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自信をなくした場所①

「自信をなくした場所」
これが私が今振り返って思う大学バスケ時代の総括かもしれない。

後輩のいわゆる「ブログ」というのを読んでいて思った。
自分自身も部活を引退する時に「ブログ」みたいなものを書かせてもらったが、結局本音は言えずじまい。
後輩の直球な想いが伝わる文章に嫉妬したのか。本音を最後まで言えなかった自分にイライラしているのか。

もし、本当の自分の4年間を振り返れたとしたら。
「自分」を知らない人に少しだけ吐き出したくなってしまった。
これが私の本当の「引退ブログ」としよう。


1年生

ただがむしゃらについていった頃。
先輩に可愛がられながら、ちょっと怖い先輩に当たられもしながら、今振り返っても中々いいポジションを築けていたと思う。

「肝座っているね」
大事な試合で、大事な場面でバスカン。
たまたま入っただけだった。自覚したことなかったが4年生の主将には私がそう見えたらしい。

次の日の試合も良い場面で2点決めた。
その時はただの2点なのに、、、と思った。だが後々試合を振り返ると確かに、点が欲しい場面での大事な2点だった。
感情が読めないコーチがチームの誰よりも長く拍手している姿が動画に残っていた。
「よくやった」
試合後全体ミーティングでコーチが私の頭にポンと手を置いた。


嬉しかった。褒められたいと強く思っていたわけではないが、試合に出られなかった同期とは中々バスケの話はしずらかった。途中から練習にも参加できない同期が、練習後にウェイトをしていた。私は試合に出ていたからウェイトできる回数に制限があり参加できなかった。
みんな練習にも試合にも出たいはずなのに、私は「同期と過ごせない時間」の方が惜しいとさえ思ってしまっていた。
贅沢な悩みだ。



当時の学生コーチは冷静沈着な人だった。
1回だけ、大人のコーチが不在にしている試合があった。
当日は学生コーチが出場選手を全て決めていた。
1つ上でスタートだった先輩を差し置いてまで、自分を4Q、さらに延長戦までフルで使ってくれた。

多分「肝の座った試合」が評価されたんだと思う。
何かこの子はやってくれるんじゃないか。
そう思ってくれてたのか。

試合は確か2点差負け。
自分が簡単なゴールを2回外さなければ。
試合後みんなの前で泣いてしまった。
「1年生に試合の結果で泣かすなんて。責任を感じさせたらだめでしょ。」
チームドクターが私を庇ってくれた。


負けたことはもちろん悔しかった。
でも泣いた理由はそうではない。
自分を信じて出し続けてくれた4年生に申し訳なかった。期待に応えられなかったことが申し訳なく、悔しく、泣いてしまった。
でも泣いた理由に気づけてことも家に帰ってから。
「〇〇のせいじゃないよ、落ち込むことなんてないよ」
とミーティング後すぐに声をかけてくれた学生コーチにその場で釈明できなかった。
今でも謝りたいな、と思っていたりする。


「認めてくれている」
コーチや4年生が自分の何かをかってくれていた。
下手なはずなのに、時々自分を褒めてくれる大人の存在が嬉しかった。
そんな曖昧な感覚が、1年生だった自分の小さな自信。


文章力ないくせして長編になりそう。
2年生以降はまた次のブログで。

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