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転職しました 〜バイバイ、ケアワーカー〜

タイトル通りです。画像は昔飼ってた猫ちゃんです。本件には全然関係ないですが可愛いので見せびらかしておきます

転職をしました。
とある地方議会の某議員団の事務局となることになりました。
それに伴い、通算6年くらいやっていた施設系介護士からの完全撤退が決まりました。
転職先を含めた経緯そのものの話については、並木の政治思想のお話がめちゃくちゃ出てくるのでいつか別の機会でやるとして、ここでは介護士として働いていたときの思い出話を書きます。


☆介護士を始めるまでの経歴

最悪でした。最悪根無草フリーランスバカでした。
新卒カードを最悪な形で使ってしまい、そのまま鬱で倒れ(のちに双極性障害だと判明)、20代前半の大切な2年以上を療養で使い、コネも名声もないのに始めたフリーライターは、足元見られたクライアントに1記事1,000円まで値切られたため、毎日記事を書いても全然生活できない状況でした。
その後、内科のクリニックで受付事務をやるも極度のストレスで書痙になり、紙カルテなのにペンを握ると手が震えて字が書けないという最悪ぶりを晒して1年半で退職。
他にも税務署の非正規職員だったり某小売系の販売員だったり、ある程度仕事はしていましたがどれも長続きせず、実家暮らしだったため生きることはできたけど、精神的にはおしまい状態でした。

そんな中、どうしても正社員で働きたいと思い、渋谷にあるわかものハローワークに登録して就職活動を始めました。
ハローワークというよりはエージェント型の転職支援サービスみたいな感じで、女性の担当がついて、細かいやり取りは全部担当さんがしてくれました。面接練習や履歴書の書き方とかも改めて教えてもらった。今思えばいい経験でした。
3ヶ月頑張りましたが、どこも採用されず。最終的に担当が持ってきた案件が、最初に働いた老健(老人保健施設)でした。
実家からあまりに近いので(徒歩2分)、心配でしたが、実は実母の幼馴染がかつて働いてたところでもあるので、介護とかよくわかんねえけど応募だけしてみるかと応募。すぐに連絡があって、翌日に面接となりました。
早くない?
介護業界が人手不足なのは流石に知っていましたが、あまりの機動力にびっくりしたのを覚えています。
面接の他になぜか文章を書かされるという珍しい職場でした(※あんまり詳しく書くとなにもかもバレるのでぼかします)
ちなみに面接で「介護職員初任者研修(基本的な知識がありますよということを証明する資格。介護福祉士を目指す人がとる)を取得する気はある?」と聞かれ、「初任者研修ってなんですか?」と並木は素直に答えました。何も知らんで来るな。せめて調べろ。
3日後、そんな並木は無事採用されました。なんでだよ。何も知らんのやぞ。

☆老健時代

今だから話せますが、この業界にしては給与がめちゃくちゃ良かったです。
基本給18万円、手当が大体5万円程度。そこに夜勤手当が1夜勤ごとに15,000円ほどついて、社保や税金で引かれても大体手取りで25万前後はありました。多い時は月の手取り30万超えてた。ボーナスも高めでしたし、ボーナスとは別に一時給付金が毎年20万前後出ました。
そう、金払いだけはめっちゃ良かったんです。金払いだけは。あとはわりと最悪でした。
最悪ポイントを言い過ぎると怒られそうなので適当にぼかしますが、少なくとも並木の離職の決定打は本社の社長が「コロナは風邪」論発言をしたことでした。そういうことです。察してほしい。ヒント:老人保健施設における基本的な運営母体組織

ちなみに辞めてからふつふつ怒りが湧いたのは、そもそも求人票詐欺されていた点です。聞いていた部署とは違う部署でした。結果的にはそっちで良かったんですが、舐められたもんだな…と腹が立った。
現場は相当頑張ってたと思いますが、私は頑張れませんでした。また、私以降採用するスタッフが速攻辞めていくので、退職するまでずっと私が最新の新人でした。本当にやりづらかった。何も言えねえ。
ストレスでずっと微熱が続いてしまい、コロナ禍であろうと37.5℃が平熱みたいな状態。主任は頭を抱えていた(保健所に提出する書類になんて言い訳をするかで)

良いこともあって、スタッフがなぜかみんな恐ろしく酒を飲む人ばかりだったので、介護職のわりには飲み会がめちゃくちゃあったのは本当に良かった。
飲みニケーションでしか生きていけない平成元年生まれ、もう昭和生まれということにして欲しい。過去の遺物になりたい。

☆超高級有料時代

老健を辞めたあと、派遣で夜勤専従介護士となり、有料老人ホームで働きました。
本当にびっくりするくらいのお金持ちしかいない環境。ここもあまり書くとモロバレしますが、ミッション系の団体が運営していおり、宗教的にも興味深い分野でした(利用者さんの信者率がそんなに高くないのも面白かった)
月に9回~12回くらい夜勤に入りました。

