楽しむ事と愛する事の原動力は自分に対する「安心感」
その人が生きづらいか、
それとも軽やかな心持ちで生きているか、
を分けるのは、
自分に対して、どのくらい「安心感」を持てているか、だと思っています。
自分に対して「安心感」を持っている人は、目の前の物事に、臆すること無く取り組むことが出来ます。
取り組む物事の成否に関わらず「自分には価値が有る」という感覚が有ります。
取り組みに失敗したとしても、その失敗が自分の存在価値を脅かすことはありません。
つまり、
失敗したという事実と、自分の存在価値は無関係だと感じられるのです。
自分に対して「安心感」が無いと、「自分には価値が無い」という感覚が固定的に有ります。
すると、
自分の存在価値は、取り組む物事の成否に常に脅かされる不安定なものになります。
取り組む物事が成功して初めて存在価値が有ると感じられ、
もしも取り組みが失敗に終わったなら、「自分には価値が無い」という感覚をより強化することになってしまいます。
要するに、
取り組む物事の成否が、そのまま自分の価値に直結してしまいます。
結果が全て、になってしまいます。
「存在価値」が無い、という感覚は、人が持ち得る感情の中で、最上級に味わいたく無い感情と言えます。
だから、
「自分には価値が無い」と思い込んでいる人は、取り組む物事に背水の陣で臨むことになります。
そこに余裕は無く、当然、視野は極端に狭くならざるを得ません。
時に、その切羽詰まった感覚が成功を導くことがあっても、常に成功していなければならないという感覚に陥り、
人の一生という長いスパンで考えるならば、あまりにも苦しい心持ちなのではないか、と思います。
物事に取り組むとき、失敗はつきものです。新しい物事に挑戦すれば、成功よりも失敗が遥かに多いでしょう。
自分に対する安心感があれば、挑戦すること、失敗することが怖くありません。
すると、
挑戦を重ね、失敗を重ねることが経験となり、やがて成功に結びつくでしょうし、
仮に、
成功に結びつかなくとも、その人にとって、挑戦すること、失敗を重ねること自体が意味を持ちます。
失敗は経験になり、経験は重ねることで、生きる知恵へと昇華します。
取り組む物事の成否に関わらず、
そのプロセスが生きること、
そのプロセスが喜び、
と言えます。
それは、自分に対する「安心感」あってのことであり、
そこに「安心感」が無いならば、物事に取り組むことは、
自分の存在価値を危険にさらすことであり、必然的に危険を避ける様になります。
つまり、
「自分には価値が無い」という感覚に苛まれる人は、
物事に取り組むこと、挑戦することを回避するようになってしまいます。
心に「安心感」を持つ人は、プロセスにこそ喜びを感じ、
「無価値感」に苛まれる人は、失敗を恐れ危険を回避することが、生きる目的になってしまいます。
私は、
人は楽しむために、そして愛するために生きるのではないか、と思っています。
楽しむチカラと、愛するチカラは正比例する関係性の様な気がしています。
なぜならば、
楽しむことも、愛することも、
自分に対する「安心感」が有って初めて充分に成されるのではないか、と思うのです。
楽しむことは、「安心感」が無い状態だと難しいことは分かり易いのではないかと思います。
余裕が無く、自分の存在価値が脅かされる中で、物事を楽しむことは出来ないと思われます。
愛することも、おそらく人は自分を愛する程度を越えて、他者を愛することは出来ないと思っています。
その意味に於いて、「自分には価値が無い」と思い込んでいる人が、対象の価値を認め、本当の愛を注ぐことは難しいと考えます。
「自分には価値が有る」という自己の存在に対する「安心感」に紐付くのが、
本当の意味での愛なのではないか、と思うのです。
自分はどうなっても良いから、愛する対象を一番に考える、という切羽詰まった感覚は自己犠牲であり、愛の本質から少し離れるものだと思っています。
このことは一部特殊な状況下に於ける、例外も考えられますが、
本質的には、自分を受け入れる程度までしか、他人を受け入れることは出来ず、
自分を愛する以上に他者を愛することは出来ない、と思っています。
いつもお話しさせて頂く、
「生きづらさ」を手放すことは、自分への「安心感」を獲得することだと思っています。
なぜなら、
人が楽しむこと、愛すること、を味わい尽くすために生きる、としたならば、
それが叶わなくなっている状態が「生きづらさ」であり、
楽しむこと、は自分への「安心感」が有ればこそで、
愛すること、も自分への「安心感」が無くてはならないから、です。
自分の存在に対する「安心感」が持てずに、人は苦しみますが、
「安心感」を持つことを阻害する「自分には価値が無い」という感覚は、
単なる思い込みに過ぎないと思ってます。
「安心感」は思い込みのすぐ後ろに隠れています。
楽しむことも、愛することも、
望む人生も、幸せも、
そのことに気がつけば、
いつでも手に入る、そう思ってます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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