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象牙の塔の文学研究 ― 1. 作家を研究する

 仕事を辞めて、今年の春まで通っていたのは、文学の大学院。お金に、仕事にならない趣味に走った2年間でしたが、これから生きていく時間を楽しくしてくれたことは間違いない。それは、文学研究の方法論が、大げさに言うと、ぼくのひとつの世界の見方となったから。

 もう一度言うと、お金に、仕事にならない、つまり外に向いていない文学研究(笑)は、それでも、価値が、意義があると思う。

 文学研究の意義を示すために、文学研究の方法論について書いた、3つの旧記事のうちの一本目。

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 論文などではっきりさせる必要がある「文学研究の意義」は、アカデミズム、つまり大学や学会にとっての意義であって、とても内向き。おおげさに言えば、自分達がやっている研究が、自分たちにとってどんな意味があるか、を論じている。そんなものは、アカデミズムの外にいる多くの人々にとって、知ったことじゃない。

 極端な言い方をすると、そういうことを、前回書いた。それでも、ぼくは、大学で文学が研究されていてほしい。ぼくにとっては、文学研究は(大事な人生の一部としての)趣味だけれども、象牙の塔としてのアカデミズムは残ってほしいし、それを認める社会であってほしいし、研究に意味があると思っている。何故か。

 それは、一本の論文が論じる、その研究の意義から目を引いて、もっと広く、文学研究の歴史と、そこで考えられてきた文学研究の意義について考えることで分かりやすくなる、と思う。

1.
 「近代的自我史観」という言葉がある。近代文学には、明治以降の人々が「近代的自我」を獲得する様子が描かれている、という考え方。

 近代的自我っていうのは、封建的な人間の逆、と考えると分かりやすい。江戸以前の日本人が、最も重視しなければいけなかったのは、家であり、藩であり、幕府=国家だった。「自分」なんてものはなくて、アイデンティティはイコール家や藩。でも、近代=明治に入って、西洋的な考え方が入ってくると、そうではなくて「自分」を重視するべきだ、と知識人は考えるようになった。でも、家も国家も、簡単にはそれを許さない。だから、そこに葛藤が生まれた。

 その葛藤を表現したのが近代文学だ、というのが、「近代的自我史観」の考え方。

 戦後、1980年前後まで、この近代的自我史観が文学研究においては自明なものとされていて、だから文学研究の目的は、文学に表れた近代的自我の形成過程を明らかにすること=文学史を作ること、だったと言っていいんじゃないかと思う。

 文学に表れた自我を明らかにするということは、つまり作家自身の自我を明らかにすることで、研究は自ずと作家に向かう。作家の現実における葛藤を、作品から読み取ることが目的。

 だから、80年代までは、文学研究とは作家を研究すること、それから、作家を知るための材料としての作品を研究すること、だった。

(当時の研究が作家に偏っていた理由は、もう一つ、戦後の作家全集のブームの際に、作家について調べる人が必要だった、ということもあるみたい。調べるのは大学教授で、大学教授はそのまま「作家」の専門家になっていった、ということのよう。)

 この考え方は、学校教育における国語に、多大な影響を与えていて。みなさん、国語の問題で、「作者の意図を答えろ」みたいな問題、いくらでも解いたことがあるでしょう。そんなん作者に聞かなきゃわかんねーじゃん、と思いながら解いた人もいるはず。その問題、考え方の根っこはここにあるのです。

 文学研究の場では、作家について研究することを「作家論」、作家の書いた作品を分析することを「作品論」と呼ぶ。これは、学校での勉強を経てきたみなさんには、しっくりくる研究手法なのではないでしょうか。

 ぼくにとって、残念ながら作家論も作品論も魅力的じゃなかった。国語の授業で、作家の意図を聞かれることにうんざりしていたから。でも、こうして考えると、文学研究にも意味があるじゃん、と思える。……逆に言うと、意味はあると思えるけれど、このままだったら、ぼくは文学研究をしていない(笑)。文学研究がおもしろくなるのは、これから。1980年前後以降のことなのです。つづく。

(ちなみに、次回書こうと思っている80~90年ごろまでの研究手法は、とても魅力的だけれど、意義に関しては、80年ごろまでの方がはっきりしているという……(笑)。)

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 作家論のお話でした。この後、文学研究は、テクスト論、文化研究へと展開していきます。次の記事は、また後日。

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