なんていうか、弩級の金持ちエピソードを聞くには最高の環境でした。ただ、その頃からとある感情に支配され始めます。
誰も守ってくれねえ。
本当にずっとそう思ってました。絶望してました。派遣元と主にやりとりしてたLINEを3ヶ月既読スルーされていたのもよくなかったと思う。
そんな感じでストレスが体に出てしまい、朝方から発作的にパニック症状が出るように。仕事はできていましたが、退勤する頃にはボロボロで、帰る時にいつも使ってるバスに乗るために待つか、それとも20分かけて歩いて帰るか、そういう判断すらできず、タクシー配車アプリでタクシーを呼んで1,000円くらいの距離を運んでもらうというていたらくぶり。ありがとうGOタクシー。本当に助かった。タクシーの運ちゃんもありがとう。みんないい人ばっかだった。
夜勤明けの並木は基本的に5歳児なので法的にも意思能力がないとされてるのですが、それにしてもなさすぎる。何であの絶望感って朝にやって来るんですかね。

そんなこんなで1年で退職。有給消化ができないと派遣元から言われましたが、知ったこっちゃねえのでそのまま未消化でやめました。

☆グループホーム時代

イマココ、です。

実は有料やめてから現職に就くまで二年間無職でした。
というか、そんなボロボロの状態で働くこと自体無理ゲーだった。実家が更地になるのも相まって病状は悪化。
結局某政党の元議員さんの全面協力でなんとか実家を脱出し、今の居住地に住むことになりました。しかし働けない。元議員さんに同行してもらい、障害者枠で300日間失業給付金をもらい、生保も約1年受給しました。その節はケースワーカーさんに大変お世話になりました。ありがとうございました。同人誌の売り上げを説明するときに「あ~~」と納得されていたので、きっとおそらくもしかしたら同族なのでしょう。ケースワーカーもにんげんだからね。しかし本当に助かりました。話がはやい!

主治医の見たてでは「最低1年は療養」だったので、1年が過ぎる頃にそろそろ働こうかなと思ってたのですが、手っ取り早く夜勤専従で働きたかったので先述したとことは違う派遣元でとある小さなグループホームに介護士として復職しました。
現職なのであまり詳しくは語りませんが、それまでの職場は環境としては守られてたんだなぁと思う次第です。介護士自体の守られなさはどこも同じですが、初めての企業主体の介護組織と言うこともあり、施設によって価値観がこんなにも違うんだと思う数ヶ月でした。
とりあえず私が冷蔵庫に入れておいた夜食用のドレッシングを使い果たしたやつは今すぐ名乗り出てください。先週の時点で大容量サイズがまだ半分は残っていたはずですが???

そして、まあ、最初に話した転職先からお話が来たこともあり、契約終了の運びとなったわけです。

☆介護士の絶望

基本的に介護士は利用者を守るために命削って働く仕事なんですけど、かと言って誰かが守ってくれるかというと全然守ってもらえないんですよね。
むしろ社会的にはめちゃくちゃ弱者なんですよ。書くまでもないかもしれないけど、書いておかないと誰も知ってくれねえままなんとなくのイメージで語られるので書きます。
その弱さったらすごいですよ。
だって働いてるだけで「えらいね!」って言われます

社会人の皆さん、働いてて「えらいね!」って言われたことありますか?いやあると思うけど。でも特に同世代にめちゃくちゃ頻繁に言われます?

最初は嬉しいんですよ。特に私みたいにずっとろくな仕事してなかったやつには。
でもだんだん、仕事も覚えてきて、給与も増えてきて、そんな中で「えらいね!」という言葉にものすごい上から目線を感じる時が来るんです。
介護士、幼稚園児と思われてへん?
幼稚園児が働いてたら私だってえらいね〜!って言うわ。本当にそういう声かけをめちゃくちゃされます。

そんなかんじなのでプライドなんかねえものとして扱われます。しかも、心を許して同じ目線で経っていたと思っていた同世代の友人にさえ、そう言われます。
言ってる側は多分全然悪意がなくて、介護士って大変そう〜くらいなんでしょうし、こっちもだいぶ被害意識ができてくるので余計に敏感になるのでもうおしまいですよ。向こう、悪意なく突然言ってくる。せめてガードの時間が欲しい。

あと、あれも嫌いです「わたしにはできない」
できるが!?
できますよ。何言ってんですか。あなたはお尻を拭いたことないんですか?人に拭いてもらってんの?
おんなじなんよ。おんなじ。他人の体か自分の体かだけ。できないってなんですか。できなくないんですよ。というかもうそれ尊厳に関わる話だよ。
一回これを同世代の友人に言われた並木はまじでブチギレてしまい、そのワードをなぜ使ってはいけないのか懇々と通話したことがあります。

「介護」は誰にだってできるんです。「介護士」は、その上でノウハウとか専門知識、書類の作り方とかを覚えて、根拠を持って実践する。それで金もらう覚悟があるやつが介護士やるべきなんですよ。

なんでそんな、基本的に上から目線なんすか?

