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食べ物を50回噛む旅

整体院の先生から、食べる時に50回噛むという司令が出ている。
なかなか忘れがちなんだけど、
思い出して、時間に余裕がある時は挑戦している。なかなか難しくて、30回位で終わっちゃう時も多い。いかんいかん…と、50回噛もうとして、喉の入口に蓋をするようにイメージしつつ、目を閉じて噛む世界に入ってみる。

すると、旅が始まった。

豚肉を噛んでいると
豚さん達がブゥブゥ言ってウロウロ歩いている。
楽しそうに。エサを食べたり水を飲んだり、伸び伸びと歩き回る。

小松菜を噛んでいると
日光を浴びて畑で育つ小松菜や、小松菜を育てている人が浮かぶ。

鶏肉を食べているのに、気付いたら豚がブゥブゥ言ってた時もある。ダメじゃん笑

人参と豚肉を一緒に噛んでいると、人参と豚が両手をつないで一緒にグルグル回って踊っている。

私、豚肉好きなのバレました?

ポークウィンナーを食べていると、豚ちゃんの他に豚ちゃんの腸も出て来て、この腸も豚の腸なのかな?なんか別のもんなのかな?

鰆の竜田揚げを食べていると、最初は切り身の鰆が泳ぎ、そのうち魚の鰆が泳ぎ(鰆の姿は知らないが)、釣人に釣られ、捌かれ、片栗粉を付けられて行く。
一緒に食べた人参が、やっぱり鰆と両手、つないで踊る。

そんなふうに、今食べているもののドラマが流れる。

そして、私は魚を捌けないけど、要は、殺すということ。果たして、魚は、自分達が殺されることを分かっているのだろうか?私達人間は、事故や災害、人為的に殺されない限りは、少なくとも食べられるために殺されることはない。
豚はどうなんだろう?鳥は?
食べるって何?
そんなふうに、命そのものへとイメージの旅はつながる。

自分と向き合う、とは、自分の内面(外見も含め)を見ることだと思っていたけど、もっとその基の、命を見つめることの方が先なのではないか?と思えた。命あっての内面だから。
(いや、ここはちょっと難しいな…内面あっての命かもしれない。)

もう一つ発見したのは、
50回噛むのはなかなか難しいけど、
口の中の食べ物がどんどん細かくなって行くのを、その粒を如何に細かくして行くか、如何に粒を無くして行くか、というゲームのようになって来るとちょっと楽しいことだ。
そうすると、気付けば60回位噛んでいる。

こんな食べ方は、時間に余裕のある時しかできなくて、ゆっくり生きたい私は、これができる余裕を非常に幸せに感じる。
こうでありたいと思う。
こうである余裕を持つための生活設計にしたいと思う。

これが日常の中でたくさんできたら、
親友に「ごはんちゃんと食べてる?」と聞かれた時、「うん!」て胸張って答えられるな✨

**〜**〜**〜*
私主催のイベント、対話の会へのお誘いです。
縁側で話すように…お気軽に🍵
テーマ:優しさとは?
4月25日㈭ 10:30〜11:30  
オンラインにて 500円

最後までお読み頂きありがとうございました🌷

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