進撃の巨人

『進撃の巨人』を読解する~巨人と壁の物語~

 小説文庫本の末尾にある「解説」。そこまで読んできた物語の、ぼくが思いもしなかったような読み方を提示して、その物語の別の顔を見せてくれる。自分も、そんな読み方、読み解きをしてみたい、と思った。それで、大学院で文学研究を学んだ。

 少し前に、こんなツイートをした。

 基本的には、これが、ぼくの「読解」「批評」の認識。読解や批評は、物語の魅力を引き立てるもの。じゃあ、具体的には、それはどんな読み方なのか。ちょっとやってみた。今回扱ったのは、超がつく人気漫画『進撃の巨人』。特に、一巻の一話に焦点を絞ってみる。

 エンタメ物語の読解は、理解しづらい文学的物語と比べて、読解が難しい。エンタメ物語は、わざわざ「読み解か」なくても、理解できるし、おもしろいから。じゃあ、どうすれば、エンタメ物語の、魅力を引き立てる読解を示せる?

■「具体的な、エピソード」と「抽象的な、多くの人に訴えるもの」

 エンタメ、今回の場合、『進撃の巨人』。この物語を読解して、物語の魅力を(さらに)引き立てるには、どうしたらいいのか。その参考になる文章がある。編集者・佐渡島 庸平さんが書いていた、こんなnote。

 かいつまんで説明する。編集者は、作家が持ってくる具体的エピソードに対して、「それはこういうこと?」と問いかけて、一般化・抽象化して、万人に通じる普遍的な話にする。それから再度具体的な話に落とし込むと、多くの人に訴える物語になるという。

 これを、ぼくなりに解釈して、もう少し具体的に説明してみる。例えば、怪獣が現れて、街を破壊する。その怪獣を、倒す。このエピソードは、一度、一般化・抽象化されていないと、共感を呼べるものになり得ない。何故なら、怪獣に自分の住んでいる街が襲われる体験をした人はいないから。リアリティがない。でも、怪獣が、災害のメタファーだったら? テロの象徴だったら? とたんに、怪獣に襲われる物語に、キャラクターに、感情に、リアリティ出る。多くの人に訴える物語になる。

 この考え方は、まさに我が意を得たり、という感じで、ものすごく共感した。この考え方は、物語の読解・批評・分析に、大いに通じていて。

■ファンタジーを分析する

 ぼくは大学院で、ファンタジーの研究をした。ファンタジーは、基本的にはエンタメとして読めるから、読解するのが難しい。話の筋があって、それがすぐにわかって、おもしろいから、わざわざ読解する意味が見いだされづらい。

 でも、ファンタジーが「おもしろい」と思われるのは、その設定が超現実的であったとしても、その物語が人に受け入れられるリアリティを持っているということのはずで、それなら、ファンタジーの超現実的な設定は、何かのメタファー、象徴から落とし込んだものと考えることができる。

 それは、作者の意図的なものかもしれないし、無意識によるものかもしれないけれど。

 だから、ファンタジーの超現実が、何のメタファーか、何を表しているのか、それを考えるのが、ファンタジー読解の一つの形になる。ファンタジーを読解するとき、ぼくはそれを考えるのが、好きだった。

 この方向で、『進撃の巨人』を分析してみる。

■『進撃の巨人』~行きて帰りし物語~

 『進撃の巨人』は、巨大な壁に守られた人間社会と、その外部に生息する巨人の物語。冒頭では、人間は100年以上巨人に脅かされずに、壁の中で平和に暮らしている。

 100年以上平和に暮らし、このままのほほんと暮らそうとしている周囲の人間たちに対して、主人公・エレンは、壁の外が知りたいと訴える。「一生壁の中から出られなくても…… 飯食って寝てりゃ生きていけるよ…でも…それじゃ…まるで家畜じゃないか」と。このまま巨人に、壁の中に閉じ込められたまま、一生を終えるのは嫌だ、と。エレンは、壁の外に調査に行く調査兵団に入りたがる。つまり、旅立ちを求める。

 この物語の出だしは、典型的な「行きて帰りし物語」と言える。神話の定型。ハリウッド映画の定番。探求心を持った主人公、自由を渇望する主人公、つまり異端児が、周囲の人間は持たない外への興味、冒険への誘いによって、旅立ちを望む。

 でも、当然、ただの「行きて買えりし物語」では、ここまで『進撃の巨人』がヒットするわけもなく。この物語を特異にしているのが、「巨人」と、「壁」だ。

■不気味な巨人

 一巻一話で、街から壁の外に調査に行っていた「調査兵団」が帰還する。100人以上で調査に向かった兵団は、20人以下になって帰ってくる。絶望した顔つきで。そのときの彼らの言葉に、印象的なものがある。

  ヤツらの正体を…!! 突きとめることができませんでした!!

 この言葉から、調査兵団の目的は、調査し、巨人の正体を探ることだとわかる。つまり、巨人は、正体不明、未知の存在なわけだ。

 壁の外にいる「巨人」とは、何なのか?