というのが、並木の絶望感の源でした。上から目線ならそのまま助けてくれればいいんですけど、なまじ働いて給与もらってるというのもあって誰も助けちゃくれねえんですよ。

正直言って、介護士って本当に程度の低い人間のクズみてえな人が比較的多いタイプの職種だとは思うんです。そうでない人でも、並木みたいになんらかの疾患や障害を持ってる人も多い。もう介護士という仕事そのものがそういう層のセーフティネットになっちゃってる。そんな中で仕事に誇り持ってやっていくのってすごい大変なんですよ。
中からも外からも攻撃しないでくれ!というのが、介護士やってて一番辛かった点です。

仕事で辛いのは利用者から「こんな仕事して、前世でどんな悪いことしたの」と言われたり、セクハラされたり、暴力振るわれたりされても、誰も助けてくれないことなんですよ。
世間一般の人が介護士の仕事にどんなイメージ持ってるか実はよくわかってないんですけど、例えば排泄介助とかがキツいと思われてるんですかね。排泄介助なんてなんなら一番楽ですからね!?というか、手っ取り早く利用者と仲良くなるには排泄介助が一番早いまである。
身体的に辛いのなんて夏場の入浴介助くらいですよ。死んじゃうかと思う。

でも楽しいんですよ。仕事そのものは。そのほかが全部辛い。仕事関係ないところで仕事を理由に勝手なイメージで語られるのが本当に辛い。

☆めんどくさい話

めっちゃ辛いトークかましましたけど、実は並木、今年の頭に転職先に近い人に「介護職やめなよ」と言われたことがあります。

あのですね。
めちゃくちゃ、ショックでした。
辛いと思われてることは別にいいんですよ。
でもね、並木がショックを受けたのは二つ理由がありました。
一つめは、一般職探したって全部不採用だった私の働き口が介護職だけだったっていうこと。
二つめは、そんな仕事でも誇り持ってやってんだよ、という気持ちだけで仕事していたこと。
今はもう転職が決まってるんでこうやって悪いこと書けてますけど、本当にギリギリなので、自分の仕事を自分で否定してしまうとマジでもう立ち行かなくなるんですよ。だって自分しか自分を守らないから。なんとか耐えて耐えてやってるところに、そんなの辞めたらと言われたらぶっ壊れちゃいますよ。

そういうこともあって、自嘲気味に「介護職を一度やると、転職支援でも同業他社しか紹介してくれないから結局また介護士しか道がないんすよ」と笑いながら言って、そういう話は無理すぎるという話もしました。
本当はもうはらわた煮えくりかえるどころか自壊寸前。もうだめだと思ったし、そこでできることはその人を拒絶してでも自分を守ることでした。その節は本当にすみませんでした。この前やっと本人に対面で謝れてよかったです。

そんなことがありまして、どうやら界隈で並木がこのままだと死んでしまうぞと言うことになり、去年から話に出ていた事務局の件で並木に声をかけてくださったそうです。本当に運だけで生きてるなこの並木満ってやつは。
とりあえず6月からは仕事が変わりますが、なんとかやっていきたいので、応援してくださると幸いです。

バイバイケアワーカー、できればもう二度とやりたくない。


☆こっそり宣伝

コミティア148にサークル参加するよ!
歴史創作のBL小説の新刊が出ます。悲恋な雰囲気ですが両想い!安心!
そんなノリと勢いの氏郷×右近本が出ます。本命CPです。20年くらい推しています。20年!?!本当に自分でもどうかと思うんですが、一生足が抜けないもんだと思って沼で仁王立ちしています。
たすけて…とアイコンタクトをし続けています。できればみんなこの沼に落ちよう。みんなで仁王立ちしていれば、なんかそういう文化かな…って思ってもらえると思う。


こんな本が出ます

5月26日、明日だね。
東京ビッグサイト東1ホール【O-13b】並木道ルードボーイズでお待ちしております。
当日は、この前文フリでご一緒した桔乃一千三さんの本も委託します。
歴史サークル島に叩き落された神屋敷。おそらく戦国時代末期でも江戸初期でも金を配って人を不幸にしていそう。ちょっと、それ、江戸初期だとなんらかの幕閣案件では?とりあえず目付あたりを派遣するか……あっ宗矩が行ってしまった。神屋敷と宗矩が仲良くなったら世界滅びそうだな(偏見です!)

そんなかんじです。よろしくね!


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