ってそのクリニックにさえ時間に辿り着けば!

ところが問題は、どうやって一度かけ降りたあの長い階段をこの不能になった足で上り車道に出るかだ。30分ほど前に流れるように軽快に降りてきた階段が、今やエベレストのようにそびえていた。

しかし待っていても時間は過ぎるのみだ。

もう、二足歩行を諦めるしか方法はない。両手を凍てつく地べたにつき、膝を付き四つん這いになった。痛い足首を浮かせて前進する。携帯はヨガパンツの太もも部分に挟めて収納したが、この鉛入りの大蛇がこれほど邪魔になるとは思いもよらなかった。仕方なく手首に、結んで輪っかになった部分をくぐらせ、引きずるスタイルで行くことにした。

二足歩行を諦め退化🥲

12月のニューヨークは日が短いのが不幸か幸いか、辺りはだいぶ暗くなっており、公園はガランとしていた。18時で閉まるクリニックに行くには急いで向かわなければもう週明けか救急外来送りになってしまう。人がいないとはいえ四つん這いで冷たく手に刺さる小石が至るところに転がる地べたを這い、あの石段を上がるのは予想以上に辛く、屈辱的なものであった。動物以外であそこの石段を這って登った人間は私くらいなのではないだろうか。暗がりの石段から四つん這いでよじ登ってきたアジア人の女を大通りで目撃した人にとったら、井戸から貞子が這い上がるのと同じくらいホラーだったことだろう。

ホントこれ状態😇

なんとかコロンブスアベニューという大通りに出て、消火栓に捕まりながらほぼ残っていない腕力のみで立ち上がった。両足が使えないので不器用なびっこをひきながら、ジャンプするように、停まったイエローキャブ🚕に乗り込んだ。もちろんタクシーの運転手もギョッとした様子だったが、私のタダならぬ形相から事態を把握したようで、3分程度の乗車距離だったが嫌な顔せず、降りる時には入り口まで肩まで貸してくれた。

結局クリニックでレントゲンを撮ったが、骨折ではなく、中度の捻挫で全治2週間と診断を受けた。

骨折でなかったことはラッキーだったのかもしれないが、普通に歩けないことには変わりない。しかもあと2週間で期末試験を控えているのに授業を休むことは絶対にできない。とりあえず土日は家の中でアイシングをしながらほぼ横になって生活し、月曜を待った。


菜海子、MJになる

月曜は午前中から「意思決定の科学」というクラスがあり、どうやって教室まで行けばいいのかをひたすら考えていた。答えが出ないまま朝になり、カーテンを開けた。

当時のイメージ

👩🏻「オーマイガー😱」

外はまさかの銀世界。気温はマイナスで、歩道はテロッテロだ。山形出身の私はアイスバーンの上を歩くなんて朝飯前だが、今は話が違う。私は両足を怪我した障害者だ。片足が生きていれば松葉杖という方法もあったが、それも不可能だ。考えても仕方ないので、一度外に出てみて、どうにもならなければ車椅子を借りるなり考えようと思った。

通学の所要時間があまりにも未知数なので、授業開始の1時間ほど前に家を出た。「う“」やはり少しでも足首前方に力が入ると激痛が走る。そこで、あることを思いついた。

私はくるっと後ろを向き、滑る地面にスゥーっと足を擦らせてみた。「痛くない!😮」

その調子で一歩二歩と後ろ向きのまま足を滑らせていく。溶雪剤が撒かれて氷がないところも、後ろ向きで足を擦らせれば痛くないことが判明した。というわけで、私は後ろ向きのまますり足でキャンパスに辿り着いたのだった。

スゥー、スゥー、スゥー。慣れてスピードも出てきた。通行人や見知らぬコロンビア大生は、どう見たって健康な私が後ろ向きに歩いているのをみて、「何かの罰ゲーム?」といったような怪訝そうな顔をしていた🤔😦当然だ。普通に歩いている時に約1名、まるで映画の高速巻き戻し状態になっている女がいたら誰だって二度見する。

穴があったら入りたいとはこのことだ。ただでさえ、パニック障害を克服するために完璧になりたくて足掻いてきたのに、その結果がこのザマだ。

スゥー、スゥー、スゥーっ。一刻も早く教室に着きたい!😖そう思った矢先、

「ぶひゃーっひゃっひゃっひゃ!😂😂😂😂あのムーンウォークしてんの菜海子じゃね?」

30mくらい先から、聞き覚えのある声が聴こえる。コーリンと同じ時期に知り合った、同じく医学部を目指すケニア人のナメマだ(紆余曲折あり彼はその後資本主義の餌食となりFacebookの弁護士になる)。

ギクッ(今私の名前叫ばないで〜😖😖)肩を思わずすくめた。

👨🏿‍🦲「Yo! 菜海子!あ、違うか、マイケル!MJ!」叫びながらこちらに走ってくる。

周りがクスクス笑い始めた😆😁😄😃☺️

👨🏿‍🦲「いやぁ、笑っちゃ悪いけどさぁ!オールAのおまえが、縄跳びで無茶して両足負傷してキャンパスムーンウォークしてんのまじ笑えるんだけど!😂😂」と、ナメマは笑い死にしそうになっている。

そう言われて初めて、私が雪という偶然の災難と後ろ向きに足をすって前進するという試行錯誤の末に生み出された移動手段が、非常に完成度の高い「ムーンウォーク」に見えるという事実に気が付いた。と同時に、私も笑えてきた。

「ほーんとだよね〜。この際、ムーンウォーク極めるわ😂」

それから1週間、私はキャンパスを後ろ向きで歩き続けた。人気者のナメマは、大量の友人に言いふらしたらしく、私が知らない人にまで、

“Namiko! How’s your moonwalk?😂”

とシャウトされるようになってしまった。もうこうなれば開き直るしかない。

Family Guyより

「チャモーン!っひーっひー。」

とマイケルジャクソンの定番のアドリブでこちらも応えた。1週間後、ゆっくりだけども前を向いて前進できるようになった時は、妙な寂しさすら覚えた。

あれから鉛入りの縄跳びとムーンウォークは封印されたままだが、未だにナメマとコーリンとこの話になると2人は床にのたうち回って笑い転げる。

私ってほんとバカだ。でもバカで良かった。そしてこれからもバカな私でありたいな。

馬鹿にされたくなくて必死に虚勢を張って頑張ってきた私が、初めて自分の不完全さを愛おしいと思えた出来事だった。変に私に恥ずかしい思いをさせまいと気を使わずに、公衆の面前で人目も憚らず笑い飛ばしてくれた友達に心から感謝している。

イジメやイジリではなく、本音で話せて、自分の弱さをどんどんさらけ出せる一生の友達を得たことが留学で得た一番の財産だ。そして「ありのままの自分を、知って、愛して、勝負する。」という姿勢は、海外大学受験の指導においての私の根幹となっている。

そしてあの時履修していた「意思決定の科学」というクラスではめでたくAが取れたが、その内容の実生活における実用性はみなさんのご想像にお任せする。

End

2012年ナメマの誕生会



#留学 #自己肯定感 #海外大学 #日記

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