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うしろめたい私の隠さねばならない秘密

私が生まれた家庭は、安心や安全とは縁遠い場所でした。

機能不全家庭と言われる家庭です。

いつも親の顔色を伺い、親が今、自分に何を望んでいるのかを察知し、
先回りして親が望む感情を表現しなければならない環境でした。

たとえば、本当は泣きたい気持ちであっても、親がメソメソする自分を見て不快に思う、と察知すると、自分の「泣きたい気持ち」は無視して、明るい子供を演じる訳です。

生まれた時からそうなので、意識せずともほぼオートマチックに「演技」に入ります。

オートマチックに演ずると言う事は、
オートマチックに自分の感情を捨てると言う事です。

その捨て去った本当の感情は、親から知られてはならないのです。

知られれば責められます。

絶対に、絶対に、隠し通さなければならない「秘密」なのです。

幼い頃、私は日々秘密を作り、演じ続けたのです。

そうするうちに、私にとって感情は隠さなければならない事とイコールになりました。

感情は「うしろめたいもの」になりました。

「うしろめたいもの」の中でも、特に「幼児期の甘え」は最上級の極秘事項でした。

父も母も銘々に過酷な幼少期を生きた人達で、
幼児期の甘えを満たされる事無く育った人達で、

そういった境遇で育った事で出来た「心の傷」が、幼い子供の「幼児期の甘え」に接すると痛みを覚えるため、

たまらなく不快なのです。

だから、我が子には甘える事を禁じます。

そこに「幼児期の甘え」を見つけたら、責め苛みます。

甘える事が出来なかった親は、子供の甘えを決して許しません。

否、許すことが出来ないのです。

かくして、私は「幼児期の甘え」を一切捨て去った訳です。

私は、抱きしめられたことも、頭を撫でられたことも、親の膝に乗ったこともありません。

紐があって、ちょうちょ結びのやり方を「どうするの?」と尋ねたために激しく責められたことがあります。

「そんなものは、人が結ぶのを見て覚えるものだ!ぼーっとしてなきゃ自然と出来るもんなんだ!」

初めてちょうちょ結びに挑戦する時、やり方を尋ねることは、甘えでも無いと思うのですが、

母は私が手を煩わせることは、全て甘えに思えたのかも知れません。

私は、人の手を煩わせる事は、甘えであり、恥ずべき事、という信念にも似た思い込みを心にべったりと貼り込みました。

その思い込みは私を、なんでもかんでも一人でやらなければ、と考えてしまう「自己完結」に取り憑かれた人に仕立て上げました。

でも、心の中には満たされないままの「幼児期の甘え」を抱えたままなのです。

私はその自己矛盾に苦しみます。

自己完結しても、「幼児期の甘え」は満たされず、
自己完結に失敗すれば、「自己完結すべき」という思い込みから、無価値感や罪悪感に苦しみます。

どう転んでも苦しいのです。

人が一人で出来ることなど、たかが知れています。

人に正しく頼ることは、人間関係を構築する上でも必要なことだと思います。

私は人に、頼れず、甘えられず、なんでも抱え込み、自己完結を目指し、パンクする人になりました。

私が「生きづらさ」を抱え、動けなくなった時も、強く思っていたのは、

自分一人でなんとかしてやる、でした。

動けなくなった自分を情けなく感じていました。

心に「生きづらさ」があることには気づいたのですが、
自分でなんとかしなきゃ、と思って医療機関にも、カウンセリングなどにも頼らず、なんとかする、と決め込んでました。

医療機関を受診して「病名」をもらったりしていたら、きっとその「病名」の上にあぐらを書いて座り、立ち上がる事を忘れてしまったかも知れないと思うので、「一人でなんとかする」の思い込みも悪いばかりではなかったのですが、

「生きづらさ」を手放すまでには至りません。

そこから更に15年余りが過ぎて、このまま人生を終えてたまるか、絶対に「生きづらさ」を手放す、と思い、

テープ式心理学の創始者、仁先生の門をたたきました。

ラストチャンスと思ってました。

これまで本からインプットし、実生活で様々な事を試す事でアウトプットして、
それを、15年の長きに渡って続けても、決して「生きづらさ」を手放す事は出来ませんでした。

考えてみれば、「一人でなんとかする」と言う強烈な思い込みを、仁先生を頼る事が出来た時点で拭い去る事が出来たのかも知れません。

そして、私は幼い頃から大量に蓄えた、私の中の「うしろめたいもの」「隠さなければならないもの」「私の感情」を生れて初めて、人前に、仁先生に晒しました。

そして受け入れて頂きました。

私が「うしろめたい」と思っていたものは、うしろめたくなく、
私が隠さなければならないと信じた秘密は、隠す必要などなく、

受け入れてもらえるものだった事に気がつきました。

親が、受け入れる心の状態になかっただけで、私は何もうしろめたくないことが腹の底からわかりました。

私は生まれて初めて、人に頼る自分を許し、初めて、受け入れてもらう事で、たまりにたまった「甘えの願望」を溶かす事が出来たのかも知れません。

いわれなき、うしろめたさは、流れました。


流れて尚、その痕跡は残ります。

しかし、それは痕跡でしかなく、何も恐れなくて良い事を私は知っています。

うしろめたさを感じない人生に、

それだけで、幸せを感じます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム




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