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表現「死んでも死にきれないほど嬉しい」〜決断・応援〜


「死ぬほど嬉しい」
という表現は、よく聞くと思います。
最上級の嬉しさですよね。
でも私は、これでも足りない嬉しさの存在を感じ、
咄嗟に浮かんで来たのが
「死んでも死にきれないほど嬉しい」でした。
…ぴったりだ…と思えました。

これ、そのくらい嬉しいのと同時に
実は私にとって過去最大の恐さも伴っていました。
…大切な親友が、私の起業の対象者になるかもしれない…という発想が浮かんでしまった時のことです。
(ここでは、「魂の震えるような喜び」と表現しています)⇩

これほどの嬉しさというのは、きっと、その恐さがあったからこそ…かなと思います。
そもそも「嬉しい」という感情は、簡単に、当たり前のように手に入らないから感じるものなのかもしれません。

逆から見ると、
もの凄い恐さが来た時は
それを乗り越えると…というか、そこに入ってしまえば、それ相応のもの凄い嬉しさを感じるのではないでしょうか?

「恐さ」ってやっぱり、運命的に自分の前にやって来ます。
そういう時、その恐さを消そうとせず、どっぷり恐さを感じ、自分がどれほどに恐いのかを感じ、かつ
その恐さは何なのか?を、じーっと見つめる。
なぜ自分は恐いのか?
この恐さは何処から来てるのか?

それを明確にするのに、私は「対話」に助けられました。
自分の気持ちを聴いてくれる人、それを言語化してくれる人、言語化するために問いを投げてくれる人との対話です。

もし一人で、自分自身と対話する場合は、こんなやり方も有効です。
「なぜ恐いの?」→「だって○○だから」
「なぜ○○だと恐いの?」→「だって△△だから」
「なぜ△△だと・・・?」→「だって・・・」
と、だんだん掘り下げて行くのです。

って、私は一人でこれをやったことは無いのですが😅、人にそうやって掘り下げてもらったことがあり、これは一人の時も使えるな…と思った次第です。

恐さは、自分が求めているもの、自分が幸せになることを携えています。
恐さは、その、強烈なお知らせです。
恐さは、私たちの同志です。

恐さと共に、
恐さの向こうの幸せに、
歩んで行きませんか?
そして、
「死ぬほど嬉しい」よりもっと大きな嬉しさを
感じに行きませんか?

こんなに語っていますが、実はこの大きな嬉しさを、私はまだ目指している最中です。一つの道の未来に想像できてしまったから…
今、そっちへ一歩踏み出したところ。
勇気を持って。
その嬉しさを感じたいから、というより、それだけ嬉しいのだから、そこが自分の求めている真実だと見えたからです。

私は、
その歩む勇気のための「安心」を提供したい。
あなたに。

話を聴く。全部聴く。
それだけ。

問いを投げるのか、言語化するのか…? は、
話してみるまで分かりません。
お相手によって、また、
その方のその瞬間の状態、タイミングによって、
聴き方は変わって来ると思います。

なんだかタイトルからズレてしまいましたが…😅
流れましょう…

私はまだ起業途中。
こんな私と話してみたいという、ちょっと普通じゃない方、もし、いらっしゃれば
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