 それが、狼だったら。ライオンだったら。ドラゴンだったら。壁の外に出向く兵団は、「調査」兵団にはならないだろう。討伐兵団。対魔獣兵団。領土回復兵団。しかし、実際には、「調査」兵団なわけだ。

 何故、彼らは、調査兵団なのか。彼らは、何故、巨人の「調査」をするのか。

 それは、巨人とは、巨「人」だから。巨大な、「人」だから。

 一気に論の核心に向かってみる。壁の中の人が調査兵団を組織して巨人の正体を突き止めようとするのは、壁の外にいるヤツら=巨人の中に、自分たち=人、を見ているから。人が巨人に感じる不気味さ、反発は、同族嫌悪から来ているのではないか。圧倒的な他者、敵だと思っていた相手の中に、不気味な自分の像を見ているからではないか。

 同族嫌悪。他社の中の不気味な自分。これは、ものすごくリアリティのある、多くの人に当てはまる、恐怖だと思う。

 いくつか例を挙げてみる。いろいろな論戦、舌戦の中で、はたから見たら、双方の主張のが非常に似通っていると感じることが、あると思う。twitter上での攻撃的な言い合い。極右と極左。もしくはそれよりも、自分を振り返ったときのほうが、分かりやすいかもしれない。自分と似ている主張で自分を攻撃してくるから、必要以上に腹が立つ。似ているから、嫌い。そういうことが、あるんじゃないか。

 もう一つ例を。オウム真理教事件。オウム真理教の不気味さの要因には、街中で普通に出会う人々、周りの、誰が信者かわからない、ということも大きかった。仲良くしているあの人が、信者かもしれない。「私たち」の中に、他者がいるかもしれない恐怖。それから、「私たち」と「彼ら」の共通点としてもう一つ挙げられるのが、陰謀論。当時、マスコミは、様々なことを「オウムの陰謀」として語った。けれど、オウムの行動原理にも、「アメリカやユダヤの陰謀」への恐怖が働いていた。「私たち」も「彼ら」も、似たような陰謀論に支配されていた。(大澤真幸『増補 虚構の時代の果て』ちくま学芸文庫、2009/1/10)実は、似ている、私たちと彼ら。似た行動原理によって、行動する。だから、他者の中に自己を見るようで、自己の中に他者を見るようで、不気味。怖い。

 同族嫌悪、自己の中の他者に対する恐怖、他者の中の自己に対する恐怖。これは、普遍的な、恐怖。

 『進撃の巨人』の巨人が、不気味で、圧倒的に怖いのは、この普遍的な「他者の中の自己」「自己の中の他者」への恐怖に由来する。そう読むことができる。巨人とは、「自己性を持った他者」のメタファー。

■破壊される壁

 巨人が「不気味な自分のような他者」だとしたら、壁は何か?

 一巻一話まで、壁は、100年間人間を巨人から守ってきた。自己と他者を隔てるもの、壁。この感覚は、分かりやすいと思う。現実社会でも人は、周りを、何重もの壁で守っている。自分の皮膚という壁。家の壁。学校や会社=コミュニティ、ステータスという壁。国家という、壁。幾重もの壁、という構造は、そのまま『進撃の巨人』の壁と同じ構造だ。

 つまり、壁は、自分を外部から守るもの。『進撃の巨人』の壁は、人を、巨「人」から守っている。自己と、他者とを、隔てる壁。

 一巻一話の最後。この壁は、超大型巨人によって、蹴破られる。破壊される。

 自己を、外部からの脅威から守る壁が、破壊される。他者に、侵犯されるのだ。これが表すのは、他者だと思っていたもの「巨人」と、自分たちとの、境界の溶解だ。自己と他者の壁がなくなる、恐怖。アイデンティティが壊れ、敵だと思っていた相手と、実は同族だったと思い知ることになる、恐怖。

■「巨人」と「壁」の物語

 『進撃の巨人』は、「巨人」と「壁」の物語だ。圧倒的な他者だと思っていた「巨人」への恐怖が、実は同族嫌悪だった、他者の中にいる自分への恐怖だった。そして、案の定、両者の間の「壁」が崩壊する。溶解する。

 この物語は、他者の中の自己への恐怖、自己と他者の境界がなくなることへの恐怖を描いた物語だ、と言えるだろう。

 これが、『進撃の巨人』がおもしろい、要因の一つだ。

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■読解、批評、分析は、無数にある物語の読み方の、一つを示すに過ぎない

 強調しておきたいのは、上で示した『進撃の巨人』の読解は、無数にある読み方のうちの、一つに過ぎない、ということで。様々な顔を持つ物語の、多様な魅力のうちの、一部。

 これが正しい読み方だなんて思っていない。ただ、こう読むことができる、というだけ。こう読むことで、物語の魅力を少しだけ掘り起こすことができるかも、というだけ。

 読解、批評、分析は、物語の魅力を高めるためにあるから。

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 これで、文章は、終わりです。有料noteにしていますが、ここで終わりです。この下には文章はありません。今、読解、批評、分析は、仕事になるのか? そう思って、これにお金を出してくれる人っているのかな、と思って、気まぐれで有料にしてみました。なんとなく300円にしていますが、もし評価してくれる人がいれば、「おもしろかった」という気持ちで、てきとうな額投げ銭してもらえると、やる気になります(笑)。もっと本買って、おもしろい文章かけるようになろうと思います(笑)。ただ、別に投げ銭なくても、読んでくれるだけで嬉しいです! ありがとうございます!


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