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揺るぎない何か

昨年の今頃、COVID-19が世界中に広まり始めました。日本では、緊急事態宣言が出され、外出を控え家で過ごす時間が増えていたころではないでしょうか。あれから、皆さんはいかがお過ごしだったでしょうか。昨年を振り返って、意識的に命や自然を考えたり、感じたり、どうなっていくかわからない不安や恐怖と向き合った時間は無かったなと思います。悲しい別れを経験した方、新し命を迎えられた方。一年後の今、私たちの生活は、また少しずつ変わろうとしています。

ここからは昨年の夏に書いたものです。何か感じていただければ。

日本では、台風や、大雨による川の増水、土砂災害と、大変なことになっています。私の住むアメリカ西海岸は、山火事で大変なことになっています。そして、これらの自然災害の原因は、地球温暖化による気候変動によるものだといわれています。

カリフォルニア州とオレゴン州の州境に、サクラメント川の水源のあるシャスタ山があります。サラサラと流れる小川が、山の中腹にある湿原を潤し、今の季節は、色とりどりの草花がきれいに咲いています。樹木、草花、大きな石や小さな石は、あるがままにそこに存在しています。調和がとれて、穏やかで優しく存在しています。

そして、水源は、その湿原の頂にあります。透き通った冷たい水が砂の下から絶え間なく湧き出ています。この小さな水源が川となって千キロ以上離れた太平洋にたどり着くのです。そしてこの水源は命の源でもあります。水がなければ私たちは生きていけません。作物も育ちません。

私は、こんな光景を目にしました。シャスタ山から何千キロも離れたアリゾナ州のナバホ居留地から、その水源にナバホの人は水を汲みにやってきていました。神社でお参りをする前に手と口を清めるように、教会で祈りをささげるときに聖なる水で清めるように、ナバホの人は、手に水をすくい、身体や手と口を水で清めていました。そして、水源の傍らに腰を下ろしてお祈りをしていました。静かなお祈りでした。お祈りが終わると、水筒に必要な分だけ水を汲んでいました。

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彼らは、雨を呼ぶ儀式をするための水を汲みに、アリゾナ州のナバホ居留地からオレゴン州とカリフォルニア州の州境のシャスタ山までやってきていたのでした。そして、シャスタ山で水を汲んだ後は、山を越えて太平洋で水を汲んで、何千キロもの道のりをアリゾナに戻ると雨の儀式をするそうです。

何千キロも道のりを乾いた土地から聖なる水を求めて、毎年、雨を呼ぶ儀式をするためだけに。驕らず、謙虚に、大地と空からの恵みである水を感謝の祈りとともに汲むために。

これは、ナバホの人たちが、地球とともに歩んできた中で続けてこられたことです。お祈りって、シンプルですが、とてもパワフルです。

これからの時代、私たちは、どのように地球とともにあるか、自然とともにあるかということを意識して生きていくことになるでしょう。それは、今ある命だけでなくこれから生まれてくるであろう命に未来にも大きく影響してきます。

去年の夏から一年たった今思うことは、ゆるぎない何かがあるということは、強さであると思います。それは大げさなことではなくて、どんな些細なことでもいいと思います。日常生活の中で継続していけるもの。ナバホの人たちが、継続している伝統のように。それは、心の安定にもつながります。あなたの心の安定の助けは、何ですか?

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