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親からもらった「ひな型」を使い続ける人

その人の感じ方や考え方、
人間関係の在り方などの「ひな型」は、
幼少期の親との関わりによって造られると言って良いと思います。

それ程までに、幼少期の親との関わりは、その人の人生の歩み方に大きな影響を及ぼします。

今日はいつも気づきを頂いている美樹さんの記事からヒントを頂戴しました。
美樹さん、ありがとうございます。

愛情溢れる家庭に生まれた人は、生まれたその愛情溢れる世界しか知りません。

逆に、機能不全家庭に生まれた人は、機能不全家庭しか知らない訳です。

親がその人を肯定的に受け入れて、存在や感情を尊重される環境に育った人は、巨万の富を与えられるより、もっと大きな贈り物を親から与えられたと言えます。

親がその人を否定的に捉え、存在を貶められ、感情を出すことを禁じられて育った人は、「生きづらさ」を抱えます。
人生の最初から、親から重荷を背負わされることになってしまいます。

贈り物を貰うも、重荷を背負わされるも、幼少期の親との関わり方次第です。

つまり、幼少期に肯定的に受け入れられ、存在や感情を尊重された人は、その親との関わりを「ひな型」として、世の中を見、人と関わり、人生を歩みます。

幼少期に否定的に扱われ、存在を軽んじられ、自分の感情をないがしろにしなければならなかった人もまた、その親との関わりを「ひな型」に、人生を歩みます。

肯定的な「ひな型」を手にした人は、自分には価値が有る、という基本姿勢です。
だから、目の前の事に臆すること無く、取り組むことが出来ます。
失敗しても、「そんな自分には変わらず価値が有る」と思えるので、失敗が怖くありません。

否定的な「ひな型」を与えられた人は、無価値感を抱えています。
自分には価値が無いという基本姿勢なので、目の前の事に失敗すれば、「自分には価値が無い」という基本姿勢を証明してしまうことになります。

「失敗しても自分には価値が有る」と思えるか、
「失敗したら自分は無価値だ」と思い込んでしまうか、は天と地ほどの違いがあります。

「自分には価値が有る」という「ひな型」は、
楽しむこと、愛すること、挑戦すること、を力強く後押しします。
人生を豊かにすることを後押しするのです。

「自分には価値が無い」という「ひな型」を元に人生を歩むと、
楽しむことにも、愛することにも、挑戦することにも消極的にならざるを得ません。

人生を豊かなものにするには、先ず自分に対する安心感が必要です。

目の前の事の成否が直接、自分の価値の有る無しになってしまっては、
楽しむことも、愛することも、挑戦することも、ままならないのです。

何事か成し遂げる人は人並外れて失敗した人と言えます。
成功は十にひとつ、百にひとつかも知れません。
生きることはたくさんの失敗を重ねることとも言えます。

「自分には価値が有る」という「ひな型」を持つ人は、
失敗と自分の価値は無関係なので人生を積極的に歩むことが出来ます。
失敗に学び、経験を重ねます。

「自分には価値が無い」という「ひな型」を持った人は、
事の成否が自分の価値なのですから、どうしても消極的にならざるを得ないでしょう。
失敗は無価値感を強化することにしかならず、学びを得ることも、経験を重ねることも難しいと言えます。

それ程、無価値感は見たく無いもの、触れたく無いもの、認め難いものなのです。

それはそうです、存在に意味が無い、という思い込みですから、何がなんでも目を逸らしたいのです。

人生を歩むうちに、失敗によって無価値感を強化するうちに、
物事に取り組む前に、回避する様になります。

しかし、回避しても挑戦から逃げた思いは残り、無価値感を強化します。

そして、失敗を否定する様にもなりがちです。
言い逃れても、無価値感は強化されます。

失敗して無価値感を強化し、
回避しても無価値感を強化し、
言い逃れても無価値感を強化し、
ますます消極的な人生に陥ります。


美樹さんが記事中で仰るように、
手にした「ひな型」「テンプレート」を強化する人と、修正して増やす人がいるように私も思います。

その違いは、
自分と向き合ったか否かだと思っています。

「自分には価値が無い」というテンプレートを持たされてしまったなら、
どこかで、そのことに気がつく必要があると考えます。

自分の存在を否定する親との関わりを起源として造られたテンプレートですから、
見たくもない、触れたくもない、認めたくない、思い込みです。

それでも、生きる上で見据えた人は痛みを感じながらも修正版のテンプレートを増やすのだと思ってます。

親との関わりで与えられたテンプレートをつくり直すことは難しくても、修正版をつくることは出来ますし、
与えられたテンプレートは、そこにあっても使わないで修正版を使えば良いのです。


与えられたテンプレートを使い続ける限り、無価値感は強化されますが、

気づけば、修正版テンプレートは手に入るのです。


先ずは、

幼少期の親との関わりを起源とする「ひな型」を使い続けていないか、

そして、それは後生大事にしなくてはならないものなのか、

そもそもそれは、いわれなき思い込みではないのか、

一度、確かめてみて欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム


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